第2話【ネット知識でイキる転生希望者を撃沈してみた】
神界『異世界転生案内課』、第3個室面談室。
白亜の壁と洗練された大理石調の調度品で統一された、一見すると神聖かつ格調高い応接室。
だが、その実態は『異世界転生希望者』と神界スタッフが対面で条件交渉を行う、いわばカスタマーサポートの最前線であった。
その室内で、私の目の前にはひとりの少年が深々と革張りの椅子へ腰かけていた。
学ランを第3ボタンまで派手に外し、組んだ足を机の上に投げ出さんばかりの横柄な姿勢。
その表情には、いかにも「自分は選ばれた特別な主人公だ」と言わんばかりの、隠しきれないイキり顔が張り付いている。
「いや〜、マジでドブ川に落ちた時は焦ったけどさ! テンプレ通りにこんな綺麗な女神様に会えるとはね! 正直、テンション上がるわ〜!」
午前中の神界新人女神研修を終えた私の第1号となるお客様。
転生希望者の名前は佐藤翔太くん、16歳。高校1年生。
死因は、歩きスマホでゲームに夢中になるあまり、足を踏み外してドブ川へ転落。あまりに臭い水だったため、その激臭に耐えられずに失神し、水深わずか15センチでの溺死となった。
「……改めまして、ようこそ神界へお越しくださいました、佐藤様。本日、異世界へのご案内を担当させていただきます神楽坂玲奈と申します」
私は前世の営業事務兼CS時代に血の滲むような鍛錬で身につけた、完璧な営業スマイルを貼り付け、デスクの上で両手を静かに重ねた。
前世での私は、朝一番に怒号を飛ばしてくる理不尽なクレーマーや、無理難題な納期短縮を要求してくる取引先を相手にしてきた元OLだ。
この程度の小僧のイキりなど、朝のコーヒーを一口すするよりも楽。言うなれば朝飯前。
「まぁさ、単刀直入に言うけど! 俺、ネットのまとめサイトとかSNSで異世界転生の知識はバッチリ予習してきたからさ! 無駄な説明とか抜きでいいから、話が早くて助かるでしょ?」
佐藤くんはニヤニヤと浅いネット知識をひけらかしながら、自信満々に指を一本ずつ立てていく。
「まず、転生特典の初期チートだけどさ! 定番の『全属性魔法』と『不老不死』は確定ね。あと『ステータス全項目100倍』と『全言語理解』、それと『女子全員からのハーレム補正』と『神殺しの聖剣』もセットで頼むわ! あ、初期レベルはもちろんカンストの100スタートで!」
……出たわ。ネットの偏ったまとめ知識で知恵をつけた、テンプレ全盛りの欲望マシマシ注文。
心の中で深いため息をつく。
なるほど、確かにこれは案内課を守ってきた歴代のピュアで優しい聖母系女神たちが「そ、そんな無理なご注文、神界規定でできません……っ!」と泣き出し、メンタルを病んで休職へ追い込まれたのも納得の惨状だ。
欲望の底がない上に、本人は「これが当然の権利だ」と信じ込んでいる。
まさに最悪のカスタマーハラスメント予備軍。
……だが、あいにく私の前職はブラック企業のCS部門だ。
仕様変更を当日の夕方に求めてくる悪魔のようなクライアントを、笑顔のままロジックで打ちのめしてきた実績がある。
私は笑顔の口角を1ミリも崩すことなく、手元に置かれたノートパソコンのような神界端末を流麗な指さばきでカタカタと操作した。
「佐藤様、ご希望の構成案を拝見いたしました。……まずはご提示いただいた条件の精査を完了いたしましたので、結論から申し上げますね」
「おう! さすがプロ! で、いつ異世界へ行けるんだ? 憧れのハーレム無双ライフ、超楽しみなんだけど!」
「――佐藤様。そのままの構成ですと、異世界に転生したコンマ1秒後に即死いたします……大事なことなので繰り返してお伝えしますが、それはもう見事なまでに一瞬で死にます」
「……は?」
佐藤くんのニヤけた顔がピキリと凍りついた。
「何をバカなことを言ってるんだ?」とでも言いたげな、呆れと困惑が入り乱れた複雑な表情を浮かべる彼に対し、私は神界端末の画面をすっと彼の方へ向けた。
「こちらが、佐藤様のご要望をそのまま反映させた『転生時負荷見積書』となります。どうぞご確認くださいませ」
「み、見積書……? なにそれ? イミフ過ぎんだけど……」
「それでは、順を追ってご説明させていただきますね。人間界から異世界へ魂を移送する際、一般的な人間の魂が一度に許容できる能力の受容キャパシティは【100】となります。これに対し、お客様が最初にご要望された『全属性魔法』だけで、魂にかかる負荷は【350】」
「えっ……」
「続いて『ステータス100倍補正』で負荷【2000】。さらに『不老不死』に関しましては、世界の理そのものを書き換える神域の権能に該当するため、負荷【9999】に達します。ご希望の『全言語理解』以降を除いても合計負荷値は既に【12349】となります」
負荷の許容キャパシティは実際には人それぞれで、身体能力の高いプロアスリートや、地頭の良いストリートスマートは高くなる。
もちろん、彼がそのどちらにも該当しない以上、そんな例外を教えてあげる必要は皆無だ。不必要な情報は伏せるに限る。
「い、いやいやいや! おかしいだろそれ! だってネットの体験談まとめには、チート全部もらって異世界で無双してる主人公の奴らがたくさん――」
「――佐藤様」
私は女神の威光を最大限に活用し、部屋全体の温度を数度下げてみせた。そうして室内に走った冷気そのままのトーンで、彼の言葉を冷酷に遮る。
「ネットのまとめサイトの妄想記事を、そのまま真に受けないでいただけますか?」
「ひっ……!?」
私の笑顔から瞳の奥の光だけが消えたのを感じ取ったのか、佐藤くんの背筋がピクッと跳ね上がる。
「そもそも死後の世界の体験談が、あなたの生きていた前世に存在するわけないじゃないですか。普通に考えたら分かりますよね? ……仮に存在していたとしても、そのサイトに掲載されている情報は、数百年前に一部の特殊個体に適用された型落ちの旧仕様、あるいは虚構の創作物でございます」
「そ、そんな……」
「事実として佐藤様の魂の受容限界【100】に対し、約120倍以上となる【12349】の過剰な負荷をかけて現地の肉体に魂を流し込んだ場合――」
私はトントン、と指先で端末の画面を叩いた。
「――肉体に魂が収まったコンマ1秒後、過酷な転生負荷に耐え切れず脳神経が瞬時に焼き切れます。その後それでもなお吸収しきれなかった負荷が脳へと送り込まれるので、頭部が風船のように膨らんで爆発し即死いたします」
「ま、マジ?」
「えぇ……マジです。ですので佐藤様、死んでここまでお越しになったのに、異世界に着いた瞬間に頭部を破裂させてまた死にたいのですか?」
「と、頭部破裂!?」
ガタガタと膝を震わせ、顔面を蒼白にする佐藤くん。
ようやく現実がわかってきたようね。
「神界安全管理規約第12条に基づき、許容量を超えた過剰スペックの付与は『自己破壊誘導行為』とみなされます。したがって当課では、お客様の生命の安全を守るための仕様として、そのような無謀なカスタマイズは一切お受けいたしかねます」
「で、でも……っ! じゃあ俺、なにもチートをもらえないで、素っ裸の丸腰で異世界に行けってこと!? 酷いだろそんなの! 転生者への対応として最低だろ!」
今度は顔を真っ赤にして逆ギレ気味に声を荒らげる佐藤くん。
典型的な、追い詰められたクレーマーの反応パターンだ。こうなればあとはこちらのものね。
これまで徹底的に冷たく突き放して緊張させたので、ここからは一転して緩和に転じ、ゲイン・ロス効果で一気に落としにかかる。
「ご安心ください。我が案内課は、理不尽なお断りだけで終わらせるような雑な対応はいたしません。佐藤様のニーズと安全性を両立させた、最適なソリューションをご提案いたします」
私はあらかじめ手元で構成しておいた『標準適正カスタマイズプラン』の羊皮紙を、滑らかな動作でスッと差し出した。
「お客様の魂の波長および前世での行動傾向を詳細に分析しましたところ、制御不能な全属性魔法よりも、こちらの『汎用生活魔法』と『成長速度2倍』のセットが最も親和性が高く、現地での1年以内生存率は【98.2%】を誇ります」
「せ、生活魔法……? なにそれ……地味すぎない……? 俺は派手な爆破魔法とかで無双したいんだけど……」
この期に及んで未だに無理難題を口にして、駄々をこねればどうにかなるとでも思っているのかしら。
内心で呆れながらも、猿にでもわかる懇切丁寧な説明を心掛ける。
「地味、とお考えですか?」
私はふっと、慈愛に満ちた(ように見せかけた)微笑みを浮かべた。
「ではお伺いいたしますが、異世界転生者の序盤において最も高確率となる死因は何かご存じですか? 魔物に殺される? 魔王に倒される? 竜に噛み殺される? ――いいえ、違います。現地へ赴いた転生者の約8割が、最初の1ヶ月以内に『飲用水の不潔さに起因する激しい腹痛』および『経口感染症』で苦しみぬいた末に落命しております」
「うぐっ……!?」
「インフラの整っていない異世界に、清潔な水しか飲んだことのない免疫力皆無の転生希望者が、普段の感覚で過ごそうものなら――結果として病死のリスクが跳ね上がることは、普通に考えれば分かりますよね?」
「た、たしかに……」
「水魔法で綺麗な飲用水を常時確保し、火魔法で食材を完璧に加熱調理し、乾燥・洗浄魔法で衣類と身体を衛生的に保つ。……魔物の討伐に向かう以前に、過酷な衛生環境の異世界において、これ以上に生存を約束する最強のチートが存在するとお考えですか?」
「た、確かに……腹痛で死ぬのは絶対に嫌だけど……っ」
「さらに『成長速度2倍』の補正により、ご自身の現地での努力次第で、数年後には上位の攻撃魔法も安全に習得可能です。過剰な初期チートを詰め込んで現地到着コンマ1秒で頭部を破裂させるか、他人よりも早い速度で着実にスキルを伸ばして現地の人々に頼られる転生者となるか……どちらが、知性ある佐藤様にとって利口な選択でしょうか?」
「……女神様オススメのプランでお願いします……」
すっかり毒気を抜かれ、冷や汗をダラダラと流しながら素直に頷く佐藤くん。
完全に初期の「イキりモード」は消え去り、聞き分けの良い良質な顧客へと矯正完了だ。
「賢明なご判断、恐れ入ります。それでは初期パラメーターの調整……完了いたしました。――それでは行ってらっしゃいませ、佐藤様。お客様の異世界での歩みが、健やかで実りあるものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます」
私がデスク脇の『転生実行ボタン』を静かに押し込むと、佐藤くんの足元に淡い青銀色の光の魔法陣が浮かび上がった。
「……最初は怖かったけど、実は俺のことを一番に考えてくれていたのが女神様だったんですね! ありがとうございました! 俺、異世界で死なないように頑張ってみます!」
先ほどまでの生意気な態度はどこへやら、彼はどこか晴れやかな表情を浮かべながら、光の粒子となって異世界へと旅立っていった。
◇◆◇
ガラガラッ……バタン。
佐藤くんが転生し、静まり返った第3面談室。
その重厚な扉が開き、物陰から息を潜めて様子を窺っていた最高神と、先輩女神たちが、信じられないものを見る目で部屋の中へと雪崩れ込んできた。
「あ、あのモンスタークレーマー転生者を……! ネット知識で固められたイキり人間を……即死宣告と見積書だけで、一瞬で改心させたじゃと……!?」
最高神が、手に持ったポテトチップスの袋をポロリと床へ落としながら、目玉が飛び出さんばかりの顔で叫ぶ。
「信じられない……! 『不老不死をくれ』って言われて『頭が破裂します』って返すなんて……そんなの、私たちには逆立ちしても言えなかったのに……!」
「しかも最後は感謝されて送り出してる……! なによあの悪魔的なトークスキル……! 本物の女神じゃない……!」
「規約で限界まで追い詰めて絶望させた直後に、地味スキルを投げて、極上の聖母スマイルで『行ってらっしゃいませ』よ!? あれ、完全にただの詐欺師の手口じゃないの!」
「あの佐藤くんって子、自分がただの一般男性の標準ステータス【100】にハメ殺されたことすら気づいてないわ……! 完全にマインドコントロールの領域よ……!」
「へぇ〜なんか面白そうな新人が入ったじゃない……」
口々に戦慄の声を上げる神々の前で、私は至って冷静にデスクの上をきれいに整頓した。
「お疲れ様です、最高神様。第1案件、処理完了いたしました。……ところで」
私はすっと視線を上げ、面談室の壁に掛けられた神聖な大理石時計を見上げた。
細い長針と短針が、ちょうど【16:58】の位置を指し示している。
「私の定時は【17:00】となっております。残りの2分で本日分の業務報告書を作成いたしますので、本日の窓口対応業務はこれにて終了とさせていただきます。あしからずご了承ください」
「「「は、はいぃぃぃっ!!!!」」」
整然と鞄に荷物をまとめ、完璧な動作で退勤準備を進める私の背中に、神界の神々からの深い畏怖と尊敬の眼差しが、痛いほどに突き刺さるのだった。




