第四話:巨魁の黄昏
県知事の裏切り、そして検察の捜査の手が迫る中、県議会議長室の重厚なドアは静かに開いた。
遼は、部屋の奥に佇むその背中を見つめていた。
県議会議長、山下 速夫――70歳。
かつてこの地域を恐怖と利権で支配した、絶対的なボスの姿がそこにあった。
だが、振り返った山下の顔を見た瞬間、遼の胸を突いたのは、恐怖ではなく、激しい虚しさだった。
そこにいたのは、地域や未来を憂い、あえて泥を被った「過去の怪物」ではなかった。
五人衆のバラバラになるのを止めることもできず、自分の親族の会社の取り分や、個人の財産を隠すことに必死になり、すべての罪をうやむやにしたまま政治の世界から逃げ出そうとしている、酷く老いた、一人の情けない老人の姿だった。
「山下議長」
遼は声を低く絞り出し、ボイスレコーダーを卓上に置いた。
「地元の建設会社に会ってきました。15年前、あなたが泥を被って彼らを救った話も聞きました。……なのに、なぜ今のあなたは、綺麗な言葉を隠れ蓑にして、自分の身内の利益だけを守ろうとしているんですか」
山下は老眼鏡の奥の濁った目で、遼を冷たく見下ろした。その唇が、微かに歪む。
「……小僧。綺麗事だけで、この世の中が回ると思うとるんか」
その声はかすれ、かつての威厳はどこにもなかった。
「誰が何を言おうと、俺は自分の家族と、俺を支持した身内を守る。それのどこが悪い。知事も、国政の奴らも、みんな自分が可愛いだけだ。俺だけが泥を被って消え去る義理はない」
山下の手は、デスクの上の秘密文書をシュレッダーにかけるために、小刻みに震えていた。
その姿は、あまりにも情けなかった。
かつて、何かを守るために自らの意志でまとったはずの「黒衣」
それがいつの間にか、ただの自己保身と私利私欲のための「泥」へと変わり果てていた。
かつての「白き記憶」は完全に消え去り、そこにあるのは、醜く老いた人間の剥き出しの執着だけだった。
「あんたたちは、本当に情けない奴等だ」
遼はそれ以上、言葉を続ける気力を失い、ボイスレコーダーを掴んで部屋を飛び出した。
廊下の窓から見える、曇り空にそびえる県庁の建物が、酷く虚しく、そして歪んで見えた。
同期の佐藤が叫ぶ「悪い奴の退治」など、この闇の表面を撫でるだけのおままごとに過ぎない。
大悪党だと思っていた山下も、議会という巨大な利権構造の中で、自ら黒く染まり、最後はただの情けない老人として消えていく。
ポケットの中で握りしめた記者手帳が、鉛のように重く、遼の指先に沈み込んでいった。




