第三章 星を探しに行こう
ある金曜日、教頭先生は天神杜小学校の近くの居酒屋で、真夜中までたくさんお酒を飲みました。
他のお客さんがどんどん帰っていく中で、教頭先生だけはただ一人真夜中まで残っていましたが、とうとう閉店時間がやってきて、お店から追い出されてしまいました。
ごきげんな教頭先生は、鼻歌などを歌いながら夜道を歩いて帰りました。ふしぎなもので、お酒を飲むのに慣れていると、ものすごくよっぱらっている時でも足が勝手に家の方へと向かってくれるのです。
がらりと家のとびらを開けた時、先生はもう、ふとんの上でねむることしか考えていませんでした。ですので、くつをぬぐと玄関マットの上にそのままたおれこみ、ぐっすりとねむりこんでしまいました。
翌朝目を覚ました時、教頭先生はびっくりしました。そこは、先生の家ではなかったのです。夜道はとても暗く、またひどくよっぱらってもいたので、ちがう人の家に上がり込んでしまったにちがいありません。
どろぼうだと思われてしまったらたまらないので、教頭先生は外れたメガネもそのままに、カバンをかかえてすぐさま飛び出そうとしました。ところが、玄関のすぐそばの引き戸が開き、だれかが顔をにゅっとつきだしました。
教頭先生は、こおりつきました。一巻の終わりです。この家の住人は、知らないおじさんと家の中で出くわしたら、悲鳴をあげて警察に通報するでしょう――。
――ところが、顔を出したそのだれかは、何も言いませんでした。ただ、じっと教頭先生を見つめるばかりです。メガネをかけ直した先生は、そこにいるのが天神杜小学校の三年生であることに気がつきました。
「君は……コヤマカズトくん」
カズトは、だまってうなずきました。コヤマカズトくんは天神杜小学校の中でも特に無口な男の子で、先生やにぎやかな同級生がいる前ではまず絶対にしゃべりません。毎朝、登下校を見守る教頭先生があいさつをしても、だまってうつむくばかりでした。
教頭先生は、相手がだれであれ、まずは自分がどうしてここにいるのかを説明しなければならないと思いました。
「おはよう、カズトくん。朝からおどろかせてしまって本当にごめんね。先生は……その、夕べちょっとお酒をのみすぎて、自分の家とまちがえてここに来てしまったんだ」
カズトはあきれているのか、大きな目でまじまじと先生を見つめています。
「あの……君のお母さんに謝りたいんだけど、今お家にいるかな?」
カズトは首を振ります。そして、教頭先生の手をつかみ、引っ張りました。
「お家に上がってもいいのかい?」
教頭先生がおどろいてたずねると、カズトはうなずきました。
案内された、たたみの部屋の真ん中に、こたつがありました。こたつのまわりには、ぬぎっぱなしのくつしたや上着、空っぽのスナック菓子の袋、マンガなどがちらばっています。床の間にテレビがありますが、電源はついていません。開いた押し入れの中に、オセロや将棋、ブロックスなど、いろんなボードゲームの箱がつめこまれていました。
カズトがその中からオセロを引っ張り出してきます。
「お、オセロだ。先生も好きなんだよ」
盤の真ん中に四つのオセロを並べ、教頭先生とカズトは遊び始めました。最初はカズトが勝ち、その次にやった対戦では教頭先生が勝ちました。勝ったり負けたり白黒をつけあっているうちに、お昼になりました。
お母さんは、まだ帰ってきません。カズトが台所に行ったので、教頭先生もついていきました。カズトは戸棚にあるカップラーメンを二個とりだし、やかんに水を入れました。やかんを火にかけるのは、教頭先生の仕事です。
「お母さん、おそいね」
話しかけると、カズトはこくんとうなずきます。家の中はずいぶん静かで、二人きりでいるとずいぶんだだっぴろく感じました。
教頭先生は、今日の午後から小学校のバスケチームの応援に行く約束があったのを思い出しましたが、カズトには何も言いませんでした。お湯がわくと、カップラーメンに注いで、三分待ちました。
ラーメンを食べ終わった先生のもとに、カズトが大きな絵本を何冊も持ってきました。小学校の図書室でも人気がある、人探しの絵本です。ごちゃごちゃとにぎわう大きな絵の中のどこかに、主人公がかくれているのです。先生は、絵本に顔をぐっと近づけて探しました。
「いやー、さっぱりどこにいるのか分からないな」
先生がさじを投げると、カズトが得意げに絵のすみっこを指さしました。きっと何度も読み返したのでしょう。教頭先生よりもずっと早く、かくれているキャラクターを見つけてみせるのです。
絵本で遊び終わった後は、将棋です。カズトははさみ将棋とつみ将棋しか知らなかったので、まずはその二つでたっぷり遊んだ後、教頭先生が回り将棋と本当の将棋を教えてあげました。オセロよりもちょっと難しいので、最初はたびたび動かし方をまちがえてしまうカズトくんでしたが、何局も先生と対戦するうちに、先生のヒントなしにコマをとれるようになりました。
午後三時になったころ、教頭先生はカズトに言いました。
「お母さん、まだ帰ってこないね」
カズトは首をひねったり、体をかたむけたりしてふざけていましたが、やがて立ち上がり、先生を固定電話のところへ案内しました。
カズトが番号を押して、受話器を貸してくれたので、教頭先生はそれを耳に当てます。きっとお母さんの携帯電話か、職場の電話につながっているのだろうと思いました。
三回ほど呼び出しの音が鳴った後、ガチャッと電話をとる音がしました。
「もしもし?」
甲高い声です。
「もしもし、こんにちは。天神杜小学校の教頭です。コヤマカズトくんのお母さんですか?」
電話の相手は、一瞬静かになり、それから返事をしました。
「ええ、そうです。カズトがいつもお世話になっています」
「いえいえ。あの、実はお母さんに謝らなければならないことがありまして……」
先生が、よっぱらって家に上がり込んでしまったことを話すと、相手はころころと笑いました。
「なんだ、そんなこと。いいんですよ。よかったら、ずっとこの家にいてやってください」
「えっ?」
「あなたがいたら、カズトもさびしい思いをしなくてよくなります。では、よろしく」
「ちょ、ちょっと待ってください、お母さん!」
電話は切れてしまいました。
カズトが、テレビをつけました。アニメのDVDをたくさん持って、一緒に見ようと先生にねだります。けれど先生は、お母さんのことがどうしても気になったので、もう一度電話をかけることにしました。
「もしもし?」
「ちょっと、何度もかけてこないでください。わたしもいそがしいんです」
「すみません。でも、くわしくお話を聞きたいんですが……」
その時、電話の向こうの音がかすかに聞こえました。それは、今カズトがテレビで見ているDVDの音と、全く同じでした。
「お母さん、もしかしてお家にいるんですか?」
カズトがおどろいて振り返ります。お母さんからの返事はありませんでした。けれど、がたっと大きな音が、電話からも二階からもきこえてきました。
「二階だな」
先生は二階への急な階段を、どたどたと音をたてて登りました。
二階の部屋の戸を開けると、灰色の小さなハクビシンが古めかしい携帯電話を持って固まっていました。黒くて丸いひとみだけが、きょろきょろとあちこちへ移ります。教頭先生も、どうしていいか分からず、ハクビシンを見つめるばかりです。
ハクビシンの小さな手から、携帯電話が落ちました。がしゃんと大きな音をたてたその電話は、よくよく見るとただの古ぼけたおもちゃでした。
「これは……一体?」
教頭先生のつぶやきに、ハクビシンが力なくうなだれました。
「まさか、あなたがカズトくんのお母さんですか?」
教頭先生がそう質問したのは、裏天神杜小学校で変身の魔法を勉強している動物たちのことを思い出したからでした。
けれど、ハクビシンは首を振りました。
「あたしは、ずいぶん前からこの家にいそうろうしている者です」
「はあ」
「カズトのことは赤ん坊のころから知っておりますから、親も同然だと自分では思っております」
ハクビシンがけなげにも胸を張るので、教頭先生は話を聞いてみようと思いました。ほこりのつもった床に腰を下ろすと、ハクビシンは甲高い声で語り始めます。
「九年も前、赤ん坊のカズトを抱いたお母さんが、この家に引っ越してきました。カズトがいると家がずいぶんにぎやかなので、あたしも屋根裏からよく下におりて見守っておりましたよ。何年かたつと、カズトもお母さんも、昼間は家にいないようになったので、あたしはずいぶんさびしい思いをしました」
教頭先生は、カズトは保育園や学校に、お母さんは仕事に出かけるようになったのだと分かりました。
「朝でかけていったカズトは、夕方には帰ってきます。家にはたいてい食べものがあるので、カズトは自分でそれを出して食べていました。でも、最近、お母さんがあまり家に帰ってこなくなったのです。今だって、もう一週間も顔を見ていません。おしゃべりの相手がいないので、カズトは何もしゃべらなくなってしまいました」
「おしゃべりの相手なら、あなたがいるのでは?」
ハクビシンは、あわてて首を振りました。
「とんでもない、あたしなんかが話しかけにいったら、カズトはたいへんびっくりするか、あたしを追いかけ回すに決まっております」
「そんなことはないと思うけどなあ……」
ハクビシンは、背中のふさふさした毛をかきわけ、大きな傷を見せました。
「今のカズトと同じくらいの年の男の子に、石をぶつけられたのです。とっても痛かった。だから、あたしはよっぽどのことがないかぎり、人間に近づいたり、しゃべったりはしないようにしております」
ハクビシンは、ため息を一つついてから、教頭先生も人間であることを思い出したようでした。先生をじっと見上げ、ぶるぶるっと身震いをしたかと思うと、屋根裏に駆け上がってしまいました。
教頭先生は、下へ戻り、カズトとアニメをいくつも見ました。そして夕方になると、カズトに言いました。
「今度は、先生の好きなものを、一緒に見に行こう」
カズトがうなずきます。二人は手をつないで、外に出ました。夕焼けはすでに真っ黒な夜にかわりつつあります。
「これから、星がたくさん見えるようになる。星がつくるもようは、星座といって、春夏秋冬でそれぞれちがうんだよ。絵本を探すのはうまくないけど、星座を見つけるのは先生得意なんだ」
先生はカズトに、星座の見つけ方を教えました。
「カズトくんは絵本の人探しが上手だし、先生は星を探すのが得意だ。そんな風に、いなくなった人を探すのが得意な人たちもいるんだよ。今から、その人たちに会いにいこう。お母さんを見つけてもらうんだ」
カズトは答えませんでした。ただ首をぐっとそらし、夕空を見上げています。教頭先生も、それっきりだまって、星を探すことにしました。
あ、と小さな声が、カズトの口からもれました。
「あった! 星」
カズトの言う通り、空に小さな星が一つ、輝いています。




