第一章 にじ
四月は、新しい一年が始まる月です。
天神杜小学校にも、たくさんの一年生が入学してきました。まだ幼稚園や保育園を卒園したばかりの小さな子どもたち。ぴかぴかのランドセルを背負い、真新しい服を着て登校してきた彼らは、まず教室に集められ、初めて顔を合わせるクラスメイトたちや、きょろきょろとしきりにあちこちを見回しながら体育館に並んでいます。先生の誰かがこほんとせきばらいをすると、一年生たちは一斉にそっちを向きました。
校長先生がお話している時、体育館に迷い込んだ黒猫が一声鳴きました。みんなわっと喜んで、そっちに走っていきそうになります。担任になる先生たちは、一年生の列をなんとかみださないようにと、たびたび子どもたちに
「元の列にもどりましょう!」
と言いました。
入学式には、新入生のお父さんお母さんも参加しています。これから、お母さんたちにとっても、子どもたちにとっても、全く新しい生活が始まるのです。
はじめての学校、はじめての教室、はじめての校庭。はじめての授業に、はじめての休み時間。六年生が配ぜんしてくれたはじめての給食は、白ご飯にオムレツとサラダ、おみそ汁でした。子どもたちは新しい友達と、優しくて、でもみんながさわぎすぎてしまった時にはちょっぴり怖い先生に、早々となじんでいきました。
けれど、たった一人、ユウキ君という男の子だけは違いました。
「ママがいない!!」
入学式の次の日、ユウキ君は、お母さん抜きで学校にいることがさみしくてさみしくって、大きな声で泣きました。びっくりして、周りのクラスメイトが見ています。担任のミヤシタ先生が駆けつけて、やさしくユウキ君を励ましてくれましたが、ユウキ君の不安は収まりません。
「ママ、ママ」
いっしょうけんめいママを呼び、いっそう声を張り上げて泣くのでした。
ユウキ君は、はじめての場所がすごく苦手でした。公園も、ショッピングセンターもレストランも病院も、おばあちゃんの家ですら、家とちがう場所であるということがたまらなく怖いのです。お母さんにぴったりと抱きついて、やっと知らない場所を通ることができるようになるのです。
幼稚園に通い出したころもなかなか慣れることができなくて、しばらくはお母さんと一緒に幼稚園で過ごしていました。同じ組のお友達や、幼稚園の先生たちともおしゃべりできるようになったのは、一月も経ってからです。
入学式の前、お母さんはユウキ君のそんな気持ちを心配して、何回も二人で学校に足を運びました。そのうちユウキ君は、お母さんと一緒に学校に来ることに慣れたはずでした。けれど、お母さんなしで学校に来ると、どうしても怖くなってしまうのです。
知らないクラスメイトも、先生たちも、いじわるそうな顔をした同級生たちも、おばけに引っ張りこまれるから近づいちゃいけないと忠告された大きな鏡も、わがもの顔で校舎のまわりを歩き回っている小さな動物たちも――何もかもが、ユウキ君にとっては恐ろしいものでした。
担任のミヤシタ先生は、すっかり困ってしまいました。お母さんに連絡をすると、その日はあわてて学校まで来てくれたけれど、いつまでもいてもらうわけにもいきません。
ユウキ君に、学校の楽しさを知ってほしい――昼休みに、ミヤシタ先生はそう職員室でこぼしました。
ユウキ君以外の一年生たちは、あっという間に友達同士になって、今も校庭で遊び回っています。ユウキ君はママと一緒に早退してしまって、その中にいないのが心配でした。
「困ったもんだね」
年配のタカギ先生が、ため息をつきます。
「まあ、すぐ慣れるでしょ。いつまでもママにべったりじゃありませんよ」
と、五年生の担任をしているハナムラ先生が言いました。
「それにしても、最近の子どもはすごいですね。ママがいない、とは」
呆れたように言ったのは、陽気なキタ先生でした。
コーヒーを飲みながら話を聞いていた教頭先生が、ふとにっこり笑ってミヤシタ先生に言いました。
「ミヤシタ先生――久しぶりに、『にじ』をしましょうか」
その言葉に、職員室中の先生が反応します。
「いいんですか?」
ミヤシタ先生は、眉を下げて伺いをたてます。教頭先生は、大きくうなずきました。
「もちろんですとも。にじは、みんなのためにあるんですからね」
それから、先生たちは集まって、こそこそと相談を始めます。
次の日の朝、固くこわばった顔でお父さんの車から降りてきたユウキ君に、駐車場まで迎えにきたミヤシタ先生が言いました。
「ユウキ君、今日は、先生とゲームをしよう」
「ゲーム?」
ユウキ君が、不安そうに首をかしげます。
「そう、ゲームだよ。あのね、ユウキ君にこの学校のひみつを教えてあげる。ちょっと耳を貸して」
ユウキ君は、すなおに耳を向けました。かがみこんで、先生はささやきます。
「学校の中にね、赤、黄、青、緑、四色のにじがたくさんかくれているんだよ。今日は、それを探して、見つけよう」
「にじ?」
ユウキ君が不思議そうに聞きました。
「そう、にじ。それを見つけたら、いいことがあるのよ。さ、行こう」
けれどもユウキ君は、まだ心細いのか、その場で先生を見上げるばかりです。そんなユウキ君の背後で、お父さんが車を発進させ、行ってしまいました。きっと、会社に向かったのでしょう。
その時、ユウキ君の目の前を、小さなチョウがひらひらと飛んでいきました。それだけなら、春のこのごろはよくあることです。けれどそのチョウの羽は、べらぼうにあざやかでした。赤、黄、青、緑の四色が並んで、まるでパッチワークのキルトみたいです。
「にじ……」
思わずつぶやいたユウキ君に、ミヤシタ先生は笑いかけました。
「一つ目のにじだね!」
ユウキ君の固い表情が、少しやわらかくほころびました。こくんとうなずくユウキ君の後ろを、にじ色のしっぽをふりふり、猫が走っていきました。
時刻は、そろそろ一時間目が始まるころになりました。けれど、ユウキ君とミヤシタ先生は、二人で静かな廊下を歩いています。
「あっ!」
不意にユウキ君がさけんで、廊下の壁に張り出されたポスターを指さしました。食生活のパランスのポスターに、マジックで小さなにじが描き足されています。
「見つけた! これ、にじでしょ?」
「ほんとだ! すごいね、ユウキ君!」
ほめられて、ユウキ君はうれしそうに笑いました。
階段の踊り場、理科室、音楽室、図書室、職員室……いろんな部屋を回り、ユウキ君はにじをみつけていきます。えがかれたにじもあれば、おり紙で作ったにじ、図工室にかざられたにじ色の石、にじ色の熊のぬいぐるみもありました。
ユウキ君はだんだん、見つけるのが上手くなっていきます。いきいきと学校の中を見回して、時にはぱっと駆け出し、見つけたにじのところに先生を連れていこうとしてぐいぐいと手を引っ張りました。静かな校内に、ユウキ君と先生の笑い声が響きます。
「ユウキ君、今度は、私たちの教室に行ってみようか」
「うん!」
ユウキ君は、一年一組の教室に入ると、「あれ?」と言いました。
「みんながいない……」
ミヤシタ先生は、言いました。
「ユウキ君、今度は、一番大きなにじを見つけに行こう」
ミヤシタ先生は、ユウキ君と一緒に階段を登り、三階の廊下の窓をがらりと開けました。
「下を見てごらん!」
ユウキ君が窓から見下ろすと、広い校庭に全校生徒や、教頭先生をはじめとする先生たちが集まっていました。みなそれぞれ、赤、黄、青、緑のタオルや旗を振り回して、ユウキ君に合図をしています。
「ユウキくーん!!」
校庭の生徒たちは、ユウキ君が顔を出したのに気がついて、大声で呼びかけました。
ユウキ君は、びっくりしてみんなを見下ろしながら、言いました。
「にじだ!」
ミヤシタ先生は、その後ろでにっこり笑います。校内のにじを探し回るユウキ君に気づかれずないよう、全校生徒がこっそり校庭に出て、四色の団旗やタオルでにじを作る作戦でした。
「ユウキくーん!! これから、いっぱい楽しいことをしようー!」
そうさけんだのは、六年生の赤団団長です。それにあわせて、一年生や上級生たちもわいわいさわぎながら飛びはねます。
ユウキ君が、ミヤシタ先生を振り向きました。その目は、星のようにきらきらと輝いています。
「先生! ぼくもみんなのところにいっても、いい?」
「もちろん!」
ユウキ君とミヤシタ先生は、手をつないで階段をかけ下りました。




