40話 思い出話
今回もお楽しみください。
それからしばらくは、二人で黙ってサンドイッチを食べていた。
さっきまであれだけ騒いでいたのに、急に静かになると少しだけ落ち着かない。
……いや、落ち着かないっていうより『言葉を選んでる』って方が俺たちの状況には近いかもしれない。
「ふぅ、ごちそうさま」
最後の一口を飲み込んで、軽く手を合わせる。
「……おそまつさま」
ノエルも小さく返す。
バスケットの中身は、既に空になっていた。
さっきまでのやり取りが嘘みたいに、きれいに片付いている。
「思ったより食ったな~」
「そりゃそうでしょ、男の子なんだからあれくらい食べて貰わなきゃ困るわよ」
「でもノエルは少食だったな、調子悪いのか?」
「ふふ、私はいいのよ」
小さく笑う。
やっぱり女の子というのは体型とか気にするものなのだろうか。
俺からしたらノエルはスリムだし、全然食べても良いと思うんだけどな。
「ふぁぁ……食べたら眠くなってくるよな」
「そうね、でも寝てもいいわよ。暗くなる前に起こしてあげる」
「そんなことするかよ」
そう言って、なんとなく空を見上げた。
雲がゆっくり流れている。
風もさっきより少しだけ穏やかになっていた。
「……昔も、こういうことしてたよな」
ふと、口から出た。
「こういうことって?」
「いや……飯っていうか」
少し考えてから、言い直す。
「教会を抜け出してさ、そのまま遊んで……みたいな」
俺たちにとっての教会は、ある意味学校のようなもので、聖堂とはまた別の部屋で子どもたちが集まり、勉強をする場所にもなっていたのだ。
そこではノエルが一番マジメで、先生みたいな奴だった。
「アンタが勝手に抜け出すから、私が追いかける羽目になったんじゃない」
「あれ、そうだっけ」
ノエルがため息をつき、少しだけ目を細める。
「はぁ……そうでしょ、それで追いかけっこみたいになって、ライルが川でびしょ濡れになったり」
「してたな」
苦笑しながら頷く。
「あとさ、覚えてる? 裏庭の干し草の山」
「ああ」
ノエルが少しだけ顔を上げる。
「アンタが勝手に登って、そこから飛び降りようとしてたやつ」
「そんなことしてたか?」
「してたわよ。しかもこれくらい余裕とか言って、飛んでた。」
少しだけ考える。
……やってたな。残念な記憶を思い出す。
「……まあ、若気の至りってやつだ」
「子どもでしょ、あの時」
「どっちでもいいだろ」
ノエルが小さくため息をつく。
「で、結局足ひねって、そのまま大人に怒られてたじゃない」
「あー……それでノエルが隣にいてくれたっけ」
思い出した、ノエルが俺をその場で看病してくれたっけ。
心配そうに俺のケガを眺めては、泣きそうになっていた。
まるで自分のことのように、ずっと面倒見の良い性格だったんだよな。
「その後、お前も一緒に怒られてたんだよな」
「巻き込まれただけよ」
「逃げればよかったのに」
「逃げたら余計に怒られるに決まってるでしょ」
即答だった。
相変わらず、マジメなところは変わっていなさそうだ。
「ほんと、あの頃から変わってないわね」
「どっちがだよ」
「ふふ、どっちでもいいわよ」
少しだけ笑ったノエルは、どこか大人びていて。
俺は見惚れそうになる。
「……まあ、そうかもな」
あの頃も、今も、結局こうやって言い合ってる。
違うのは——少しだけ、間を空けてしまったことくらいか。
「でも」
ノエルがぽつりと続ける。
「昔の方が、もう少し単純だったかも」
「単純?」
「ええ、やりたいことがあったら、そのままやってたし」
少しだけ遠くを見る。
その言い方が、どこか引っかかった。
「……今は違うのか?」
何気なく聞いたつもりだった。
けど、口に出してから少しだけ違和感を覚える。
なんというか、踏み込みすぎた気がした。
「違うわね」
ノエルは、あっさりと答える。
迷いのない声だからこそ、余計に気になった。
「なんでだよ」
「なんでって……色々あるのよ」
ノエルは少しだけ言葉を探すように視線を落とす。
俺はその言葉に引っかかった。
けど、無理に聞き出すのも違う気がしたので、聞かないことにする。
さっきまでの懐かしい話とは違う、少しだけ重たい空気。
でも、それを壊す言葉も見つからなくて。
結局、どっちも黙ったまま、同じ方向を見ていた。
「……昨日の森の話だけど」
ノエルが、ぽつりと続ける。
「迷いの森か?」
「ええ、昔はあっちの方まで行こうなんて思わなかったのに……でも」
少しだけ、言葉が止まる。
「欲しいものがあって」
「欲しいもの?」
思わず聞き返す。
ノエルは、ほんの一瞬だけこちらを見て——
「……ううん、大したものじゃないの」
首を振った。
「大したものじゃないのに、あそこまで行こうとしてたのか?」
「……そうね」
答えない。
そのまま、少しだけ視線を逸らし
「危ないのは分かってるし」
ぽつりと続ける。
「普通なら、行かない」
「なら——」
そこまで言いかけて、止めた。
俺に言う資格があるのか、分からなかったからだ。
「……」
ノエルも何も言わない。
ただ、指先で草をいじっている。
さっきまでの軽い空気とは違う、少しだけ重たい沈黙。
「ねぇ」
ノエルは一瞬だけこちらを見て——
「ねぇ、もしさ、もしもだよ?」
「うん?」
妙にこちらを気にしている。
だけど、言葉が出るのはすぐだった。
「ライルだったら、一緒に来てくれた?」
少しだけ、時間が止まった気がした。
風の音だけが、やけに大きく聞こえる。
「危ないところだけど、行きたいって言ったら」
「……」
すぐには答えられなかった。
来てくれたか、なんて簡単な問いのはずなのに、頭の中でいくつかの答えが浮かんでは消える。
軽く「行く」と言うこともできる。
でも、それは俺の中では違った。
あの森の空気を思い出す。
あそこに踏み込むっていうのは、ただの散歩とはわけが違うからだ。
「……どうだろうな」
曖昧な言葉が出てしまった。
その理由は分かってる。だけど、ノエルには言うわけにはいかない。
「多分、止めてたと思う」
少しだけ間を置いて、そう続ける。
「危ないって分かってるなら、なおさらな」
「……そっか」
ノエルは、短く頷いた。
それだけだった、それだけなのに。
ほんの少しだけ、ノエルの肩が落ちたように見えたのは、気のせいじゃないと気がした。
「……」
何か言おうとする。
口を開いて、でも言葉が出てこない。
違う言い方があった気がする。聞いてあげるべきこともあった。
もっとちゃんと言葉を交わすことができた気がする。
でも、タイミングを逃してしまった気がして、言えないでいた。
「……ね」
ノエルが、もう一度口を開く。
さっきより、少しだけ小さな声で。
「本当は、ね?」
そこで、言葉が止まった。
ほんの一瞬だけ、こちらを見る。
彼女は何かを決めかけて、やめた。
「……やっぱり、なんでもない」
また、ふいっと視線を逸らすのだ。
「いやいや……なんでもない、って顔じゃないだろ」
「いいのよ、ほんとに」
軽く笑ってみせる。
けど、その笑い方は少しだけぎこちなくて。
「ただ、ちょっと聞いてみただけ」
「……そうか」
それ以上は踏み込めなかった。
踏み込めば、何かが変わってしまう気がしたから。
悪い方向にかどうかは、分からないけど。
「やっぱり、ノエルは優しい奴だよな」
「え……?」
思ったことを素直に言った。
けれど、すぐに誤魔化す。
「いや、何となくそう思っただけだ」
「どこがどうなってそうなるのよ」
「確かにな、はは」
真面目で、曲がったことが嫌いで、常に周りをちゃんと見ている。
だから損をすることは多少あるだろう。
コイツのそういうところは変わらず、俺は好きだ。
「……俺もさ」
ぽつりと、言葉が漏れる。
自分でも驚くくらい、小さな声だった。
「ん?」
ノエルがこちらを見る。
「……いや」
そこまで言って、止める。
今なら言える気がした。さっき言えなかったことも、ずっと引っかかってることも。
けど……それを言うには、まだ足りない気がした。
自分の中で、整理できてないものが多すぎる。
こんな中途半端な状態で言葉にしても、きっとちゃんと伝わらない気がした。
「……なんでもない」
結局、同じ言葉で引っ込めた。
「はぁ、なによそれ」
ノエルが少しだけ不満そうに言う。
「お前と同じだよ」
「同じじゃないわよ」
「同じだろ」
軽く言い返す。
ノエルは一瞬だけむっとして——それから、小さく息を吐いた。
「……まあ、いいけど」
そう言って、また前を向く。
その横顔は、さっきより少しだけ静かで。
でも、どこか納得していないのは同じだった。
「……」
風が、草を揺らす。
さっきより少しだけ、冷たく感じた。
言えなかった言葉が、胸の奥に残ったまま。
分かっている、俺には自信がないだけなんだ。分かっているけれど、どうすることもできなくて。
ずっと、ノエルと一緒に並んで座っていた。
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