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38話 一週間

今回もお楽しみください。

 初日は怒られっぱなしだった。


「だから違うって言ってるでしょ、その袋は大きすぎ」

「え、でもこれ、パン三つ入れるなら……」

「二つよ。三つは入れすぎ」


 ぴしゃりと切られ、俺は悲しくなる。


「……細かいな」

「雑なのよあんたが、お客さんの気持ちを考えなさい。家に着いてパンが潰れでもしてたらどうするの」


 ノエルはそう言いながら、俺の手元から袋を取り上げると、慣れた手つきでパンを詰め直す。

 無駄がない。見ていてちょっと気持ちいいくらいだ。


「ほら、これでいいでしょ」

「……確かに綺麗だな」

「でしょ?」


 少しだけ得意げな顔をする。

 ……まあ、悔しいが、こういうのは完全に向こうの方が上だ。

 そんなやり取りを見ていた老夫婦は、微笑ましい表情で尋ねてくる。


「ふふふ、ライルさんはここ初めて?」

「あぁ……今日が初日で、休んだバイトの代わりに手伝ってて」

「そうなのね、じゃあ頑張ってくださいな」


 俺にエールを送って、お客さんは去っていった。

 少しだけ恥ずかしい。

 だけど、そんな気持ちを抱く暇もないらしい。


「次のお客さん来てるわよ」

「え、あ、はい!」


 慌てて向き直る。


「い、いらっしゃいませ~」

「ぎこちないわね」

「しょ、初日だぞ」


 小声で返しつつ、パンを受け取る。

 やっぱり向いてないんじゃないか……?

 そう思いながら何とか初日と二日目のスパルタ研修を乗り切り、三日目がやってきた。


「はい、これで全部ですね」

「ありがとうねえ」


 会計を終えたお客さんが、にこにこと帰っていく。

 その背中を見送りながら、ふう、と息を吐いた。


「……慣れてきたじゃない」

「まあな、ノエルの厳しい指導のおかげだ」


 ノエルがちらりとこちらを見る。


「最初はどうなるかと思ったけど」

「ひどい言い草だな」

「事実でしょ」


 否定できないのが悔しい。

 袋詰めでパンを落としかけるし、計算を間違えかけるし、挨拶も出来ない。

 まぁ、全てノエルが未然に防いでくれたので何とかなった。

 逆に全て防いだノエルの力量が計り知れない。


「でも、思ったよりちゃんとやるのね」

「いや……大体がお前のおかげだろ」

「そうかしら?」


 軽く肩をすくめると、ノエルが小さく笑った。


 そのタイミングで、店の扉が開く。


「お、やってるやってるー」


 軽い声が先に響いた。


「……本当ですわ、ちゃんと働いておりますのね」


 少し遅れて、もう一人落ち着いた声が重なる。


「げっ」


 思わず声が漏れる。

 入ってきたのは、セラとマリーだった。


「“げ”とは何ですの、“げ”とは」

「ひどくない? わざわざ見に来てあげたのにさー」


 セラは楽しそうに笑いながらこちらに歩み寄り、マリーは一歩引いた位置からじっと観察するように見ている。


「ライルくんが店番してるって聞いてさ」

「お前が依頼したんだろ」

「え、どうだったかなぁ?」


 なんてわざとらしい態度だ。

 マリーも俺の様子にとても興味津々のようで


「これは見逃せませんものね!」


 完全に面白がっている。


「お前らな……」

「ほんとに働いてるんだね、偉い偉い」


 セラがからかうように言う。


「ふふ、なかなか貴重な光景ですわね」


 マリーは満足そうに頷き、続ける。


「可愛くて似合ってますわよ、そのエプロン」

「やめろ」


 俺は即座に否定するが、ノエルの方がくすっと吹き出した。


「確かに、最初よりは見慣れてきたわね」

「お前も乗るのかよ」


 完全に囲まれている。


「いいじゃない、ちゃんと働いてるんだから」

「ええ、むしろ誇るべきですわ」


 セラのからかいに対し、マリーが追い打ちをかける。


「それはそうだけどな……」


 なんだかんだで、悪い気はしないのがまた面倒だ。


「それで?」


 ノエルが一歩踏み込む。


「二人はどこまで進みましたの?」

「何がだよ」

「何がって……ねえ?」


 わざとらしく、セラがノエルを見る。

 その視線を受けて、マリーも口元に手を当てた。


「好敵手と書いてライバル。その方の動向は、気になりますわね……」

「な、何も進んでないわよ!」


 ノエルが慌てて否定する。

 その様子が危なっかしかったので、俺もフォローを入れた。


「進んでるもなにも、ただバイトしてるだけだよ」

「裏では何もしていないんですの?」

「してるわけねえだろ、ここパン屋だぞ」


 そう告げると、マリーはがっかりした。


「ざ、残念ですわ……」

「残念って言うな」


 軽口の応酬に、ノエルが深くため息をついた。


「はいはい、冷やかしはいいから、パン買うなら買って帰りなさい」


 少し強めの口調。


「はーい」

「では、遠慮なく」


 二人はようやく棚の方へ向かう。

 会計をし、その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。


「まったく、何をしに来たんだよ」

「ほんとよ」


 ノエルも同じように息を吐く。

 一瞬だけ視線が合う。

 すぐに逸らされるけど、その一瞬で、さっきまでの空気が少しだけ緩んだ気がした。


「でもまあ、仕方ないよな」

「え、えぇ……仕方ないわよ、コリンズが風邪なんか引くから……まったくもう……」


 ノエルがぽつりと呟く。

 なんだかまんざらでもなさげな様子。

 騒がしいし、面倒くさいし、落ち着かない。

 けど、どこか妙に楽しい気持ちがあった。




 ——五日目。


「ライル、そっちお願い」

「分かった」


 言われる前に体が動く。

 棚の補充、袋詰め、会計。

 流れはもう完全に頭に入っていた。


「……なんか、普通に回ってるわね」

「失礼だな」

「いや、褒めてるのよ?」


 ノエルはそう言って、少しだけ目を細める。

 その顔が、どこか楽しそうで。

 ——ああ、そうか。

 この感じ。

 昔、こうやって何でもないことで言い合ってた時と、似ている。


「はい、これでお釣りです」

「ありがとうねえ」


 また一人、お客さんが帰っていく。

 そして次のお客さんがやってきた時だ。


「ほんと、いい旦那さんねえ」

「ぶっ——!?」


 ノエルが盛大にむせた。


「だ、だだだ、旦那って誰のこと!?!?」

「あら違うの?」

「ちち、違うに決まってるじゃないですか!」


 慌てて否定する。

 ノエルがお客さんに対し、そっぽを向いた。


「た、ただの手伝いですからっ!」

「そうそう、そういうことなんで」


 乗っかり、フォローを入れないとノエルがテンパってしまう。

 それは年頃の娘のように見えたのか、お客さんはにやにやした視線を向けた。


「へえ、そうなのねぇ」


 これ以上は何も言われなかった。

 その代わり、店を出るときにひとこと。


「お似合いだったわよ〜」


 なんて言い残していった。


「……勘弁してよ、もう」


 ノエルが思わず額を押さえる。


「気にしすぎだって」

「気にするだろ普通」

「いちいち反応するから面白がられるんだよ」


 さらっと言われて、ぐうの音も出ないようだ。


「……分かった、否定はしない」

「だろ?」


 そのまま、何事もなかったように作業に戻った。

 俺は耳を触ってみると、ほんのり熱くなっていることが分かる。


「いやいや、俺も考えすぎだ」


 軽く頭を振る。

 そしてまた、何もなかったかのように振舞った。



 ——そして、最終日がやってきた。


「はい、これで最後」


 ノエルがパンを並べ終える。


「おう」


 俺も最後の籠を置いて、軽く伸びをした。


「……終わったな」

「終わったわね」


 顔を見合わせて、なんとなく笑う。


 最初はどうなるかと思ったが、結局一週間、普通にやり切ってしまった。


「助かったわよ」

「そりゃどうも」


 あっさり言うが、ノエルの声はどこか柔らかい。


「最初は邪魔になるかと思ってたけど」

「最後までそれ言うのかよ」

「結果的には、まあ……悪くなかったわね」


 少しだけ視線を逸らしながら言う。


 その仕草が、らしくて。


「……俺も」


 つい、言葉が漏れる。


「まあ、悪くなかった」


 短く返すと、ノエルがちらっとこちらを見る。


 少しだけ間があって——


「……ねえ、ライル」


 呼ばれる。


「ん?」


 振り向くと、ノエルはなぜか一歩分だけ距離を詰めていた。

 さっきまで普通に話していたのに、急に様子が違う。

 視線が合いそうで合わない。


「その……」


 言いかけて、止まる。

 口を開いては閉じて、何かを探しているみたいだった。


「なんだよ」

「べ、別に大したことじゃないんだけど……」


 軽く促すと、ぴくっと肩が揺れる。

 いつもの調子で言おうとして、でも少しだけ噛んで。


「……一応、お礼くらいはしとこうかなって」

「礼?」

「そう。あんた、一週間ちゃんと働いたし」


 腕を組みながら、少しだけそっぽを向く。


「……だから、その」


 また言葉が詰まる。


 ノエルがここまで言い淀むのは珍しいな、と思った。


「ご飯でも……どう?」

「……ん?」


 一瞬、意味が理解できなかった。


「いや、その……お礼よ、お礼!」


 慌てて言い直す。


「変な意味じゃなくて! ただ普通に!」


 耳が少し赤くなっている。

 それを隠すみたいに、そっぽを向いたまま続けた。


「たまには……外で食べるのもいいかなって」

「……ああ」


 ようやく理解が追いつく。

 つまり——


「……誘ってんのか?」

「ち、違っ……!」


 勢いよく振り向いて、言葉を詰まらせる。


「違くはないけど……!」


 自分で言ってから、さらに顔を赤くした。


「……なんだよそれ」

「た、叩くわよ!」


 どこからか取り出した、いつもの鈍器パンを構えて照れ隠ししている。

 少々怖いけれど、思わず笑いそうになるのを堪える。


「で、どうなのよ」


 逃げ場を塞ぐみたいに、こっちを見た。


「来るの、来ないの」

「行くに決まってるだろ」


 そう返すと、一瞬だけ目が丸くなって、すぐにふっと力が抜けたみたいに息を吐いた。


「……そ」


 短くそれだけ。

 でも、ほんの少しだけ口元が緩んでいる。


「じゃあ、明日でいい? 店は休みにするから」

「いいけど」

「時間は……その、あとで決める」


 少しだけぎこちない。

 けど、それが妙に新鮮だった。


「分かった」


 頷くと、ノエルは「じゃあ」とだけ言って、そそくさと逃げるように片付けに戻った。


「……珍しいな」


 小さく呟く。

 さっきまで普通だったのに、急に距離が変わった気がする。

 いや、変わったというより意識した、かな。


「ノエルのことだしな、きっとお礼だ、お礼……」


 胸の奥が、少しだけ落ち着かない。

 でも悪い感じじゃなかった。


「じゃあ……もうひと頑張りしますか」


 ぽつりと呟いて、俺も片付けに戻る。

 店の中は、いつもより静かで。

 だけどその分、さっきのやり取りだけが、やけに残っていた。


面白い、続きが見たい!思った方は評価、ブクマ、リアクションもよろしくお願いします。

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