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35話 トレント

今回もお楽しみください。

「懐かしい匂いがしたもんでの」

「……匂い?」

「なんじゃろうな……」


 ぐるり、と俺の周りを見回すように枝が動く。


「同じ人間でも、お主はこの辺の土の匂いとも違うし……森の匂いとも違う」


 少し間を置いて、トレントは俺に視線を向けた。


「外の匂い、かのう」

「お、俺か……?」


 思わず言葉に詰まる。


「冒険者か? 警戒心が高く、すぐに臨戦態勢に入ったところを見ると、この辺りの人間とはどこか違う匂いがするわい」


 あっさり言い当ててきた。


「……元、だけどな」

「ほほ、正解とも不正解ともいえんところじゃな」


 満足げに幹を鳴らす。


「長いこと生きておると、そういうのは分かるようになる」


 妙に軽い。

 さっきまでの緊張が、じわじわと抜けていく。

 ……いや、抜いていいのかこれ。


「で、なんじゃ。こんな所まで来て、何をしとる」


 トレントはのんびりと続ける。

 そりゃそうだよな、俺たちはコイツの縄張りに勝手にやってきたようなものだ。

 逆に警戒されてもおかしくはないだろう。


「……石拾いだ」

「石拾い?」


 きょとん、としたような間。


「コイツの材料集めだ、元々は火釜の補強に使うやつを探しててな」

「え、えぇ……気づいたらここまで来てたの」


 ノエルもようやくこの場の雰囲気に慣れたのか、補足する。


「……ほほぉ」


 トレントは関心、納得したように少しだけ沈黙して。


「なんじゃそれは」

「……おい」


 素で言われて愕然とする。

 まぁ、分からなくもないが、何という期待はずれな反応だ。


「いやいや……そんな言い方あるかよ」

「いやのぅ、ここはそんな軽い気持ちで来る場所じゃないんじゃが」

「そうらしいな」


 ノエルが尋ねる。


「迷いの森ってやつよね、村の人から入らないようにって小さい頃から念を押されていたわ」

「うむ」


 ゆっくり頷く。


「普段は誰も来ん、じゃからワシも寝とる」

「寝てたのかよ……」

「気持ちよいんじゃぞ、ここは」

「誇らしげに言うな」


 ついツッコミを入れてしまう。

 まぁこんなに静かで落ち着いた空気では、誰もが眠くなるかもしれない。


「で、今日はたまたま目が覚めたと」

「いや、目が覚めたんじゃなくての」


 トレントは首を振るように幹を揺らした。

 少しだけ、声が変わる。


「呼ばれた、という方が近いかの」

「……は?」


 さっきと違い、ほんの少しだけ困ったような響き。


「もっと他に、迷いの匂いがしたから見に来たんじゃ」

「迷いってどういうことだ?」


 思わず呟く。

 すると、トレントはゆっくりとこちらを見る。


「おぬしらのどちらか、じゃな」


 枝が、軽く俺たちを指す。


「森はの、迷っておる者を嫌わん」


 のんびりとした口調のまま。


「むしろ歓迎する」

「歓迎って……」

「ただし、導きはせん」


 さっきより、少しだけ低い声。


「入ったら最後、勝手に迷い続けるだけじゃ」

「……危なすぎるだろ」

「だから村の人は入っちゃダメって言うのよ」


 ノエルが補足してくれる。


「じゃが、本来ならその前に止めるのが、ワシの役目じゃ」

「だから俺たちを止めに出てきてくれたってことか」

「そういうことじゃな」


 トレントはゆるく頷く。


「気づかぬまま奥へ入る者もおるからの。そういう連中を、ここで引き返させる」


 枝が、森の入口をなぞるように動いた。


「なるほどな、あんたはすごい親切な奴なんだな」


 見た目はデカくて、恐ろしくて逃げてしまう奴も多そうだが。

 確かに、今回はノエルと一緒だったが、俺一人で一歩踏み込んでいたらどうなっていたか分からないしな。

 そう考えると、こういう奴がいるのは心強い。


「じゃが大丈夫じゃ」


 そこで、トレントはほんの少しだけ言葉を切った。


「おぬしは、少し違うな」

「……なにがだ?」


 自然とトレントに視線が向く。


「迷い込もうとしておったというよりは、踏み込む前に自分で止まっておった」

「ん、どういうことだ?」

「進むか引くかで迷っておるのではない。進むこと自体を、どこかで止めておる」


 胸の奥を軽く突かれたような感覚。

 なんだか言葉が出てこなかった。


「ほほ、大した話ではない」


 トレントは、いつもの調子に戻って言った。


「森に呑まれるほどではない。じゃが、放っておけば踏み込む。そういう匂いかもしれんの」

「曖昧だなぁ……」


 軽い言い方なのに、妙に残る。


「まぁ安心せい、まだ入口じゃ」

「そうだな。これから引き返そうと思ってたところだ」


 森の奥はとても暗い。

 ただ暗いだけなのに、妙に引き込まれる。

 さっきよりも、少しだけ。


「ねぇ、トレントさんの言う通り早く引き返しましょう?」

「そうだな」


 ノエルが帰りたそうにしていたので、俺はすぐ頷いた。


「ほほ、賢明じゃ」


 満足そうにトレントの幹が鳴る。


「ではの。また来るでないぞ……と言いたいところじゃが」


 ゆっくりと、顔が閉じていく。

 最後に、少しだけ笑う気配を残して。


「まぁ、来る時は来るじゃろうな」


 そのまま、ただの木に戻った。


「……」


 しばらく、俺たちは立ち止まっていた。

 やがて、我に返った俺は尋ねる。


「なんだったんだ今の」

「さあ……でもびっくりしたわね」

「そうだな、魔物でなければ敵でもない。あれは精霊の類かもしれないな」

「そっか、じゃあ珍しいモノを見れたってことなのね」

「とんでもなく珍しいぞ、まさかこんな所で出会ってしまうとは思わなかった」


 そう言いながら、俺たちは来た道を引き返していった。

 けど——さっき言われた言葉が、妙に頭から離れない。


 進むこと自体を、止めている。

 胸の奥に、引っかかるものだけが残っていた。


面白い、続きが見たい!思った方は評価、ブクマ、リアクションもよろしくお願いします。

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