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34話 迷いの森

今回もお楽しみください。

 川辺に降りてから、どれくらい時間が経ったのか。


「ほら見て、これちょっと形いいでしょ」

「どこがだよ、ただの丸い石じゃねえか」

「こういうのがいいのよ」


 ノエルはそう言いながら、石を指先でくるくると回す。

 最初はただの石拾いのはずだったのだが……


「それも使うのか?」

「使わないわよ、ただちょっと気になっただけ」


 川の流れに引っかかっている細い枝。

 少しだけ色の違う砂。

 水底に沈んでいる、欠けた陶器の破片みたいなものまで拾っては無邪気に笑う。


「おいおい荷物が増えるだろうに」

「いいじゃない、今日は丁度良い荷物運びがいるんだから」

「運ぶなんて一言も言ってないぞ」


 まったく、調子を戻したと思ったらこれだ。

 だけどふと、懐かしい感覚が胸の奥に浮かんだ。


 子どもの頃。

 意味もなく川に入って、石を拾って。

 変な形のものを見つけては、これが“宝だ”なんて言い張ってた。


 今思えば、何が宝だったのかなんて分からない。

 けど、あの時は確かに本気で探していた。


「……」


 手の中の石を、軽く放る。

 同じことをしているはずなのに、あの頃とはどこか違う。

 いや、もしかしたら違うのは俺の方かもしれない。

 そんなことをぼんやり考えていた、その時だった。


「……この辺りでいいかな」


 ノエルが立ち上がる。

 手についた水を軽く払って、くるりとこちらを振り返った。


「いいかなって……さっき奥にいいのあるって言ってなかったか?」

「言ったわね。でも、もういいかなって思ったの」


 あっさり頷く。


「雑すぎないかその判断」

「いいのよ。これ以上行っても似たようなのしかないし」


 そう言いながら、ちらっと森の奥に視線を向ける。

 つられて、俺もそっちを見た。


 木々が密集していて、奥はほとんど見えない。

 光も届かず、昼間だというのに薄暗い。

 さっきまでの川辺とは、明らかに空気が違っていた。


「そもそも、この辺あんまり来ない方がいいのよね」


 ノエルが軽く腕を組む。


「なんでだよ」

「ここから先、昔から迷いの森って呼ばれてるから」

「迷いの森?」

「うん、入ると迷うから」

「そのまんまだな!?」


 あまりにも雑な説明に、思わずツッコむ。


「いや、もっとこう……あるだろ。由来とか」

「知らないわよそんなの」


 興味なさげに肩をすくめる。


「とにかく昔から入るなって言われてる場所なの。村の人も基本近づかないし」


 ……なんか、聞いた気もするんだけどな。

 俺が忘れていただけなのか、そんな森があったかなと考えたけれど、思い出せないのでそのままにしておいた。


「大丈夫よ。まだ入口手前だし」

「その“まだ”が一番怖いんだが……」


 そう言いながら、改めて周囲を見渡すと、さっきまでの気配が妙に薄かった。

 鳥の鳴き声や、風に揺れる葉音もどこか遠い。


「……なんか、嫌な感じするな」

「でしょ?」


 ノエルはあっさり同意する。


「だから帰るの。今日はここまで」

「最初からそうしてくれ」


 ため息混じりに言う。

 そのまま踵を返そうとした——その時だった。


 ——ぎし。


 足が止まる。

 今の音はなんだろうか。

 重く、軋むような音。


「え、今のなに」


 ノエルも気づいたらしい。

 視線が自然と、森の奥へ向かう。


 ——ぎし、ぎし。


 今度ははっきり聞こえた。

 風はないのに、木が動いているような音だけが響く。


「ノエル、俺の後ろに隠れろ……!」

「え、あっ……」


 少しだけ魔物の気配を感じた。

 だけど、敵意を感じない。だからこそ厄介で、俺の一番嫌なパターンだ。


 何をしてくるのか分からない。

 いや、そもそも何もしてこない可能性すらある。

 判断がつかない相手。


 冒険者時代、こういう相手ほど危険だと叩き込まれてきた。

 無意識に腰へ手をやりかけて——止まる。


 武器はない。

 舌打ちを飲み込み、代わりに一歩前に出た。

 その瞬間。


「……誰じゃ……こんな時間に」


 間延びした声が、森の奥から響いた。


「……んなっ!?」


 間の抜けた声が出る。

 次の瞬間ぎし、と重たい音を立てて木が、動いた。


 目の前の大木の幹が、ゆっくりと歪む。

 節が裂けるように開き、その内側から顔が浮かび上がった。

 深くえぐれたような窪みが目になり、裂け目のような口が形を取り、枝がのそりと持ち上がる。


 ……デカい。それに相手の力量が分からない。

 ノエルを守りながら逃げることは出来るか、そう考えている時だった。


「ふぁぁ……なんじゃあ……こんなとこまで来るやつがおるとはのぉ……」

「……え?」


 間の抜けた声が出る。

 敵の作戦のつもりか、完全に警戒態勢が解かれてしまった

 その木は、眠たそうに枝を揺らしながらこちらを見下ろしている。


「おぬしら、人の子……じゃな」

「……そうだが」

「ほほ、そう構えるでない」


 のんびりとした声で、こう続けた。


「別に取って食おうなんて思っとらんわい」

「本当か……?」

「当たり前じゃ、なんでおぬしらを襲わねばならぬ」


 枝がひらひらと揺れる。

 まるで「落ち着け」とでも言うように。

 少なくとも敵意はなさそうだ、今のところは。


「……お前は何なんだ?」


 それでも、すぐに警戒を解く気にはなれなかった。

 こんなものは滅多に見たことがない。

 魔物とも精霊ともつかない相手に、のんびりした口調で話しかけられても、はいそうですかと信じられるほど、俺はお人好しじゃない。


 そう低く問いかけると、その大木は、幹をぎしりと鳴らして少しだけ胸を張るような仕草を見せた。


「わしはトレントと呼ばれておる」

「トレント……?」

「うむ。この森の主みたいなものじゃな」


 ずいぶん軽く言う。


「みたいなものって、なんだよ」

「この森に入る者がいないか見張っている、まぁ番人みたいなものじゃな。長いことここにおるし、大体そんな感じじゃ」


 ざっくりしすぎている。

 けれど、冗談で言っている感じではない。

 ノエルも俺の後ろからそっと顔を出し、その巨大な木を見上げていた。


「森の主って……そんなの初めて聞いたわ」

「そりゃあ、言わんからの」


 トレントは、どこか眠たそうに答える。


「普段は誰も来んし、わしも寝ておる。わざわざ名乗る機会もない」

「寝てたって、本当に寝てたのかよ……」

「気持ちよいんじゃぞ、この辺は。涼しいし静かじゃし」


 妙に人間くさいことを言うな、こいつ。

 だけど、その調子のせいか、さっきまで喉に張り付いていた緊張が少しずつほどけていくのを感じた。


「なんでかのう、目が覚めたのは……うーむ」


 トレントが、ゆっくりとこちらへ顔を寄せる。


「懐かしい匂いがしたもんでの」

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