33話 川辺にて
今回もお楽しみください。
「……は?」
一拍遅れて、状況を理解する。
ノエルはそのまま、腰まで川に浸かった状態で固まっていた。
「おいおい、何やってんだよ……」
「それはこっちのセリフよ!」
即座に怒鳴り返される。
「なんでいきなり声かけるのよ! びっくりするでしょ!?」
「いや普通に呼んだだけだろ……」
言いながらも、手を差し出す。
「ほら、上がれって」
「……」
ノエルは眉間に皺を寄せる。
そして一瞬ためらってから、その手を掴んだ。
ぐいっと引き上げる。
水から上がったノエルの服は、当然びしょ濡れで——身体にぴったり張り付いていた。
「……」
一瞬、視線が止まる。
その瞬間。
「見るな!!」
「ぐはっ!?」
即座に怒鳴られ、拳が飛んできた。
「いって……み、見てねえよ……!」
「嘘つかないで、視線がこっちにあったもの!!」
確かに女子は男が向ける視線に敏感だっていうしな……嘘は良くなかった。
いや、そうはといっても、これは不可抗力だろうに。
というか、見てはいけないという認識はちゃんとある。
誤魔化すのは良くないと思い、視線を逸らしつつ素直に謝った。
「悪い、そういうつもりじゃなかった」
「ほんと最低ね……」
「で、でも俺のせいじゃないだろ……?」
ノエルは髪から水を払いながら、じとっとした目で睨んでくる。
「いきなり来るからこうなるのよ」
「いや、だから普通に呼んだだけだって」
弁解しながらも、なんとなく居心地が悪い。
水音だけがやけに大きく響く。
ノエルは少しだけため息をついてから、濡れた袖を軽く絞った。
「……最悪」
「本当に悪いとは思ってる」
一応謝る。
すると、ノエルはふっと視線を逸らした。
「……まあいいけど」
小さく呟く。
さっきまでの刺すような空気とは、少しだけ違う。
「別に見られても減るものじゃないし、勝手に見れば」
って言いながら胸を手で隠してるよな。
なんて言うと、また睨まれてしまうのは黙っておいた。
「パン屋行ったらコリンズしかいなくてさ、ちょっと来てみたんだ。森の近くにこんな場所があるなんてな」
「そうよ、流れも落ち着いてて水も綺麗なのよ」
そう言って、ノエルはまた視線を足元へ戻す。
川辺の浅瀬には、小さな石がいくつも転がっていた。
その中から、色の違うものや、形の良いものを拾っているらしい。
「何してんだ、これ」
「見れば分かるでしょ。石拾い」
「それは見れば分かる」
「なら聞かないで」
素っ気ない態度は相変わらずだ。
俺は少しだけ眉をひそめて、ノエルの横にしゃがみ込んだ。
「火釜の補強だって?」
「……コリンズに聞いたの」
「ああ」
ノエルは手の中の石をひっくり返しながら、小さく息を吐く。
「たまにあるのよ。雨のあとに川底の石が動いて、使えそうなのが出てくる日が」
「へえ」
「熱に強いのが混じってることあるから」
そう言って、丸みのある灰色の石を見せてくる。
「こういうの」
「俺には普通の石にしか見えん」
「ライルに分かるわけないでしょ」
ぴしゃりと返される。
「やっぱり今日も当たり強いんだな」
「普通よ」
「はは、普通じゃないだろ」
だけど、軽口の言い合いって感じだ。
少し間を置いてから、俺はもう一度口を開く。
「もしかして、セラのことか?」
何となくそう口にしたら、ノエルの手がほんの少し止まった。
「……まあ、そうなんだけど」
ぽつりと、曖昧な返事。
はっきり肯定するわけでもなく、かといって否定もしない。
どこか含みを持たせた言い方だった。
「帰ってきて早々、女の子に手出すとかさ……節操なさすぎない?」
石を指先で転がしながら、続ける。
「はぁ、違うって何回も言ってるだろうに」
即座に否定すると同時に、間の抜けた声が出た。
「手を出したわけじゃないってマリーにも言ったんだがな。嵐で帰れなかったから泊めただけだって」
「ふーん、そっか」
軽い返事。
けど、その視線はまだこちらを見ていない。
「男って、みんなそうなのかなって思っただけ」
「一括りにするな」
ため息混じりに返す。
「俺は違う」
少しだけ強めに言うと、ノエルはちらりとこちらを見た。
「じゃあ、結婚相手にはしないの?」
「いやいや……」
また同じ反応になる。
「なんでそうなるんだよ」
「だって、そういう流れじゃない」
淡々とした言い方。
まるで当然みたいに。
「まぁ……そう思われても仕方ないよな、セラも可愛い奴だし」
少しだけ言葉に詰まってから、俺は視線を逸らした。
「でも、今の俺はそんなつもりない」
ぽつりと落とす。
「っていうか」
一度言葉を区切ってから、続ける。
「そういうこと考える資格も、まだないと思ってる」
自分でも、らしくないことを言っている自覚はあった。
けど、口に出してみると、それが一番しっくりくる。
だって冒険者を辞めて、のこのこ村に戻ってきた俺にそんな資格はあるのかって。
まだ自分の中での清算が出来ていないのだ。
帰ってきて居場所が出来たのは嬉しいけれど、そこまで甘えられるほど、俺は人間出来ていない。
「……やっぱり」
ノエルが小さく呟いた。
「ライルって、そういうとこあるよね」
「なんだよ、そういうとこって」
意味が分からず、顔を向ける。
けど、ノエルはすぐに笑って誤魔化した。
「いや、なんでもない」
あっさりと流される。
なんでもなくないだろ、絶対。
そう思うが、言葉にはしなかった。
代わりに、ノエルは少しだけ肩をすくめる。
「まあ別にいいけど」
淡々とした声に戻る。
「セラでもマリーでも、あんたがちゃんと幸せにしてあげるなら、それでいいわよ」
「いや、だからそういう話じゃなくてだな……」
「でもね」
言葉を遮られる。
「順序くらいは守りなさいよ?」
ぴしっと言い切られた。
「は、はい」
思わず背筋が伸びる。
なんだこの説教。
「いきなり家に連れ込んで、はい一緒に寝ましたーなんて、周りから見たらそう見えるのよ」
ばっさりと言い切るので、ぐうの音も出ない。
「……すみませんでした」
結局、謝るしかなかった。
「でも本当に、そんなつもりは一切ないからな」
念押しするように言う。
ノエルは少しだけこちらを見て、それからふっと息を吐いた。
「……まあ、いいわ。それも分かってること」
「分かってるなら最初からそんな態度取らないでくれ」
「だって分からないじゃない、ライルがどう思ってるかなんて」
さっきまでより、少しだけ表情が緩んでいる。
完全に機嫌が直ったわけじゃない。
けど、どこか引っかかっていたものが一つ外れたような空気。
「ちょっと付き合いなさいよ」
「なんだ?」
唐突に言われて、間の抜けた声が出る。
次の瞬間——ぐいっと、手を引かれた。
「おい、なに——って、おい!?」
言い終わるより先に、足元が不意に滑った。
ぐらり、と体勢が崩れる。
次の瞬間。
——ドボンッ!!
盛大な水音が響いた。
「……っぶは!?」
冷たい水が一気に押し寄せてきて、思わず息を吐き出す。
川の浅瀬とはいえ、勢いがついたせいでしっかり浸かった。
……びしょ濡れである。
「な、なにするんだよ!?」
顔を上げると、目の前でノエルがくすっと笑っていた。
「お返しよ」
悪びれもなく言う。
「さっきの仕返し」
「いや俺は落としてないだろ!?」
「結果的にそうなったんだから一緒でしょ」
理不尽すぎるけれど
「……はぁ」
思わず、ため息が漏れる。
服は完全に濡れて、足元から水が滴っている。
最悪だ。
……最悪なんだが。
「ふふっ……」
ノエルは、さっきより少しだけ楽しそうな顔をしていた。
あの妙に冷たい空気は、もうない。
「文句ある?」
「あるに決まってるだろ……まあいい」
これで機嫌が戻るなら、安いもんだ。
そう思ってしまった自分に、少しだけ苦笑する。
「くすっ……こんなに濡れちゃって」
まるで出来の悪い、憎めない弟でも見るような目で笑う。
それを見て、なんとなく肩の力が抜ける。
さっきまでのぎこちなさが、少しだけ流れていく。
「ほら」
ノエルが、くいっと顎で上流を指す。
「さっき言ったでしょ、もう少し奥にいい石あるのよ」
「……今の流れでそれかよ」
「何よ、不満?」
「いや……分かったよ」
結局、断る理由もない。
というか、もうこの流れで帰れる空気でもないからな。
「付き合ってやる」
「“やる”じゃないでしょ」
すぐに返される。
「はい、ノエルさんに付き合わせてください。お願いします」
「やれば出来るじゃない」
さっきより、少し柔らかい言い方。
「……はいはい」
「あ、今なにか言った?」
「いえー、滅相もございませんー」
適当に返しながら、立ち上がる。
水を踏みながら、ノエルの後ろをついて歩き出した。
濡れたままの足音と、水の音が重なる。
さっきより少しだけ近くなった距離で。
俺たちは並んで、上流へと向かっていった。
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