↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/50

16話 グロウルベア

今回もお楽しみください。

 目を凝らすと、畑の端に、黒々とした毛並みの巨大な獣が立っていた。


「グルルルル……!」


 体高は二メートルを超え、たるんだ腹部とは裏腹に、前肢の爪は鋭く、目は金色に光っている。

 長い鼻先と独特のうねるような唸り声。



 あれは——《グロウルベア》。

 ルルリアの果実を好む、熊に似た魔物だ。

 基本的には温厚で、果実を食べたら満足して山に帰っていく。

 農家たちもそれを知っているから、無理に追い払ったりはしない。

 ただ一つ——絶対に、刺激してはならない。


「えいっ!」


 しかし、時すでに遅し。

 マリーが手近な石を拾い、獣に向かって思い切り投げつけた。


 ——カツンッ!


 乾いた音と共に、石がグロウルベアの頭部に当たる。


「よしっ……!」


 よし、じゃねえよ……!? と俺は思わず息をのむ。

 数秒の静寂。そして——。


「グアァァァァアッ!!」


 怒号のような咆哮が畑中に響き渡った。

 怒らせてはいけない理由は、怒ることにある。

 凶暴化したらC級の魔物に豹変してしまうからだ。


「いけません、お嬢様っ!」


 ローレンの悲鳴が風に乗って届く。


「な、なに……? ただ、ちょっと脅かして追い払おうとしただけなのに……」


 マリーの顔から血の気が引いていく。

 怒ったグロウルベアは、瞳に敵意を宿し、膨れ上がった体をゆっくりとマリーの方へ向けてきた。

 やばい——!


「マリー、伏せろっ!!」


 俺は咄嗟に身体を投げ出し、マリーの肩を押して地面に伏せさせる。

 ——ズドン!!

 巨体がすぐ目の前を掠めるように通りすぎ、畑の柵を蹴散らした。

 マリーを守ったことには成功したが、次に狙われるのは俺だ。


「……ったく、面倒なことになったな」


 逃げる時間はない。

 ——なら、やるしかない。

 周囲を見渡し、栽培されていたルルリアの列の間に立てかけられた、支え用の丈夫な木杭が目に入った。


「……借りるぞ」


 俺はそれを手に取り、掌に魔力を込める。

 ギンッ、と支柱が一瞬淡く青く光り、内部の木の繊維が締まりを増すのを感じる。

 簡易武器だが、これで十分だ。

 グロウルベアの目が、俺を捉える。


「よし、こっちを見ろ。ターゲット変更っと......!」


 俺の声に呼応するように、グロウルベアの金色の瞳がぎらりとこちらを向いた。

 次の瞬間、大地が震える。


 ズンッ、ズンッ、ズンッ——!


 巨体を揺らしながら、魔物は突進してきた。

 体毛の奥からは、湯気のように熱気が立ち上っている。怒りで膨張した筋肉が、地面を裂くような勢いで俺を射抜こうとしていた。


 だが、俺は逃げなかった。逃げられなかった。マリーが見ている。ローレンさんも見ている。この村が見ている。なら、ここで俺が踏みとどまる意味は、ちゃんとある。


 振り下ろすタイミングは、一瞬。

 魔物が咆哮とともに爪を振りかぶった——その直前。


「——今だっ!!」


 支柱の杭を、跳ね上げるようにして突き出した。

 狙いは喉元。

 分厚い毛皮のわずかな隙間に、魔力を込めた杭の先端が食い込む。


 ゴスッ!!


「……やったかっ!?」


 鈍い音とともに、巨体がビクンと跳ねた。そのまま前のめりに、俺の頭上をかすめて通り過ぎ、地面に激突する。


 ——ドガァンッ!!

 土煙が舞い、畑の一角が大きく抉れた。

 俺はその余波を浴びながらも、一歩も退かずに踏みとどまった。


 魔物は呻くように身体を震わせると、苦しげに一つ、呼吸を吐いた。

 しばらく動かなかったが、やがてその巨体は完全に沈黙した。


「はぁ~~~……」


 終わった。

 俺は杭を地面に突き立て、深く息を吐いた。


「ライルっ!」


 土煙の中を駆けてきたのは、マリーだった。スカートの裾を気にも留めず、転びそうな勢いで飛び込んできた。


「怪我は!? 無事ですの!? どこか……っ、痛いところは……」

「ああ、大丈夫。ちょっと腕が痛むくらいだ」


 俺がそう言うと、マリーは俺の袖をぎゅっと掴んだまま、何かを堪えるように唇を結んだ。


「……ごめんなさい。私が……知らなかったせいで……」


 か細く、それでも確かに震える声だった。

 すぐそばで、ローレンさんが苦笑しながら立ち上がる。


「いえいえ、お嬢様。若いうちは無茶も経験ですじゃ。……わしも若い頃、よく畑に猪を呼び込んでは、叱られたもんですわい」


 冗談めかしたその言葉に、空気が少し和らぐ。

 マリーもほんの少し、困ったように微笑んだ。

 だが、すぐにまた真顔に戻り——ぽつりと呟いた。


「……でも、本当に驚きましたわ」

「え?」

「あれほどの魔物に……あんなにも迷いなく、まっすぐ立ち向かっていって……あれは、昔のライル様とは——まるで違いますのね」

「いや、前々から腕には自信はあったぞ?」


 少し照れ隠しで笑ってみせたが、マリーの瞳は真剣だった。


「ええ、確かに……力はありました。けれど、あの頃の貴方はどこか怯えていましたわ。力を使うことに、責任を持つことに——そして、人を守るということに」


 思いがけない指摘に、息をのむ。

 マリーは俺の顔を、まっすぐに見つめた。


「でも今は違う。貴方は、自分の力をちゃんと見つめて、それを人のために使っていた。怖がらずに、迷わずに……まるで、最初からそうあるべきだったように」


 風が、畑の間を吹き抜ける。

 どこか懐かしい、草と果実の匂いを運びながら。


「それはきっと、自信ができたってことじゃありませんの?」


 その言葉に、胸の奥がじわりと温かくなる。

 変わったんだな、俺。


 たった数年前までは、震えながら剣を握っていた俺が。

 今は自分の意思で、誰かの前に立つことができている。


「……ありがとう、マリー」


 心からそう言った。

 その一言に、これまでの迷いや悩みが、少しだけ昇華された気がしたのだ。

 マリーは静かに笑い、少しだけ俺の方へ身を寄せてくる。


「……ふふ、強くなったと思えば、素直にもなりましたのね。昔はもっと、こう……照れてばっかりだったのに」

「お前な……それ、いま言うか?」

「だって、本当に……すごく、かっこよかったんですのよ?」


 その言葉には冗談っぽさも混じっていたが、どこか本気も混ざっているようで、俺は視線を逸らすしかなかった。

 そして静かに空を仰ぐ。

 昼下がりの陽光が、畑の土と果実を優しく照らしていた。


 今日も村の空は、どこまでも穏やかだった。

面白い、続きが見たい!思った方は評価、ブクマ、リアクションもよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。