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15話 一緒にお仕事

今回もお楽しみください。

 マリーから手渡された編み籠には、陽を浴びて熟れきった果実が揺れていた。表皮は透き通るような薄紅色で、指先に触れるだけで微かに震えるように瑞々しい。


 この果実——〈ルルリア〉と呼ばれるこの地特有の作物は、蜜柑と桃の中間のような風味で、口に含めば一瞬で甘さが広がり、後からほんのりとした酸味が追いかけてくる。


 一度齧ったときの衝撃が忘れられず、もう一つ口に運びたい衝動に駆られたが……どうにか自制した。今は仕事だ。


 黙々と果実を摘んでいると、ふいに柔らかな声が背後からかけられる。


「おやおや……ライルくんかい?」


 振り返ると、年季の入った麦わら帽子をかぶった老人が、ゆっくりと杖をついてこちらへ歩いてきていた。


「あっ、ローレンさん……お久しぶりです」


 ローレンさん。

 マリーの家の畑で長年働いている、気さくで穏やかなじいさんだ。

 昔、俺がまだ子どもだった頃、一度だけ一緒に畑仕事をしたことがある。


「いやぁ、見違えたねぇ。立派になったもんだ」

「いえいえ、ローレンさんこそ、変わらずお元気そうで」


 その返答が少し生意気だったかと思ったが、ローレンさんはにこりと笑った。


「はっはっは、こりゃ一本取られたな。だが本当にありがたいよ。最近は年寄りばかりでね、腰だの膝だの、みんなガタが来てるんだ。こうして若い力が来てくれるのは、本当に助かる」

「いえ、困った時はお互い様ですし。俺も暇だったので」


 そう口にしながら、心の中では少しだけ胸が温かくなった。

 田舎に帰ってきてよかった。その気持ちが、じわりと湧いてくる。


 ローレンさんは「じゃあ、あっちの棚のあたりを見てくるよ」と言い残し、のっそりと畝の向こうへ歩いていった。

 さて、俺も作業に戻ろう——そう思った矢先だった。


「お、おやめください、お嬢様……それだけはっ……!」


 ローレンさんの悲鳴じみた声が、畑中に響き渡った。


「……は?」


 顔を上げると、そこには驚くべき光景があった。

 ふわりと揺れる金の髪。……いや、日差しを浴びて輝いているだけか。


 それでも目を疑った。作業服に着替え、袖をまくり上げて果実に手を伸ばそうとしているのは——マリーだった。


「……なにしてんだお前」

「見てわかりますでしょ、収穫のお手伝いですわ!」

「いやいや、やめとけって。お前、土に触るだけで使用人が泣くような立場だろ」

「そんなことありませんわ! もし何か言われても——あんなお父様には、このマリーがガツンと言って差し上げますもの!」


 ローレンさんは焦って頭を抱えていた。


「……お願いだから、せめて旦那様には内緒に……マリーお嬢様の言葉じゃ、我々がクビになってしまう……」


 どう見ても、現場が混乱している。

 俺はしばし考えたのち、肩をすくめた。


「しょうがねぇな……ローレンさん。このお嬢様の扱い、今日は俺に任せてください」

「えぇっ!? あ、ありがとう、よろしく頼むよ……!」


 泣きそうなローレンさんを尻目に、俺は隣に立つマリーに向き直る。


「じゃあ、手ぇ抜くなよ? 本気でやるぞ」

「はいっ♡ ライルと一緒なら、わたくし何でも頑張れますわ!」


 まったく……。

 俺は手にした籠を持ち直し、並んだ〈ルルリア〉の茂みへと視線を向けた。

 こうして、畑仕事のはずが、なぜか“お嬢様のお目付け役”という新たな仕事が加わったのだった。



 —————————————————



「……でさ、なんでお前が畑仕事なんかしてるんだよ?」


 収穫の合間、ふと気になっていた疑問をそのまま口にすると、マリーはスカートの裾を摘まみながら小さく笑った。


「決まってますわ。ライルと一緒にお仕事したい……というのもありますけれど、実際、人手が足りていないのなら、私も手を貸すべきだと思ったまでですの」

「お前さ、そういうとこ……。お嬢様なんだから、屋敷で紅茶でも飲んでればいいのに」


 皮肉混じりに言うと、マリーは顔をしかめ、きっぱりとした口調で返してきた。


「それが一番愚かで、許しがたい行為ですわ! 黙って見ているだけなんて、そんなの私にはできませんの!」

「……はは、やっぱお前は、そういうやつなんだな」


 苦笑が自然と漏れた。

 思えば昔から、マリーはそうだった。

 わがままで気まぐれなように見えて、内には熱い芯がある。

 正義感が強くて、まっすぐで。


「実はさ、お前ってそういう性格だからこそ……俺みたいに、村を飛び出して行くんじゃないかって思ってたんだ」


 思わず本音が零れる。

 マリーが畑で汗を拭う姿は、幼い頃から知っている彼女とは違う大人の顔をしていて、少しだけ魅力的だ。

 けれど、マリーはあっさりと頷いて答えた。


「そうかもしれませんわね。ふふ、意外とライルも鋭いところがありますのね?」

「だろ? だからさ……田舎を出ようとは思わなかったのか? ほら、お前のことだから、家のこともあるし、難しいとは思うけどさ」


 自分でも不用意な問いだったかと、口にしたあとで少し後悔する。

 だが、マリーは顔色ひとつ変えず、ただ微笑んだ。


「……あら? 覚えてませんのね」

「え?」


 マリーはほんの少し目を細め、言葉の調子を落とした。


「あなたが、いつか帰ってくるって、昔そう言ったじゃありませんの」


 その声音には、冗談の色も皮肉もなかった。

 ただ、静かな確信があった。


「だから私は、この村に残って、この畑を守っているのですわよ?」

「……それ、本気で言ってるのか?」


 思わず作業の手が止まり、彼女を見る。


「ふふっ。まあ、どうせ……あなたのことですから、そんな約束、とうの昔に忘れているのでしょうけれど」


 マリーはそう言って、わざと肩をすくめてみせた。

 だが、その瞳には、ほんの少しだけ寂しげな色が浮かんでいるようにも見える。


「それは……」


 確かに覚えていない……本当に言っただろうか。

 だってあの時の俺は問題から逃げたくて、半ば現実逃避に近い形でこの村を去ったのだ。

 マリーを心配させまいと言ったのか……分からないが、現実味がなかった。


「……ね? やっぱり覚えてませんのね?」


 わざとらしく笑いながら、マリーは続けた。


「ほら、結婚の話だって、すっかり忘れていらっしゃったでしょう?」

「そ、それは別だろ! ……子どもの冗談みたいなもんだったし」

「どうかしら?」


 マリーはちらりと横目を向けると、収穫かごに手を伸ばしながら、ふっと笑った。


「私は、今でもけっこう真剣だったんですのよ?」


 そう言って、彼女はまた畑に向き直る。  その背中を見つめながら、俺はルルリアの実をひとつ、手のひらで転がした。

 ——あの頃の言葉が、こんな形で残っていたとは。



 少しだけ視線を落とし、黙ってルルリアの枝を籠に入れながら、考え込む。

 その気配を察したのか、マリーはふいっと顔を背け、何かに気を取られたように目を細めた。


「……あら? ちょっと気になるものを見つけましたわ。ではまた後ほど」


 そう言い残して、軽やかにその場を離れていく。


「おい……なんだよ、せわしないな……」


 溜息混じりに呟き、俺は再び作業に向き合おうと腰を落とした——その瞬間だった。


「どこかへお行きなさい、しっし!」


 畑の奥から、マリーの大声が響いた。


「……へ?」


 一瞬何が起きたのか分からず、顔を上げた。

 そして——。


「ブオォォォッ!!」


 けたたましい咆哮と共に、地を揺るがすような音が耳に飛び込んできた。

面白い、続きが見たい!思った方は評価、ブクマ、リアクションもよろしくお願いします。

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