茶番
竜と化したエルマに頭をかみ砕かれ「うわー!」と叫んだ俺は、
痛覚がないことに気づき、
今体験している光景が「夢」であることをようやく自覚した。
そして俺は――。
夢の出来事を断ち切るように、復活した気持ちで起床した。
夢でなく、現実がそこにあった。
静かに寝息を立てるアヤノさんの姿が、少し遠くにあるだけ。
俺とアヤノさんの間で「あやまち」など一切起きているはずもない。
よかった。
さっきのあれは全部夢だったんだ。
ほっと胸をなでおろす。
それにしても今、何時だろう?
制御施設は、窓が少ないので、全然、外の光景がわからない。
今は朝なのだろうか? シオン先輩たちは来るのだろうか?
携帯端末に、電話連絡は何も届いていない。
とりあえず待つしかない。
携帯端末を見ると、時刻はそろそろ朝に近い。
……もう眠っている時間はあまりなさそうだ。
俺はベッドから起き上がると、
ドアを開け、制御室のほうへ出た。
制御室は、ずっと電気がついてて明るい。
24時間365日ずっと稼働しているような部屋だから、
設備が故障しないかぎり電気が消えることはない……。
とアヤノさんが言っていたな。
小さな機械音がする。
空調だか、制御システム用機械の稼働音だか、
そういう雰囲気の音だ。
平常時、多くの制御魔術師が働いているとき、
こんな小さな機械音はまったく耳にも入らないだろう。
いま無人と化した制御室に、その機械音はよく響いていた。
俺は制御システムの機械をじっと見る。
制御室の半分を占領している、大きな機械だ。
機械音がずっと聞こえるので、稼働はしているようだが、
実際のところ、アヤノさんが言うには、壊れているらしい。
……本当に壊れているのだろうか?
叩いたら直ったりしないか?
また地下書庫に行って、
予備システム切替手順書を探すのかと思うと、
気が滅入る。
しかしだ。
下手に殴って余計に壊れたら、
もっとめんどくさいことになるかもしれないな……。
どうしよう。
とりあえず、手加減しつつ軽く蹴ってみた。
殴ると痛いし、蹴りでいいだろう。
ドドン!
少し勢いあまって、
微妙に多段ヒットしてしまったが、まあいいだろう。
機械をじっと見る。変化なし。
まあ、人がちょっと蹴っただけで何らかの変化が出てしまえば、
それはそれで欠陥品としか言いようがない……。
……はぁ。
やはり、地下書庫を探すしかないようだ。
「あの、ユートさん……」
うわっ。突然うしろから声がした。
うしろを向く。
アヤノさんだ。
起きたばかりなのか、寝ぐせがびょーんと立っている。
しまった。さっき機械を蹴ったのを見られただろうか。
怒られてしまう。
「あ、アヤノさん……おはよう。
いや、特に何も」
「ガン!という音がしたので、驚いて、起きてしまいました。
何かぶつかったんですか……?」
「い、いや。なんでもないよ。
ちょっとふらついて、機械にぶつかってしまったんだ」
「ケガはしてますか?」
「してないよ。
それにしても、この制御用の機械、結構高そうだよね。
いくらぐらいなんだろう?」
「そうですね……私が聞いた話によると――」
アヤノさんは、俺が一生働いても稼ぎきれない金額を示した。
俺は、機械を叩いたことを少し後悔した。
「とんでもない金額だな。
……壊していないだろうな?
さっきので」
「人がちょっとやそっと叩いたくらいでは、普通壊れませんよ。
どれどれ……」
アヤノさんは寝起きの姿のまま、髪も整えることなく、
そのまま制御室の機械をいじりはじめる。
「制御用の機械が直っていたりしないかな?
地下書庫に行って探すの、もう大変だし」
「……だめですね。昨日と変わらずです。
制御魔法を増幅させる機能が全然動かないです。
残念ですね」
一晩の間に、妖精さんが勝手に直してほしかったけど、
やはり現実はそういうことはなかったようである。
「ユートさん、そろそろシオンさんたちが来る時間ですから、
それまで待って、多くの人手を使って、
予備システム切替手順書を探しましょう」
「そうするしかないか……」
「今日も忙しいでしょうし、
シオンさんたちが訪れるまで、
朝食にしませんか」
「そうだな」
朝食、と言うと、あたたかな食べ物が出てくるはずだが、
そんなことはなく、昨日と同じように、
机の中にしまってあるお菓子だの飴玉だのを口にするだけだった。
さわやかさ、あたたかさ、そういったものはなく、
甘ったるい味が口に広がるだけだ。
「あ、机に、コーヒーの粉末がありますよ」
「インスタントコーヒーじゃないか。どうしてこんなところに」
「制御のお仕事をしていると、
眠くなることもありますからね。
ずっと同じ光景、同じ職場、座ったままに近いお仕事。
外から太陽の光もありません。
そうしているうちに、目が重くなってくるのです。
ほんとは、少し離れたキッチンに、
コーヒー粉末が置いてあるのですが、
せっかちというか、ものぐさというか、
制御室内にコーヒー粉末を持ち込んできて、
自分のポットで湯を沸かして飲んでいる人もいます」
「そうなんだ。じゃあ、飲もうか」
「ポットはどこでしょう?」
「見当たらないな……。
キッチンに行ってみるか」
「それはいいですけど、
竜に気を付けてくださいね」
キッチンは、制御室から少し離れた場所にある。
念のため、俺は、細心の注意をはらって進んだ。
制御施設内を竜がうろついているからだ。
幸い、遭遇せずに済んだ。
キッチンは、比較的きれいな状態だった。
誰かのマイカップらしきものが置かれている。
赤いカップ、黄色いカップ、動物柄のカップ……。
どれも制御魔術師の人たちが利用していたのだろうか。
俺は、辺りを警戒しながら、ポットを沸かした。
こんなにポットの湯沸かしを長く感じたのは初めてだ。
ふぅ……。
朝のコーヒーくらい、安心して飲みたいものだ。
まさか、竜がうろつく危険な地帯の中で、
朝のコーヒーを飲むことになるなんて、
数日前までは思わなかった。
湯沸かしが終わった。
ポットを右手に、紙コップを左手に持ち、
制御室への移動を始める。
いま両手がふさがってるし、こんなときに竜に遭遇したら
たまったものではない。
泥棒になったつもりで、通路をそろそろと歩いた。
誰もいない。無音。
だからこそ、自分の足音・息使いがよく聞こえる。
たいした距離ではないとはいえ、
何度もうしろを振り向く。
前方の角を曲がろうとするときの緊張感。
竜の生態からすれば、俺と出会ったところで
積極的に襲いかかる奴なんて少数なのだが、
それがわかっていても、なお緊張はする。
緊張を乗り越え、俺は無事に制御室にたどりついた。
俺は近くのキッチンまで冒険をしてるのか?
そんな感じの気分だった。
だがそんなことはもうどうでもいい。
朝のコーヒーを飲みたい。
アヤノさんは、椅子に座って、ずっと天井を見つめている。
その瞳は、天井を見ているのではなく、他にやることもなく、
ただ虚空を見つめているだけのような色だった。
まだ寝ぼけているようだ。
髪の毛も整えていない……。
相当疲れているのか、もとから無頓着なのか、
俺にはわからない。
「アヤノさん。コーヒーだよ」
俺は、紙コップに、熱いブラックコーヒーを注いで、
アヤノさんに手渡した。
「あ、ありがとう、ございます……」
反応が妙に遅れている。大丈夫か?
連日の頑張りで、そろそろ限界を迎えているのだろうか。
今回の事件が起きてから、
竜を制御魔法にかけたり、
飼育場を探し回ったり、
慣れない森林エリアを歩いたり、
制御施設や地下書庫を行き来したり……。
けっこう負荷のかかる行動ばかりしてきた。
もう体力が尽きているのだろう。
なんか体力なさそうだもんな、アヤノさんは。
「アヤノさん、大丈夫か?」
「正直言うと、かなり、参ってますね……。
このコーヒーが最後の晩餐になるかも」
最後の晩餐とか言い出しましたよ。
「アヤノさん。
コーヒー飲んだら仮眠室で休んでてよ。
俺、このままだと心配だし」
「……すいません。そうします」
アヤノさんはふらついた手で、紙コップをつかみながら、
コーヒーを、少しずつ飲んでいく。
「あ、ブラックなんですね」
アヤノさんはペロっと舌を出した。
苦そうな顔だ。
「そういえば、砂糖とかミルクは無かったな……。
すまない。甘いほうがよかったか?」
「甘いほうが好きですけど…。
でも、今からまたキッチンに行ってとってくるのは、
大変でしょうし、そこまでしなくていいですよ」
「飴玉を溶かそう」
「それはちょっと」
「冗談だ。
実は、こういうこともあろうかと思って、
少し持ってきておいたんだ。
ほら、砂糖とミルクだよ」
「わぁ。よかったです。
ありがとうございます」
アヤノさんは、砂糖やミルクをまんべんなく
コーヒーに入れて飲みほしたあと、
よろよろと仮眠室のほうへ向かっていった。
もしかしたら、本日いっぱいは、
アヤノさんは使い物にならないかもしれない。
俺がしっかりしないと!
……とは言っても。
俺にできることは、制御室に待機しているだけ。
不審な人物や竜を見かけたら、アヤノさんを連れて逃げるしかない。
早く来てくれ……シオン先輩。
つづく




