第34話 「同じ空間にいるだけで」
美月という名前を知ってから。
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直人の日常は少しだけ変わった。
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大きな変化ではない。
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誰にも気づかれない程度の変化。
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昼休みになると。
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自然と図書室へ足が向く。
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もちろん。
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自分には言い訳がある。
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静かだから。
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落ち着くから。
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本が好きだから。
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どれも嘘ではない。
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だが。
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それだけではなかった。
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図書室の扉を開ける。
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まず窓際を見る。
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その瞬間。
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自分でも苦笑したくなる。
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何をしているんだろう。
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でも止められない。
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その日も。
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美月はいた。
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窓際の席。
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文庫本。
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静かな横顔。
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直人は少し安心する。
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なぜ安心するのかは分からない。
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話したこともほとんどない。
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友達ですらない。
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それなのに。
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そこにいるだけで安心する。
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直人は離れた席へ座る。
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本を開く。
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だが。
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また内容が頭に入らない。
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時々視線が向いてしまう。
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そして自己嫌悪する。
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気持ち悪いと思われないだろうか。
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変な奴だと思われないだろうか。
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そんな考えが浮かぶ。
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だから絶対に話しかけない。
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距離を取る。
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見ていることも悟られないようにする。
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それが直人なりのルールだった。
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数日後。
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図書室。
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その日は珍しく席が少なかった。
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直人が座った席。
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そして。
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美月が座った席。
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間には一席しか空いていない。
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いつもより近い。
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それだけで緊張する。
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心臓が少し速い。
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本のページをめくる音が聞こえる。
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ペンの音も聞こえる。
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香水ではない。
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シャンプーだろうか。
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かすかに香りがする。
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直人は慌てて本に集中しようとする。
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だが無理だった。
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昼休み終了。
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美月が立ち上がる。
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その時。
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本が机から落ちる。
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反射的だった。
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直人は本を拾う。
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美月も同時に手を伸ばす。
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指先が少し触れる。
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一瞬。
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本当に一瞬。
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「ごめん」
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美月が言う。
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「いや」
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直人も答える。
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たったそれだけ。
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それだけだった。
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だが。
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その日の残りの授業内容を、 直人はほとんど覚えていなかった。
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夜。
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布団の中。
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今日の出来事を思い出す。
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本を拾ったこと。
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指が触れたこと。
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「ごめん」
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その声。
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何度も思い出してしまう。
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そして恥ずかしくなる。
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たったそれだけで何を考えているんだ。
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自分でもそう思う。
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でも。
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嬉しかった。
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確かに嬉しかった。
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まだこの頃の直人は知らない。
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恋愛とは、
特別な出来事が起きることではなく。
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相手にとっては何でもない一瞬が、
自分にとって特別になっていくことなのだと。
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そして。
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この感情が大きくなるほど、
失うことを恐れるようになることを。
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冬の夕暮れ。
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直人の世界は少しずつ広がっていた。
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そして同時に。
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新しい不安も静かに生まれ始めていた。




