第29話 「怒られているわけじゃないのに怖い」
直人は、人の“空気の変化”に敏感だった。
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大きな怒鳴り声よりも、 小さなため息の方が怖い時がある。
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声の強さ。
沈黙。
少し冷たくなった返事。
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そういう細かい変化が、 直人には強く刺さった。
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ある日の授業中。
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先生がプリントを配っている。
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直人の机へ置く時だけ、 少しだけ手が止まった気がした。
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それだけで、 胸がざわつく。
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“何か怒ってる?”
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でも先生は何も言わない。
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授業も普通に進んでいく。
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なのに直人の頭の中だけが止まらない。
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自分、何かした?
昨日の提出物?
返事が小さかった?
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考え続ける。
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その間に、 授業の内容が頭へ入らなくなる。
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昼休み。
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男子たちが笑っている。
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その中の一人が、 少し真顔になった瞬間があった。
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それだけで、 直人は不安になる。
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“自分のこと嫌になった?”
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でも次の瞬間には、 また普通に笑っている。
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周りは何も気にしていない。
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直人だけが、 頭の中で何度も考えている。
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帰りの会。
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先生が少し疲れた声で話している。
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クラスはいつも通り。
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でも直人だけは、 空気が重く感じる。
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“誰か怒られるかもしれない”
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その緊張が身体へ入る。
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肩が固くなる。
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でも結局、 何も起こらない。
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家へ帰る。
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母が夕飯を作っている。
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「手洗った?」
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少しだけ声が低かった。
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それだけで、 直人の心が縮こまる。
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“怒ってる”
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慌てて洗面所へ行く。
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でも戻ると、 母は普通にテレビを見ている。
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怒っていなかったのかもしれない。
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それでも、 身体の緊張はすぐには抜けない。
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夜。
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布団へ入る。
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今日の先生の表情を思い出す。
母の声を思い出す。
友達の顔を思い出す。
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“嫌われたかもしれない”
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そんな考えが浮かぶ。
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でも確信はない。
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ただ、 少しの変化が怖い。
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周りは普通に流していることを、 自分だけ強く受け取ってしまう。
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まだこの頃の直人は知らない。
この“過剰な警戒”が、 長い緊張の積み重ねで作られていたことを。
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何度も失敗し、 怒られ、 浮いてきたことで、
脳が常に “危険がないか”を探すようになっていたことを。
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ただこの夜は、
“もっと気にしない人になりたい”
そう願いながら、 静かな暗闇の中で目を閉じていた。




