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『普通になれなかった僕は、社会の中で静かに壊れていった』  作者: こうた
第三章「静かに消えていく日常」

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第十話 「待つということ」

十月。


---


朝の空気が、

少し冷たくなっていた。


---


直人はいつものように学校へ向かった。


---


教室。


---


授業。


---


昼休み。


---


そして。


---


図書室。


---


何も変わっていない。


---


そう見えた。


---


けれど。


---


直人の中では、

少しずつ何かが変わっていた。


---


美月を待つ。


---


それが。


---


いつの間にか、

毎日の目的になっていた。


---


今日こそ来るかもしれない。


---


そんな期待をして。


---


来なかったら。


---


「明日がある」


---


そう思う。


---


また来なければ。


---


「来週がある」


---


そう思う。


---


そして。


---


次の週になる。


---


また。


---


待つ。


---


その繰り返しだった。


---


ある日の昼休み。


---


図書室の窓際。


---


直人は本を開いていた。


---


けれど。


---


ページが進まない。


---


同じ場所を、

何度も読んでいた。


---


「読んでないの?」


---


突然。


---


後ろから声がした。


---


振り返る。


---


翔だった。


---


「なんでここにいるの?」


---


「たまには図書室もいいかなって」


---


翔は笑った。


---


しかし。


---


すぐに直人の向かいへ座る。


---


「なあ」


---


「うん」


---


「まだ待ってるの?」


---


直人は黙った。


---


答えなくても。


---


翔には分かっている。


---


「待ってる」


---


少しして。


---


直人は答えた。


---


翔は何も言わない。


---


「約束したから」


---


直人は鞄を見た。


---


その中には、

美月に返す本が入っている。


---


もう何か月も。


---


ずっと入れたまま。


---


「本を返すだけじゃないだろ」


---


翔が言う。


---


直人は顔を上げた。


---


「……分かってる」


---


「でも」


---


言葉が続かない。


---


翔が静かに聞いた。


---


「もし、このまま戻ってこなかったら?」


---


直人の表情が固まる。


---


「そんなこと」


---


「考えたくない」


---


「でも考えないと」


---


翔の声は優しかった。


---


だからこそ。


---


苦しかった。


---


直人は視線を落とす。


---


「俺は」


---


言葉を探す。


---


「何もしてないから」


---


翔が黙る。


---


「何もできなかった」


---


「入院したって聞いても」


---


「電話するのも怖かった」


---


「会いに行くこともできなかった」


---


「病気のことも聞けなかった」


---


声が少し震える。


---


「だから」


---


直人は続ける。


---


「待つくらいしかできない」


---


翔はしばらく黙っていた。


---


やがて。


---


「違うと思う」


---


直人が顔を上げる。


---


「え?」


---


「待つだけじゃない」


---


翔は言った。


---


「手紙くらい書けるだろ」


---


直人の呼吸が止まる。


---


手紙。


---


ずっと前から。


---


書こうとしていた。


---


でも。


---


書けなかった。


---


「住所知らない」


---


「学校から送ってもらえないかな」


---


「先生に頼んでみればいい」


---


直人は何も言えなかった。


---


そんな方法があった。


---


当たり前のことなのに。


---


自分では思いつかなかった。


---


いや。


---


思いついても。


---


行動できなかったのかもしれない。


---


「……迷惑じゃないかな」


---


直人が言う。


---


翔は少し笑った。


---


「それを決めるのは藤崎さんだろ」


---


その言葉が。


---


胸に刺さった。


---


直人はいつも。


---


相手がどう思うかを考えすぎていた。


---


嫌われるかもしれない。


---


迷惑かもしれない。


---


変に思われるかもしれない。


---


だから。


---


何もしない。


---


何も言わない。


---


そして。


---


後から後悔する。


---


それの繰り返しだった。


---


放課後。


---


直人は担任のところへ向かった。


---


何度も。


---


引き返そうと思った。


---


「やっぱりやめよう」


---


そう考えるたび。


---


翔の言葉を思い出す。


---


それを決めるのは、

美月だ。


---


職員室の前。


---


深呼吸をする。


---


「失礼します」


---


自分の声が、

少し震えている。


---


担任を呼ぶ。


---


先生は。


---


直人の話を黙って聞いた。


---


「藤崎さんに手紙を書きたい?」


---


「はい」


---


「病院の住所は教えられません」


---


直人は頷く。


---


「分かっています」


---


「でも」


---


先生は少し考える。


---


「学校からご家族に渡すことはできるかもしれない」


---


直人は顔を上げた。


---


「本当ですか?」


---


「ただし」


---


先生は続けた。


---


「必ず本人に届くとは約束できない」


---


それでもいい。


---


直人はすぐに思った。


---


何もしないよりいい。


---


「お願いします」


---


家に帰る。


---


机に座る。


---


白い便箋を出す。


---


以前。


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何も書けなかった便箋。


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ずっと引き出しの中にあった。


---


直人はペンを持つ。


---


しかし。


---


また手が止まる。


---


何を書けばいい。


---


「元気ですか」


---


違う。


---


「心配しています」


---


重すぎる気がする。


---


「早く戻ってきて」


---


自分勝手な気がする。


---


何度も書いて。


---


何度も消す。


---


便箋が一枚。


---


また一枚。


---


ぐしゃぐしゃになっていく。


---


夜になった。


---


机の上には。


---


書き損じた紙が積まれていた。


---


直人は目を閉じる。


---


そして。


---


考えるのをやめた。


---


格好いいことは書かなくていい。


---


正しい言葉を探さなくていい。


---


ただ。


---


自分が思っていることを書こう。


---


直人は新しい便箋を出した。


---


そして。


---


ゆっくりと書き始めた。


---


『藤崎さんへ』


---


少しだけ手が止まる。


---


それから。


---


『本、ちゃんと読み終わりました。』


---


『感想を聞かせてって言ってたから、約束は忘れていません。』


---


直人は笑った。


---


少しだけ。


---


涙が出た。


---


続きを書く。


---


『学校はいつも通りです。』


---


『翔も元気です。』


---


『図書室も変わっていません。』


---


『窓際の席も、そのままです。』


---


そして。


---


一番書きたかった言葉。


---


ペンを止める。


---


何度も迷う。


---


でも。


---


今度は。


---


書いた。


---


『戻ってきたら、また話したいです。』


---


その一文。


---


直人にとっては。


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告白よりも難しかった。


---


好きだ。


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そう書くことより。


---


これからも一緒にいたい。


---


その気持ちを認める方が。


---


ずっと怖かった。


---


最後に。


---


『待っています。』


---


と書いた。


---


直人は手紙を読み返す。


---


上手な文章ではない。


---


気の利いた言葉もない。


---


それでも。


---


今までで一番。


---


自分の言葉だった。


---


翌日。


---


先生に手紙を渡した。


---


「お願いします」


---


先生は受け取る。


---


「預かります」


---


それだけだった。


---


直人は何度も頭を下げた。


---


手紙は。


---


本当に届くのだろうか。


---


読んでくれるのだろうか。


---


返事は来るのだろうか。


---


分からない。


---


何も分からない。


---


それでも。


---


初めて。


---


ただ待つだけではなくなった。


---


その日の放課後。


---


図書室。


---


いつもの窓際。


---


直人は鞄から、

もう一冊の本を取り出した。


---


以前なら。


---


美月が来るのを待ちながら、

何も手につかなかった。


---


しかし。


---


今日は違った。


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本を開く。


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物語を読む。


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笑う。


---


少し考える。


---


そして。


---


ふと思った。


---


美月がいなくても。


---


自分の時間は進んでいる。


---


進まなければならない。


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それは。


---


美月を忘れるということではない。


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待つということは。


---


立ち止まり続けることではないのかもしれない。


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自分も前へ進みながら。


---


いつかまた会える日を待つ。


---


それが。


---


本当の意味で。


---


「待つ」ということなのかもしれなかった。


---


数日後。


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直人の机の上に。


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一通の封筒が置かれていた。


---


差出人の名前はない。


---


でも。


---


封筒を見た瞬間。


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直人には分かった。


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手が震える。


---


恐る恐る。


---


封を開ける。


---


中には。


---


一枚の便箋。


---


そして。


---


見覚えのある。


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少し丸い文字。


---


最初の一行。


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そこには。


---


こう書かれていた。


---


『手紙、ありがとう。』


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直人は。


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その場で動けなくなった。


---


何度も。


---


何度も。


---


その文字を読み返した。


---


届いた。


---


ちゃんと届いた。


---


それだけで。


---


胸がいっぱいになる。


---


しかし。


---


直人はまだ知らなかった。


---


この手紙の最後に書かれた言葉が。


---


彼の人生の中で、


最も忘れられない言葉の一つになることを。


---


第十一話「手紙の最後」へ続く。

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