第九話 「来なかった人」
直人は、
しばらく動けなかった。
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手に持っていた本を、
強く握り直す。
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「どういうこと?」
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翔はすぐに答えなかった。
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廊下の向こうから、
生徒たちの笑い声が聞こえる。
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昼休み。
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いつもと同じ学校。
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なのに。
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直人の周りだけ、
時間が止まったようだった。
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「昨日、美月から連絡があったんだ」
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翔が言う。
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「体調が悪くなったって」
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直人の顔から、
血の気が引いていく。
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「……悪くなった?」
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「ああ」
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「だから今日は無理かもしれないって」
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「でも」
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直人は言葉を探す。
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「昨日、俺には……」
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『今日、学校に行けるかもしれない』
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そう言った。
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確かに。
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聞いた。
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「また明日」
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とも言った。
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嘘だったのだろうか。
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無理をしていたのだろうか。
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それとも。
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自分を心配させないために。
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直人の胸が、
強く締めつけられる。
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「病院に戻ったのかな」
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「分からない」
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翔は首を振った。
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「詳しいことは聞いてない」
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「聞けなかった」
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直人も、
それ以上聞けなかった。
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二人はしばらく、
廊下に立っていた。
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昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
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それでも。
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直人は図書室へ向かった。
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行かなければならない気がした。
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もしかしたら。
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本当に。
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もしかしたら。
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美月が来ているかもしれない。
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そんな小さな希望を、
捨てることができなかった。
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図書室の扉を開ける。
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静かな空間。
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窓際を見る。
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誰もいない。
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椅子だけが、
静かに置かれている。
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直人はその席へ近づいた。
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美月がいつも座っていた椅子。
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そっと手を触れる。
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冷たい。
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当たり前だ。
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誰も座っていないのだから。
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それなのに。
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「また明日」
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昨日の声が、
何度も頭の中で繰り返された。
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直人は自分の席へ座る。
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鞄から本を取り出す。
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返すはずだった本。
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昨日まで。
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今日の昼休み。
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美月に感想を伝えるつもりだった。
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どの場面が好きだったか。
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最後に泣きそうになったこと。
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主人公の気持ちについて、
二人で話すつもりだった。
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そして。
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ずっと言えなかった言葉も。
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全部。
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今日なら言える気がしていた。
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「どうして今日なんだよ」
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小さく呟く。
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誰にも聞こえない声。
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返事もない。
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放課後。
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直人は美月の教室の前へ行った。
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誰もいない教室。
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夕日だけが、
机を赤く照らしている。
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美月の席がどこなのか。
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直人は知らなかった。
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それが。
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急に苦しくなった。
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同じ学校にいる。
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同じ時間を過ごしている。
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そう思っていた。
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でも。
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自分は美月のことを、
本当は何も知らなかった。
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住所も知らない。
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病院も知らない。
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家族のことも知らない。
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連絡先さえ。
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昨日まで知らなかった。
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昨日。
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初めて電話がかかってきた。
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それなのに。
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今はもう。
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電話をかけることすら怖かった。
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もし。
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誰か別の人が出たら。
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もし。
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美月の声が聞けなかったら。
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その現実を知るのが怖かった。
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夜。
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自分の部屋。
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スマートフォンを握ったまま、
直人は座っていた。
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画面には。
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昨日の番号。
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名前は登録していない。
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できなかった。
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ただ。
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数字だけが並んでいる。
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電話をかける。
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やめる。
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また画面を見る。
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指が震える。
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「大丈夫かな」
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何度も呟く。
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そして。
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意を決して、
発信ボタンを押した。
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呼び出し音。
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一回。
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二回。
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三回。
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直人の心臓が、
それに合わせるように鳴る。
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そして。
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「もしもし」
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声が聞こえた。
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直人は、
一瞬息を止めた。
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「……美月?」
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返事がない。
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「もしもし?」
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直人がもう一度言う。
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すると。
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電話の向こうから、
別の声がした。
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「どちら様でしょうか」
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女性の声だった。
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直人の指先が冷たくなる。
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「あの……」
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言葉が出ない。
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「藤崎さんの……」
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そこまで言って、
止まった。
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自分は何なのだろう。
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友達。
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それだけ。
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「学校の……友達です」
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やっと答えた。
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電話の向こうで、
少し間があった。
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「そうですか」
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女性の声。
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「美月は今、眠っています」
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直人は胸を押さえた。
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「そう……ですか」
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「お電話ありがとうございました」
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それだけ言って、
電話は切れた。
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直人はスマートフォンを置いた。
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眠っている。
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それだけで安心する。
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それなのに。
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なぜか。
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涙が出そうだった。
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眠っているなら。
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また話せる。
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そう思えばいい。
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でも。
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電話の向こうの声は、
どこか疲れていた。
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そのことが。
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頭から離れなかった。
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翌日。
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美月は来なかった。
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その次の日も。
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来なかった。
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九月になった。
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夏が終わった。
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蝉の声が消え。
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朝の空気が、
少しずつ冷たくなる。
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それでも。
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美月の席は空いたままだった。
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直人は毎日、
図書室へ行った。
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本を持って。
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返すための本を。
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「今日は来るかもしれない」
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そう思いながら。
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しかし。
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一週間。
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二週間。
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また時間だけが過ぎていく。
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ある日の放課後。
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翔が直人を呼び止めた。
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「直人」
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その声だけで分かった。
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何かある。
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翔の顔を見る。
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以前にも見た表情。
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言いたくないことを、
言わなければならない時の顔。
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「……何?」
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直人は聞いた。
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翔は少し俯いた。
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「美月のこと」
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その名前を聞いた瞬間。
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直人の呼吸が止まる。
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「病院の先生から」
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翔は言葉を選ぶ。
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「しばらく学校に戻るのは難しいって話があったらしい」
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「……そう」
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直人は、
それだけしか言えなかった。
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本当は聞きたかった。
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どんな病気なのか。
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いつ戻れるのか。
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本当に大丈夫なのか。
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でも。
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聞くのが怖かった。
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知ってしまったら。
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もう以前のようには、
待てなくなる気がした。
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直人は鞄の中を見た。
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一冊の本。
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夏の日。
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二人で約束した本。
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「感想聞かせて」
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「約束する」
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その約束だけが、
まだそこに残っていた。
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直人は本を取り出す。
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表紙を撫でる。
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そして。
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初めて。
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小さな声で言った。
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「待ってるから」
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誰に届くわけでもない。
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それでも。
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言わずにはいられなかった。
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「だから……」
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喉が震える。
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「ちゃんと戻ってきてよ」
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夕方の図書室には、
直人しかいなかった。
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返事はない。
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窓の外では。
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夏の終わりの風が、
静かに木々を揺らしていた。
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その風の音を聞きながら。
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直人は初めて。
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「待つこと」にも、
限界があるのだと。
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少しだけ感じ始めていた。
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第十話「待つということ」へ続く。




