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放課後、君とだけ秘密の話をする  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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4/5

第4話 放課後の寄り道は、少しだけ特別だ

 金曜日の放課後には、ほかの曜日にはない緩さがある。


 明日が休みだから、というだけの話なのに、人の気分は驚くほど変わる。六時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った瞬間、教室のあちこちから洩れる息まで少し軽い。部活のあるやつはあるやつで「あと一日頑張れば」じゃなく「今日はまあいいか」の顔をしているし、帰宅部は帰宅部で、ただ帰るだけのはずなのに少しだけ遠回りしても許されるような気分になる。


 そういう空気が、僕は好きだった。


 わざわざ「好き」と口にするほど特別でもないけれど、週末前の学校には独特の甘さがある。教室のざわめきも、窓から入る風も、いつもより少しだけやわらかい。何かいいことが起きるわけじゃなくても、別に悪くない一日だったと思わせてくれる種類の甘さだ。


「湊ー」


 鞄にノートを突っ込みながら帰る支度をしていると、花音が教室の真ん中から手を振ってきた。


「今日ひま?」


「雑な誘い方だな」


「ひま?」


「たぶん」


「よし。じゃあ寄り道しよ」


「決定早くない?」


「金曜の放課後は勢いが大事なの」


 そう言いながら、花音はすでに僕の机のそばまで来ていた。動きに迷いがない。こういうところがこの子の強さなんだろうと思う。話しかける前から空気を自分の方へ引っ張っている感じがある。押しが強いわけじゃないのに、自然と断りづらい。


 まあ、断る理由もないんだけど。


「どこ行くの」


「コンビニ」


「それ寄り道っていうか、ただの買い食いでは」


「買い食いは立派な寄り道です」


「橘さんの中ではね」


「ねえ美晴も来るでしょ?」


 花音は僕の返事を半分聞き流すみたいに、今度は前方の席へ声を飛ばした。


 美晴はちょうどプリントをファイルに挟んでいるところで、名前を呼ばれて嫌そうな顔をする。


「え、私?」


「うん。金曜だよ? まっすぐ帰るのもったいないじゃん」


「もったいないの意味がわからない」


「雰囲気」


「雑すぎる」


 そう言いながらも、美晴はきっちりファイルの角を揃えていた。断るときの手つきじゃない。たぶん本人は気づいていないだろうけど、そういう小さな予備動作で、その人が本当に嫌がっているかどうかは案外わかる。


「雪平さんは?」


 花音がふいにそう言ったので、僕は少しだけ顔を上げた。


 教室の窓際、最後列に近い席で、栞が本をしまっているところだった。さすがに誘わないだろうと思ったのに、花音はあっさりとそちらへ向かっていく。


「雪平さんもどう? コンビニ」


 栞は顔を上げる。数秒ほど、質問の意味を確かめるみたいな間があった。


「私?」


「うん。今日部活とかないでしょ?」


「ないけど」


「じゃあ決まり」


「いや、決まってないと思うけど」


 珍しく少しだけ困ったような声だった。


 でも花音はそういう戸惑いも笑いに巻き込むのが上手い。


「大丈夫大丈夫、買って食べて喋って帰るだけだから。重くない寄り道」


「寄り道に重い軽いあるんだ」


「あるよ。気持ちの問題」


 花音の言葉に、美晴が小さく溜息をつく。


「橘って、ほんと勢いだけで人連れてくよね」


「でもたいてい楽しいでしょ?」


「……否定はしないけど」


「ほら見て。篠宮さんもこう言ってます」


「私の名前を勝手に広告塔に使わないで」


 そのやりとりが少し可笑しくて、僕は笑った。


 栞は僕たちを見て、少しだけ考えるように目を細めたあと、鞄を持ち直した。


「じゃあ、少しだけ」


「やった」


 花音が嬉しそうに手を叩く。


 たったそれだけのことで、教室の放課後が急に「四人の放課後」になる。こういう変化が、学校生活では妙に楽しかったりする。大事件じゃない。約束らしい約束ですらない。ただ、今日はこの四人で校門を出る、というだけ。その程度のことが、十代の放課後を少しだけ特別に見せる。


 僕らは昇降口で靴を履き替え、校門を出た。


 外の空気は、教室の中より少しだけ冷たい。春だというのに夕方の風はまだ油断ならない温度を残していて、シャツの上からでも細く肌に触れてくる。通学路の両脇では、自転車を押しながら喋る生徒や、部活へ急ぐ生徒が行き交っていた。金曜の夕方は、みんな少しだけ足取りが軽い。


「で、何買うの?」


 花音が先頭を歩きながら振り返る。


「え、買う前提?」


 僕が聞くと、彼女は当然みたいに頷いた。


「コンビニ寄るのに何も買わないの、逆に達人っぽくない?」


「達人って何の」


「寄り道の」


「分野が限定的すぎる」


「私はアイスかなー。でもまだ寒いかなー」


「十分寒いと思う」


 美晴が即答する。


「篠宮は真面目だなあ」


「温度の話なんだけど」


「でも冬でもアイス食べたくなるときあるじゃん」


「それはわかる」


 つい僕が乗ると、美晴がすぐにこっちを見る。


「湊はすぐ橘に流される」


「そんなことないよ」


「あるよ。だいたい面倒くさそうに見えて、こういうときだけ妙に協力的」


「金曜だからテンションが少しだけ」


「ほら。理由がふわふわしてる」


 美晴の言い方は呆れているのに、その声色にはどこか慣れた親しさがある。幼馴染というのは、相手の雑な部分に対していちいち本気で腹を立てない関係でもあるのかもしれない。たぶん僕も、美晴の細かさに毎回ちゃんと反発していたらとっくに疲れている。


 隣では栞が静かに歩いていた。


 彼女は四人の会話に積極的に割って入るわけではないけれど、置いていかれている感じもない。花音が時々話を振ればちゃんと答えるし、美晴が何か尋ねれば短く返す。無理に明るくしようとしていないぶん、かえってそこに自然にいるように見えた。


「雪平さん、コンビニでよく買うものある?」


 花音が聞く。


「お茶」


「それは知ってる」


「なんで」


「図書室の休み時間にたまに飲んでるの見たことあるから」


「見てるなあ」


 栞が少しだけ笑う。


「橘さんって、人のことほんとによく見てるよね」


「でしょ? 観察が趣味」


「趣味の言い方がちょっと怖い」


 僕が言うと、花音は「失礼だなあ」と笑った。


 でも本当に、この子はよく見ている。誰がどんな飲み物を好むかとか、誰がどのタイミングで笑うかとか、そういう小さなことを自然に覚えている。だから会話が続くし、誰に話を振れば空気が軽くなるかもわかるんだろう。


 コンビニは学校から徒歩五分くらいの場所にある。近いからこそ、寄り道としてちょうどいい。家に帰るには少しだけ遠回りで、わざわざ行くほどでもない距離。その半端さが、高校生の放課後には似合っていた。


 自動ドアが開くと、暖房の気配と揚げ物の匂いがふわっと流れてくる。


「うわ、急にお腹すいた」


 花音が言う。


「さっきアイスとか言ってたのに」


「アイスと揚げ物は別腹」


「その別腹、何個あるの」


「いっぱい」


 店内へ入ると、四人はなんとなく二組に分かれた。


 花音と美晴は新商品のお菓子コーナーの前で立ち止まり、僕と栞は飲み物棚のあたりまで進む。別に示し合わせたわけじゃないのにそうなるのが少し面白かった。


「何買うの?」


 栞がペットボトルのラベルを見比べながら聞いてくる。


「まだ決めてない。炭酸かな」


「この前も炭酸だった」


「覚えてるんだ」


「図書室の帰りに持ってたから」


 さらっと言われて、少しだけ変な気分になる。


 別に深い意味はないのに、「覚えてる」という事実だけが妙に輪郭を持つことがある。たとえば、美晴が僕の小さな癖を知っているのは幼馴染だから当然だし、花音が人のことをよく見ているのも彼女らしい。けれど栞にそう言われると、教室とは別の場所で見られていた感じがして、少しだけくすぐったい。


「じゃあ今日は違うのにしようかな」


「流されやすい」


「雪平さんまでそれ言う?」


「事実だから」


 最近そればっかりだなと思いつつ、結局僕はレモンティーを手に取った。炭酸じゃなくても別に困らない。そういう適当さが僕らしいのかもしれない。


 背後から、花音たちの声が聞こえる。


「え、これ前からあったっけ?」


「期間限定って書いてる」


「じゃあ買うしかないじゃん」


「その理屈毎回おかしいよ」


 美晴の呆れた声のあと、二人の笑い声が重なる。


 店内は明るくて、レジ前では別の学校の制服を着た生徒が肉まんを頼んでいた。冷蔵ケースの機械音、ビニールが擦れる音、電子レンジの短いアラーム。全部が「放課後のコンビニ」という一つの風景に収まっている。


 僕らはそれぞれ飲み物やお菓子を買って、店の外へ出た。


 店の脇には低いガードレールがあって、何人かの高校生がそこに寄りかかってジュースを飲んでいる。僕らも少し離れた場所に並んだ。行儀がいいとは言えないけれど、放課後の寄り道なんてだいたいそんなものだ。


「はい、これ新商品」


 花音が誇らしげにポテトチップスの袋を掲げる。


「味の想像がつかないんだけど」


 美晴が眉を寄せる。


「だからこそ買う価値があるの」


「外したらどうするの」


「そのときは湊に押しつける」


「なんで」


「なんでもそこそこ受け止めてくれそうだから」


「評価が雑」


 そう言いながら袋を受け取ると、本当に絶妙に微妙な味がした。まずくはないけれど、二度目はない。感想に困る味というのは実在する。


「どう?」


 花音が期待のこもった目で聞いてくる。


「……評価が難しい」


「お、外れだ」


「判断早いな」


「湊のその顔、だいたいそういうときだから」


 花音はけらけら笑う。美晴も小さく肩を揺らし、栞も口元だけで笑った。


 それだけで、なんだか妙に満たされた気分になった。


 放課後の寄り道って、たぶんこういうものだ。特別な話は何もしていない。将来の夢を語るわけでも、恋愛の相談をするわけでも、秘密を打ち明けるわけでもない。ただ、新商品のお菓子が微妙だったとか、今度のテストが面倒だとか、誰々先生の授業が眠いとか、そんなことばかり喋っている。


 でも、だからこそいい。


「ていうか来月の校外学習、班どうするの?」


 花音がポテチをつまみながら言った。


「まだ決まってないよね」


「え、もうそろそろじゃない?」


「来週じゃなかった?」


 美晴が答える。


「湊、ちゃんと聞いてた?」


「聞いてたような、聞いてなかったような」


「出た」


「よくそれで生きていけるね」


 美晴に真顔で言われる。


「今のところ生きてる」


「今のところ、ね」


「篠宮さん厳しい」


「優しさです」


 即答だった。


「自分で言うんだ」


「言うよ。誰かが言わないと、湊は本当にそのまま流れていくから」


 その言い方が、少しだけ本気っぽかった。


 花音がそれを面白がるように笑う。


「ほんと保護者じゃん」


「だから違うって言ってるでしょ」


「でも否定のトーン、前より弱くない?」


「気のせい」


「はいはい」


 僕は二人のやりとりを、レモンティーのペットボトルを持ったまま眺めていた。


 たぶん第三者が見たら、よくある高校生の放課後だと思う。幼馴染がいて、にぎやかな女子がいて、少し静かな子もいて、何でもない会話で時間が過ぎていく。そういう、少しだけ都合のいい青春の切り取り方。


 でも、都合がいいからこそ、そこにいると安心するのかもしれない。


 僕は少しだけ目を細めて、夕方の道路を見た。車が通り過ぎる。自転車の高校生が横を抜けていく。空はまだ明るい。時間はゆっくり進んでいる気がするのに、あと一時間もすれば家の夕飯の匂いがする時間になる。


「ねえ」


 花音が、ふと何かを思い出したように声を上げた。


「そういえば、あの――」


 そこまで言って、口を閉じる。


「なに?」


 僕が聞くと、花音は一瞬だけ視線を泳がせた。ほんの一瞬。けれど、それまでの軽さが少しだけ抜けたように見えた。


「いや、なんでもない」


「え、気になるんだけど」


「ほんとに大したことじゃないから。ていうか、忘れた」


「忘れた顔じゃないけど」


 美晴が言う。


 花音はすぐに笑った。


「やだなあ、篠宮さん鋭い。でもマジでなんでもない。今日の数学の先生の板書、速すぎなかった? あれ絶対写し終わる前提じゃないよね」


 話題の切り替え方が少しだけ急だった。


 けれど、切り替わってしまえばそのまま流れる。美晴は「それはわかる」と乗ったし、僕も「あの先生たまに黒板を敵だと思ってる節あるよね」と適当なことを言った。栞も「消すのも速い」と小さく続ける。


 会話はちゃんと続いた。


 なのに、花音が最初に言いかけた「あの――」だけが、なぜか頭の片隅に残る。


 なんでもないことなんだろう。今の話の流れなら、校外学習か、テストか、先生のことか、その程度だ。誰だって話しかけている途中で別のことを思い出したり、言うのをやめたりする。


 それなのに、なぜかそれだけが少し引っかかった。


 理由なんて、考えるほどでもない。


 僕はそういうふうに処理した。普段なら、それで十分だった。


 しばらくして、四人で歩き出す。


 家の方向は完全には同じじゃないから、途中の分かれ道までは一緒、という感じだ。寄り道というのは、だいたいそういう曖昧さの中で終わる。


「雪平さん、今日は図書室行かなくてよかったの?」


 花音が聞く。


「今日は返却処理だけだったから」


「へえ、図書委員ってなんかかっこいいよね」


「そうかな」


「うん。静かな権力って感じ」


「意味がわからない」


 珍しく栞が少しだけ眉を寄せていて、それが妙におかしかった。


「褒めてるの、それ?」


 僕が聞くと、花音は満面の笑みで頷く。


「もちろん」


「雑だなあ」


「湊にだけは言われたくないかも」


「なんで」


「湊、雑に人に合わせるの上手いから」


 またそれだ。


 誰にでも合わせる。誰にでもやさしい顔をする。見ているようで見ない方を選ぶ。


 最近、妙にそういう言葉ばかりが集まってくる。


 自分でもうっすら気づいていることだから、余計に引っかかるのかもしれない。完全に違うなら笑って否定できる。少しだけ当たっているときほど、人の言葉は耳に残る。


「ほら、今も否定しない」


 花音が言う。


「図星のやつだ」


「別に、否定するほどのことでもないから」


「そういうところだよね」


 花音は楽しそうに言って、前を向く。


 美晴はそのやりとりを横で聞いていたけれど、何も言わなかった。ただ一度だけ僕の方を見て、それからすぐに視線を逸らした。その一瞬の表情が少しだけ硬く見えたのは、夕方の光のせいだったのかもしれない。


 分かれ道に着く。


「じゃ、私はこっち」


 花音が手を振る。


「またねー。月曜、校外学習の話ちゃんとしよう」


「はいはい」


「湊、今日の新商品レビュー考えといて」


「なんで僕が」


「感想に困る顔してた責任」


「意味不明だな」


 笑いながら別れる。花音の背中は、最後までまっすぐ明るかった。


 次に栞が小さく会釈をする。


「じゃあ、私もこっちだから」


「うん。また」


「また月曜」


 彼女はそれだけ言って、静かに歩いていく。花音とは違う種類の背中だ。目立たないのに、なぜか見送ってしまう感じがある。


 残ったのは、僕と美晴だけだった。


 夕方の住宅街には、さっきまでの四人の会話の余熱がまだ少し残っている気がした。人数が減ると、空気の温度が変わる。さっきまでは笑い声が自然に続いていたのに、二人になると会話の一つひとつが少しだけ近い。


「……楽しかったね」


 珍しく、美晴の方からそう言った。


「うん」


 僕が答えると、彼女は少しだけ視線を前に向けたまま続ける。


「橘、勢いすごいけど、ああいうの嫌いじゃない」


「知ってる」


「なんで」


「本当に嫌なら最初に断るでしょ、美晴」


「……まあ、それはそうだけど」


 少しだけ拗ねたような声。


 幼馴染だからわかる、というのはこういうことだ。言葉より先に、相手の断り方とか黙り方とか、そういう癖でだいたいの気分が見える。


「湊ってさ」


 美晴が急に言った。


「最近、雪平さんと話すようになったよね」


「図書室で会うだけだよ」


「ふーん」


「なんでその反応」


「別に」


「別に、って言うときだいたい別にじゃないよね」


「湊にだけは言われたくない」


「その台詞、今日何回目だろ」


「自覚あるなら直せば」


「無茶言うなあ」


 僕が笑うと、美晴は「ほんとにもう」と小さく呟いた。


 そのあと、しばらく沈黙が続く。


 気まずい沈黙じゃない。長く一緒にいる人間同士の、会話の切れ目として普通に存在できる沈黙だ。そういう時間を共有できる相手がいるのは、たぶんありがたいことなんだろう。


 でもそのとき、ふと昼間の花音の言い淀みが頭をよぎった。


 あの一瞬だけ抜けた空気。


 何を言いかけたんだろう。


 今さら気にすることでもないのに、なぜか少しだけ引っかかる。大した意味はないはずだ。話しそびれた校外学習の話か、先生のことか、誰かの噂話か。その程度に決まっている。


 それでも、言葉ってたまに、内容より「言わなかった」ことの方が残る。


「湊?」


 美晴の声で我に返る。


「なに、聞いてた?」


「ごめん、ちょっとぼーっとしてた」


「また?」


「またって言うなあ」


「言うよ。さっきからなんか変だし」


「そう?」


「そう」


 美晴は足を止めて、少しだけ僕の顔を覗き込んだ。


「最近、たまに変な顔する」


「変な顔は元からでは」


「そういう意味じゃなくて」


 そこで彼女は言葉を切った。


 何かを言いかけて、やめたようにも見えた。けれど次の瞬間には、いつもの少し厳しい顔に戻る。


「……ちゃんと前見てないと、転ぶよ」


「それは小学生にする注意じゃない?」


「湊にはそのくらいでちょうどいいの」


 結局、彼女はそれ以上何も言わなかった。


 家の近くまで来て、僕らも分かれる。


「じゃあね」


「うん。また月曜」


 美晴は少しだけ手を振って、いつもの角を曲がっていった。


 一人になった帰り道で、僕はペットボトルの残りを飲み干す。レモンティーはもうぬるくなっていて、でもそのぬるさが夕方の空気には合っていた。


 何も変なことは起きていない。


 金曜の放課後に友達とコンビニへ寄って、くだらない話をして、少しだけ遠回りして帰った。それだけだ。青春と呼ぶにはささやかすぎて、日常と呼ぶには少しだけ明るい、そういう時間。


 たぶん、こういう日が続いていくんだと思っていた。


 何かに名前をつけなくても、誰かの気持ちを確かめなくても、放課後は放課後のまま過ぎていくのだと。


 だから、あの小さな言い淀みや、一瞬だけ硬くなった表情なんて、あとから思えば本当に取るに足らない前触れだったのだろう。


 そのときの僕は、そう思い込むのがいちばん楽だった。

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