表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後、君とだけ秘密の話をする  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/37

第36話 残すための質問

 次の日、僕は小さなノートを一冊買ってから学校へ行った。


 コンビニで売っている、何の変哲もない罫線ノートだ。表紙は紺色で、角に少しだけ銀色の線が入っている。特別なものではない。高いものでもない。文化祭の記録用にしては、むしろ地味すぎるくらいだった。


 でも、その地味さがよかった。


 写真だけでは残らないものがある。


 沈黙。

 声の調子。

 誰かが少し困った顔をした理由。

 失敗したあと、どう直したのか。

 笑っていたけれど、本当は疲れていたこと。


 そういうものは、写真には写らない。


 なら、言葉で残すしかない。


 そんなことを考えながら買ったノートだった。


 教室に入ると、花音がすぐに気づいた。


「湊、そのノート何?」


「記録用」


「うわ、広報係が本気出してる」


「出したらだめ?」


「だめじゃないけど、湊が本気出すと空気がちょっと重くなる」


「自覚はある」


「そこ認めるんだ」


 花音は笑った。


 けれど、すぐにその笑いを少しだけ引っ込めた。


「でも、いいんじゃない」


「そう?」


「うん。写真だけだと、あとで都合よく見えるから」


 その言葉に、僕はノートを持つ手に少し力を入れた。


 花音がそれを言うようになった。


 前なら、きっと「盛れてる写真だけ残せばいいじゃん」と軽く言っていただろう。悪気なく。明るく。場を楽しくするために。


 でも今の花音は、笑顔の写真だけでは足りないことを知っている。


「じゃあ、最初の一言もらっていい?」


「え、何それ」


「記録用」


「いきなり?」


「いきなり」


 僕がノートを開くと、花音は少しだけ身構えた。


「待って。そう言われると、急に何言えばいいかわかんない」


「いつもあんなに喋るのに」


「残ると思うと別なの」


「わかる」


「わかるんだ」


 花音は少し考えてから、黒板の方を見た。


「じゃあ……今日の企画係は、企画名を決める予定。でもたぶん決まらない。理由は、私が候補を増やしすぎたから」


「正直だ」


「あとで見返したとき、ちゃんと私が悪かったってわかるように」


 そう言って、花音は少しだけ笑った。


 僕はノートに書いた。


 ――企画係。企画名を決める予定。花音いわく「候補を増やしすぎた」。本人は少し反省しているが、まだ増やす気配あり。


「ちょっと、最後の一文いらなくない?」


「必要」


「湊、記録係向いてない?」


「去年もやってたらしいから」


 口にしてから、少しだけ空気が止まった。


 しまった、と思った。


 でも花音は逃げなかった。


「うん」


 短く頷く。


「今年は、去年より向いてるかもね」


 その言葉に、胸の奥が少し痛んだ。


 去年より。


 それは褒め言葉なのかもしれない。

 でも、去年の僕を思えば、ただの褒め言葉にはならない。


「そうだといい」


 僕が言うと、花音は「うん」ともう一度頷いて、自分の席へ戻っていった。


 美晴は、僕のノートを見るなり眉を寄せた。


「それ、全部書くの?」


「全部は無理」


「じゃあ何を書くの」


「写真に写らないこと」


「また難しいこと言う」


「美晴の失敗した星も書く」


「書かなくていい」


「残すって言ったの美晴でしょ」


「言ったけど、文字で残されると嫌」


「写真はいいのに?」


「写真も嫌だけど、文字の方が逃げ場ない」


 それは、かなり本質的なことだった。


 言葉は、あとから読み返せる。

 しかも、写真よりも意味を持ちやすい。


 だから怖い。


「じゃあ、許可取る」


 僕は言った。


「昨日の星のこと、書いていい?」


 美晴は少しだけ考えた。


「……いいよ」


「嫌ならやめる」


「いい。でも、ちゃんと“作り直した”まで書いて」


「わかった」


 僕はノートに書く。


 ――装飾係。星形の飾りを何枚か切り損ねる。美晴は嫌がったが、作り直した星と一緒に記録することを了承。「失敗だけで終わらせないで」と言った。


「そんなこと言ってない」


「今、言った」


「今のをそのまま書くのずるくない?」


「記録だから」


「……本当に向いてるのかもね」


 美晴は少しだけ不満そうに、でも少しだけ納得したように言った。


 そのあと、目を伏せて続ける。


「去年の水崎さんも、こういうことしたかったのかな」


 その声は、とても小さかった。


「たぶん」


 僕は答えた。


「失敗したところも、作り直したところも、ちゃんと」


「そっか」


 美晴は自分の席へ戻りかけて、途中で止まった。


「湊」


「何」


「そのノート、完成したら、見せてね」


「もちろん」


「私たちだけじゃなくて、みんなにも」


 その言葉に、少し驚いた。


「いいの?」


「嫌だけど」


「嫌なんだ」


「嫌。でも、見せた方がいい気がする」


 美晴はそう言って、少しだけ困ったように笑った。


「使いやすいところだけ見せたら、また同じだから」


 それは、澪の言葉に近かった。


 ちゃんと残さないと、なかったことになるから。


 僕は頷いた。


「わかった」


 昼休み、栞がノートを見に来た。


「記録ノート?」


「そんな感じ」


「いいと思う」


「栞にも何か聞いていい?」


「何を?」


「資料係として今日やること」


 栞は少しだけ考えてから答えた。


「去年の資料を分類する。今年使うもの、参考にするもの、残すだけのものに分ける」


「残すだけのもの?」


「使わないけど、捨てないもの」


 僕はその言葉をノートに書いた。


 ――資料係。去年の資料を分類。今年使うもの、参考にするもの、残すだけのもの。栞いわく「使わないけど、捨てないもの」がある。


 書き終えると、栞が静かに言った。


「それ、大事かもね」


「使わないけど、捨てないもの?」


「うん」


「写真も?」


「人の記憶も」


 栞はそれだけ言って、自分の席へ戻った。


 相変わらず、短いのに逃げ場のない言葉だった。


 放課後、文化祭準備が始まると、僕は写真を撮りながらノートも開いた。


 思ったより忙しい。


 写真を撮る前に許可を取り、撮ったあとにメモを書く。誰が何をしていたか、何に困っていたか、何を直したか。完成品だけを追えば簡単なのに、途中を残そうとすると、教室の中は一気に情報だらけになる。


「湊、真面目すぎ」


 男子に言われた。


 その言葉に、少しだけ体が固まる。


 記録係、重すぎ。


 去年の声が一瞬だけ重なったからだ。


 でも、今年の僕は黙らなかった。


「真面目にやることにした」


「お、おう」


「嫌なら撮らないし、名前も書かない」


「いや、別に嫌じゃないけど」


 男子は少し照れくさそうに頭をかいた。


「じゃあ、俺が段ボール二回落としたのは書かないで」


「一回にしておく」


「盛るな。減らせ」


「記録改ざんはだめ」


「厳しいな広報」


 周りが少し笑った。


 でも、嫌な笑いではなかった。


 誰かを置き去りにする笑いではなく、会話の中にある笑いだった。

 たぶん、全部が全部悪いわけではない。

 笑うことそのものが悪いわけではない。


 問題は、何を笑うか。

 誰が笑えないまま残されるか。


 それを、今の僕は忘れたくなかった。


 作業の途中で、見慣れない女子が近づいてきた。


 同じクラスの子だ。名前はたしか、三浦さん。普段はそこまで話さない。文化祭の装飾係で、美晴とよく話している。


「水野くん」


「うん?」


「そのノート、何?」


「広報の記録」


「へえ。写真だけじゃないんだ」


「うん。途中も残そうと思って」


 三浦さんは少しだけノートを覗き込んだ。


「今年、なんかちゃんとしてるね」


「今年?」


 僕が聞き返すと、彼女は一瞬だけ言葉に詰まった。


 その反応で、胸が少し冷えた。


「去年は?」


 僕が聞くと、三浦さんは困ったように笑った。


「ごめん。変な意味じゃなくて」


「うん」


「去年の記録、なんか……きれいすぎたなって思っただけ」


 きれいすぎた。


 その言葉が引っかかる。


「見たの?」


「見たっていうか、文化祭終わったあとにクラスの掲示に少し貼られてたじゃん。写真とか」


「覚えてる?」


「少しだけ。楽しそうな写真ばっかりだった」


 彼女はそう言ってから、少し声を落とした。


「でも実際、準備中はそんなに楽しそうなことばっかじゃなかったよね」


 僕は返事ができなかった。


 三浦さんは続ける。


「なんか、あとから見たら、あれ? こんな明るかったっけ、って思った」


「……それ、去年も思ってた?」


「うん。たぶん」


 たぶん。


 みんな、たぶんなのだ。


 はっきり覚えていない。

 でも、違和感だけが残っている。


「水崎澪のこと、覚えてる?」


 気づけば、聞いていた。


 三浦さんの顔が、はっきり変わった。


 空気が止まる。


 近くにいた美晴がこちらを見る。

 花音も黒板前から気づいたようだった。

 栞は資料を持ったまま動きを止める。


 三浦さんは、すぐには答えなかった。


 そして、小さく言った。


「……名前、出すんだ」


 その言い方は、責めているようでも、驚いているようでもあった。


「うん」


 僕は答えた。


「出すことにした」


 三浦さんはしばらく僕を見ていた。


 やがて、少しだけ視線を落とす。


「覚えてるよ」


 その言葉は、静かだった。


「でも、あんまり話したことない。たぶん」


「たぶん?」


「同じ班じゃなかったし。でも、文化祭のとき、あの子が何か言って、空気が変になったのは覚えてる」


 また、その言葉だった。


 空気。


 みんなが見ていたもの。

 澪ではなく、空気。


「何て言ってたかは?」


 三浦さんは首を横に振る。


「そこまでは。でも、正しいこと言ってた気がする」


「正しいこと」


「うん。だから余計、みんな困ったんだと思う」


 正しいから困る。


 美晴が前に言ったことと同じだ。


 三浦さんは、少しだけ苦笑した。


「あのとき私、関係ない顔してた。自分は言われてないし、面倒なことになりそうだから黙ってた」


 それは、僕たちが何度も言葉にしてきた罪と似ていた。


 黙っていた。

 関係ない顔をしていた。

 面倒なことになりそうだから。


「ごめん。急に聞いて」


 僕が言うと、三浦さんは首を振った。


「いや。誰かが名前出した方がよかったのかも」


「今さらかもしれないけど」


「でも、今さらでも出さないよりはいいんじゃない」


 彼女はそう言って、装飾係の方へ戻っていった。


 教室の中に、少しだけざわつきが残った。


 水崎澪の名前が、教室で出た。


 花音がゆっくりこちらへ来る。


「湊、今の」


「うん」


「びっくりした」


「僕も」


「でも、止まらなかったね」


 確かにそうだった。


 空気は止まった。

 でも、壊れなかった。

 誰も笑って流さなかった。

 誰も「今それ言う?」とは言わなかった。


 三浦さんは答えた。


 水崎澪を覚えている、と。


 たったそれだけで、教室の中に薄く残っていたものが少しだけ形を持った気がした。


 美晴が近づいてきた。


「湊」


「怒った?」


「少し」


「やっぱり」


「でも、言ってよかったと思う」


 美晴はノートを見た。


「そのことも書くの?」


「書く」


「じゃあ、私のことも書いて」


「何を?」


「水崎さんの名前が出たとき、止まったけど、逃げなかったって」


 花音が続ける。


「私も」


 栞も静かに言った。


「私も」


 僕はノートを開いた。


 書く手が少し震えた。


 ――放課後、教室で初めて水崎澪の名前を出した。空気は止まった。でも、誰も笑わなかった。三浦さんは「覚えてる」と言った。美晴、花音、栞もその場にいた。逃げなかった。


 書き終えると、花音が少しだけ目を細めた。


「その一文、なんか重いね」


「使いにくい?」


「うん。すごく」


 花音は笑った。


 今度の笑いは、ちゃんと僕たち全員の中に落ちた。


「でも、残そう」


 美晴が言う。


「うん」


 栞も頷く。


 僕はノートを閉じなかった。


 まだ書くことがある気がしたからだ。


 今年の教室は、まだ終わっていない。


 去年のことも、まだ終わっていない。


 けれど今日、初めて水崎澪の名前は、教室の中で小さく息をした。


 それは謝罪ではない。

 償いでもない。

 何かが解決したわけでもない。


 ただ、名前を出した。


 そして、誰かが覚えていると言った。


 その小さな事実を、僕はノートに残した。


 なかったことにしないために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ