表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後、君とだけ秘密の話をする  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/37

第27話 写っていないもの

 家に帰ってからも、スマホの中の写真が気になっていた。


 今日撮った、文化祭準備中の教室。


 黒板の前に花音がいて、装飾の紙を持つ美晴がいて、棚の近くでファイルを見ている栞がいる。何気ない一枚だった。誰かがこちらを向いてポーズを取っているわけでもない。笑顔を作った写真でもない。ただ、放課後の教室がそこに写っている。


 それなのに、何度も見返してしまう。


 理由はわかっていた。


 今年の写真を撮ったことで、去年の写真を避けられなくなったからだ。


 僕はベッドに座り、スマホの写真アプリを開いた。


 指先が少しだけ重い。


 アルバム一覧を下へスクロールする。

 今年の写真。

 去年の写真。

 文化祭。

 学校。

 何気なく保存したスクリーンショット。

 誰かから送られてきた画像。


 去年の秋あたりまで遡るのは、思ったより時間がかかった。


 写真というものは、撮った瞬間は大事に思えても、あとになるとほとんど見返さない。昼食の写真、黒板の連絡事項、友達がふざけて撮った動画、どこかの空、電車の時刻表。どうでもいいものがたくさん残っている。


 でも、どうでもいいものが残っているのに。


 肝心なものが残っていなかったら、どうすればいいのだろう。


 去年の文化祭の日付のあたりで、指が止まった。


 写真がいくつかあった。


 教室の装飾。

 黒板の文字。

 準備中の机。

 花音がふざけてピースしている写真。

 美晴が何かを持ってこちらを睨んでいる写真。

 クラスメイトたちの後ろ姿。


 あった。


 僕は、ちゃんと写真を撮っていた。


 広報係みたいに。

 記録係として。


 胸の奥が少しだけ冷える。


 画面を一枚ずつ送る。


 そこに、水崎澪の姿を探す。


 でも、すぐには見つからない。


 教室には人がいる。

 机の向こうに女子がいる。

 黒板の前に誰かの手が写っている。

 でも、これが澪だとは言えない。


 顔が見えない。

 写っていない。

 あるいは、写っているのに、僕がわかっていない。


 そのどれなのかがわからないことが、一番怖かった。


 しばらく見ていると、メッセージが届いた。


 美晴からだった。


『見てる?』


 短い一文。


 僕は少し迷ってから返す。


『見てる』


 すぐ既読がついた。


『大丈夫?』


 大丈夫ではなかった。

 でも、大丈夫じゃないと返すのも違う気がした。


『わからない』


 そう送ると、少し間が空いた。


『私も去年の写真見てる』


 その返事を見た瞬間、胸がきゅっと縮んだ。


 美晴も見ている。


 同じように、去年の写真を。


『何かあった?』


 僕が送る。


 今度はすぐには返ってこなかった。


 数分後、短い返事が来た。


『水崎さんかもしれない子、いた』


 息が止まった。


 僕は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。


 次に画像が送られてくる。


 文化祭準備中の教室の写真だった。


 美晴のスマホで撮ったものらしい。

 画質はそこまでよくない。少し手ぶれしている。

 手前に紙の束を持った美晴の友達がいて、奥の方に何人かの生徒が写っている。


 その隅に、女子が一人いた。


 肩くらいの髪。

 少しうつむいた顔。

 手には何かのプリント。


 顔ははっきりしない。


 でも、写真の端で見たあの感じに似ていた。


 水崎澪。


 僕はその名前を口にしそうになって、やめた。


 代わりに、メッセージを打つ。


『たぶん、そうかも』


 送信してから、心臓の音が少しうるさくなる。


 美晴から返事が来る。


『この写真、私が撮ったみたい』


 そのあと、また少し間が空く。


『でも、なんで撮ったか覚えてない』


 僕はスマホを握りしめた。


 美晴も同じなのだ。


 写真は残っている。

 でも、その瞬間の意味がない。

 誰を撮ろうとしたのか、なぜ撮ったのか、何を見ていたのかが戻ってこない。


 僕は自分の写真フォルダへ戻った。


 同じような角度の写真を探す。


 何枚か送ってもらった写真と比べながら、文化祭準備の写真を見返す。すると、一枚だけ引っかかるものがあった。


 教室の端。

 プリントの束。

 窓際の机。

 誰かの横顔。


 はっきり写ってはいない。

 でも、そこにいる。


 僕の写真にも、水崎澪らしい人が写っていた。


 ただし、画面の端だった。


 中心ではない。

 誰かを撮った写真の奥に、偶然入っているだけ。


 僕はその一枚を見たまま、しばらく何もできなかった。


 写真は残っている。

 でも、僕は彼女を撮っていない。


 写っているだけだ。


 僕が見ようとしたから残ったのではない。

 僕が別のものを撮った結果、たまたまそこに入っていただけ。


 その事実が、ひどく苦しかった。


 美晴に画像を送る。


『僕のにもいた』


 すぐ返事が来る。


『見せて』


 僕は送った。


 しばらく既読のまま止まる。


 そして、美晴から返ってきた。


『これ、水崎さんだと思う』


 それだけ。


 それだけなのに、部屋の空気が少し重くなる。


 僕はベッドに座ったまま、画像を拡大した。


 画面の端の彼女。


 ぼやけている。

 表情も読めない。

 ただ、そこにいる。


 水崎澪は、僕の写真の中にもいた。


 なのに僕は、その存在を覚えていなかった。


 スマホがまた震える。


 今度は花音からだった。


『今いい?』


 珍しいメッセージだった。


 僕は少し迷ってから返す。


『いいよ』


 すぐに通話がかかってきた。


 出ると、花音の声が聞こえた。


「湊?」


「うん」


「ごめん、急に」


「大丈夫」


「今、美晴から聞いた。写真見つけたって」


 美晴が花音に送ったのだろう。


 少しだけ驚いたけれど、不思議ではなかった。

 もう一人で抱える段階ではないのだと思う。


「花音も見る?」


「見た」


「そっか」


 短い沈黙。


 電話越しの沈黙は、教室よりも少し息苦しい。


「水崎さんだった」


 花音が言った。


 僕は画面の写真を見つめながら、返す。


「やっぱり?」


「うん。たぶん。でも、あれは水崎さんだと思う」


「花音は、顔わかるんだ」


「はっきりじゃないよ。でも、なんか……わかる」


 その言い方は、僕たちと同じだった。


 断定できない。

 でも、違うとも言えない。


「湊の写真、見た」


「うん」


「あれ、たぶん文化祭の紹介文を作ってた日」


「覚えてるの?」


「少しだけ」


 花音の声が小さくなる。


「水崎さん、何か言ってた」


「何を?」


「……そこまでは思い出せない」


「そっか」


「でも、湊は近くにいた」


 僕は何も言えなかった。


 画面の中で、澪は端にいる。

 その近くに、僕の机らしいものが写っている。

 僕自身は写っていない。撮る側だから。


 でも、そこにいたのだ。


 僕は。


「花音」


「うん」


「僕、そのとき何してた?」


 聞いた瞬間、少し後悔した。


 でも、もう取り消せない。


 花音はしばらく黙っていた。


「たぶん、聞いてた」


「澪の話を?」


「うん」


「僕が?」


「うん」


「それで?」


 電話の向こうで、花音が息を吸う音がした。


「そこで、誰かが笑った」


 胸の奥が冷たくなる。


「誰かって?」


「わからない」


「花音?」


「……私も笑ったかもしれない」


 その声は、ひどく小さかった。


 僕はスマホを耳に当てたまま、黙った。


 花音は続ける。


「湊が笑ったかどうかは、覚えてない。でも、場が笑ったのは覚えてる」


「場が笑った」


「うん。誰か一人じゃなくて。なんとなく、空気が笑う感じ」


 その表現が、妙にわかった。


 誰が笑ったのかわからない。

 でも、教室が笑った。


 そういうことはある。


 誰かの一言に、数人が笑う。

 それにつられて、他の人も笑う。

 笑っていいのか迷った人も、場に合わせて笑う。

 気づけば、それは「みんなが笑った」ことになる。


 その中に、自分がいたかどうかだけが、わからない。


 いや。


 たぶん、いたのだ。


「水崎さんは?」


 僕は聞いた。


「そのとき、澪はどうしてた?」


 花音は答えなかった。


 答えないことが、答えに近かった。


「花音」


「……笑ってなかった」


 その声は、ほとんど消えそうだった。


「水崎さんだけ、笑ってなかった」


 僕は目を閉じた。


 頭の奥で、何かが動いた気がした。


 まだ映像ではない。

 でも、音だけがある。


 教室の笑い声。

 誰かの「いや、それは真面目すぎでしょ」という声。

 紙の束。

 夕方の窓。

 そして、笑っていない誰かの気配。


 水崎澪。


 彼女はそのとき、笑っていなかった。


「湊、大丈夫?」


 花音の声が聞こえる。


「大丈夫じゃないかも」


「ごめん」


「謝らないで」


「でも」


「花音だけじゃない」


 言いながら、自分でもわかっていた。


 その言葉は、花音を慰めているようで、自分にも向けている。


 花音だけじゃない。

 僕もいた。

 美晴もいたかもしれない。

 クラスもいた。


 誰か一人ではなく、場が笑った。


 それが一番怖い。


「明日、話そう」


 花音が言った。


「うん」


「美晴と栞にも」


「うん」


「逃げないから」


 その言葉は、前より少しだけ確かだった。


「僕も」


 そう答えると、花音は短く息を吐いた。


「じゃあ、また明日」


「また明日」


 通話が切れる。


 部屋に静けさが戻った。


 スマホの画面には、まだ去年の写真が表示されている。


 画面の端の水崎澪。

 笑っているのかどうかもわからないほど小さく写った彼女。


 でも今、僕の中には一つだけ戻ったものがある。


 笑っていなかった。


 教室が笑っている中で、彼女だけが笑っていなかった。


 そして僕は、そこにいた。


 写真は、写っているものだけを残す。


 でも、写っていないものもある。


 その場の空気。

 笑い声。

 誰が目を逸らしたか。

 誰が黙ったか。

 誰が、何もしなかったか。


 去年の写真は、澪の姿を端に残していた。

 でも、僕の顔は写っていない。


 撮っていたからだ。


 僕は、画面の外にいた。


 画面の外で、何を見ていたのだろう。


 何を、写さなかったのだろう。


 その問いだけが、夜の部屋に残った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ