家族
闇の中での椿の願い
「椿」
廊下を歩いていた椿は、自分を呼ぶ声に振り向いた。そこにいたのは、彼女に引けを取らぬ美しい女性。
「おや、撫子じゃないか」
黒々とした艶やかな髪に金色の簪をさし、長煙管をくわえて真っ赤な紅をつけた彼女は、この店で椿と人気を二分する遊女。
「お疲れい」
「お互いにね」
「アタシは、今日そこまででもなかったよい」撫子は、ふと煙を吐く。
「おやぁ、それじゃあ今月は私の勝ちかねぇ?」いたずらっぽい笑みを浮かべて椿がそう言うと、「冗談じゃないよい」と撫子も笑った。
「ふざけんじゃないよ!!」
突然、奥の大広間から怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。
「なんだろうね」
「さあねい、揉め事かなんかだろい」
二人は顔を見合って、大広間へ歩き出した。
「だから!!その態度が気に入らんのよ!!」
大広間では、背の高い女が青い着物を着た女に声を荒らげて怒鳴っていた。
背の高い女の名は白梅。青い着物の女は桔梗という、どちらも遊女だ。
撫子の予想通り遊女同士の揉め事のようだった。
「桔梗、アンタ如きがウチに逆らうなんて生意気なんよ」
「す、すんません...。勘弁してください、櫛を返してください...それはおっかさんが...!」涙を目に溜めてなりながら桔梗は許しをこう。
が、白梅はふんと鼻を鳴らして女を突き飛ばす。
「あ!!」
桔梗はぐら、と傾き、倒れた。
「アンタにこんなん似合わん、ウチが使っちゃるわ」
「だめです、だめ...返して...返して...」
その言葉を無視して白梅は櫛をさそうとする。が、
「やめなさいな、白梅。みっともないねぇ」
寸のところで椿に手首を捕まれ、櫛をとられた。
「椿!!」白梅は椿の手をすぐに振り払う。
「立てるかい?桔梗」
撫子が桔梗に手を伸ばし、起こした。
「ほら、アンタのだろ?」そう言って、椿は桔梗に櫛を渡す。
「あ...、ありがとう...。椿、撫子」桔梗は櫛を握り締めて、ぼろぼろと泣き出した。
「...ったく、白梅は桔梗にちょっかい出すのやめって言ったろい」
「アンタには関係ないが!!本当は桔梗なんかどうなってもどうでもいいくせにー...!!」
ばちん。
乾いた音が響く。
一瞬、白梅は何が起きたのかわからなかった。だが、左頬にじんわりと痛みが広がってきて気づいた。
自分は椿に殴られたのだと。
「なっ、なにするん...!!」白梅は、椿の剣幕に何も言えなくなった。
「どうでもいいわけないじゃないのさ、私に家族はいない。だから、この店の皆は家族も同然なんだよ。その家族が傷ついている姿なんて、見たいわけないじゃないか!どうでもいいわけないじゃないか!」
「椿...」
「桔梗、アンタもアンタだ。やられっぱなしなんて情けないよ。女なら、やり返さなきゃね」椿が笑顔で桔梗に言う。
「...! はい!」桔梗も涙を拭って、微笑んだ。
「フン!」白梅は肩を怒らせて大広間から出ていく。
「...。」
椿は、自分の部屋の窓際で頬杖をついて、島原の街を見下ろした。
「椿姉さま、さくらです。失礼します」
そう言って麩を開けて入ってきたのは、十幾つかの桜色の着物を着た女の子。
「ああ、さくら。髪を梳かしてくれないかねぇ?」
「はい」さくらは椿の後ろに膝立ちをして、髪を縛る無数の紐を一つずつ解く。
最後の紐を解いた時、ばさりと上質な絹の様な手触りの長い髪が宙を舞うように落ちていった。
つげの櫛を椿の髪に通し、丁寧に梳かしていく。
「ねぇ、さくら」
「はい?」
「この街は...汚いねぇ」椿が、ぽつりと呟いた。
「確かにそうですね、ごみはそこら中に落ちているし...」
「そうじゃないよ」椿はくすくすと笑って視線を少し上に向けた。
「...?」
「そうじゃなくてね...汚いんだよ、この街は。
男共は皆、私ら女を品物としてしか見ていない。女たちはどいつも光のない目をしている。」
さくらには、まだ良く分からなかったが、椿がこういった話をするのは珍しく、髪を梳かしながら聞いていた。
「私は...、そんな女たちの光になりたい。
本物の陽の光が差し込む、その時までね。」
椿は嬉しそうに、でも少しだけ寂しそうにそう言った。
「...なれますよ、姉さまならきっと」
「そうかねぇ?」
「だって...もう姉さまは...」
私の光だから。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
次回からが本編となります




