第44話 二人の時間.3
「…そうなる気はしていたわ……」
それがセレーネお姉さまのお口から出た、最初の言葉でした。
いつもと変わらぬ声、風無き日の夜の湖面にも似た透明感ある静かな声。
だから、お姉さまでは無く私の方が驚いてしまいました。
「え…お姉さま!?」
「ああ?いきなり振り向いては髪が櫛に絡んでしまうわ?」
「…あ、はい」
肩を竦め、振り向いた顔を戻し姿勢を正す。
もし私の正面に鏡があったのなら、澄まし顔のお姉さまと
そして、顔を赤くした私が映っていた事でしょう。
お姉さまの顔を見る事が出来るのは素敵だけど
羞恥顔の自分を見る事はさらに恥ずかしさが増してしまうだけ
今は無くて良かったと思いたい。
今は夜。ここは学生寮、私…シルファとお姉さまのお部屋。
夕餉とお風呂を終え、寝間着へと着替えれば寝る準備は万端。
後はお姉さまと優雅でゆるやかな時間を過ごすだけ。
勿論、予習も復習はきちんと終えていますよ?
学びを疎かにしないのは、お姉さまと共に過ごす時に決めた約束。
だから、やるべき事をやったのならば
憂いなく、心行くまでお姉さまとの時間を楽しむ事が出来ます。
でも、それは何も無ければの話。
今日の私の心は曇り気味。少し違うかな?
晴れと曇りと行ったり来たり。落ち着きなく揺らめき惑っている
その原因は昼間の出来事。
婚礼祭の代表ペアに選ばれてしまった事、そのペアを組む合い手がライラである事
そんな私達の事で盛り上がる友人達……
全部が混ざって頭の中でぐるぐるする。ぐるぐる、ぐるぐると……
だから私の心は晴れと曇りを行ったり来たり。
それでも、日課であるお姉さまへの報告は忘れない。
だって、お姉さまには私の事を全部知っていて欲しいから。
いつもの様にベッドに腰を下ろすと、お姉さまに身と髪を預け
櫛の通る心地良い感覚に身を任せながら、今日一日の出来事を思い返し語る。
魔法光ランプの橙色の光の中で語るそれは
夜話の物語の様でもあるけれど、物語は直ぐに山場へと至ってしまう。
それは学園での一日が始まって直ぐに起きてしまった事だから……
山場だけど私的には語りたくは無い。でも……
今は語らずとも、いずれどこかでお姉さまの耳に入ってしまうのは確実。
『婚礼祭』は私達一年生にとってだけではなく
このルミナス魔法学園に通う生徒全員とって、大きなイベント。
だからどうあっても、私達の動向は上級生達のお姉様方の耳には入ってしまう。
何より、セレーネお姉さまには隠し事はしたくないから。
ならば私から語る方が説明も出来る。だから惑い迷いながらも語り報告する。
そしてお姉さまのお口から出たのが
「…そうなる気はしていたわ……」なのでした
驚きは直ぐに恥ずかしさへと変わり
恥ずかしさが収まると今度は溜め息がやってきました。
惑い迷っていた自分が馬鹿みたいと思えて来たから。
「やっぱりお姉さまはすごいです……」
「ううん、そうでもないわよ?森妖精のあの子…コロネさんだったかしら…?
あの子の可能性も予想していたし…半々だったもの?」
「え?コロネの?」
またまたお姉さまのお口から予想外の言葉…名前が出ました。
なぜ、ここでコロネの名前が出るのでしょうか?
確かにコロネは今の私にとって、最も近しい友人の一人です。
だとしても、彼女と私が選ばれペアとなる事は全く想像していませんでした
そもそも、私は代表に選ばれたくは無かったのだから。
お姉さまが予想した根拠が気になります。
私とライラ、あるいは私とコロネが選ばれると予感するに足る根拠が。
ならば聞くしかありません。
今度は振り向かず、言葉だけで「なぜ?」と問うてみました。
すると、即座にお姉さまから答えが返ってきました。
「直感かしら…?」
「直感ですか…?」
短くもあっさりとした言葉に、私の肩と頭ががくりと落ちます。
思わせぶりに言っておいてこれです、緊張もどこかへ飛び去ってしまいました
そうですそうでした、お姉さまはこう言う方なんです。
私の反応を楽しみ、私で遊ぶのが好き。
何度も繰り返された事だけど、やはり溜め息は出てしまいます。はぁ。
「シルファ溜め息しないで…?
直感と言っても私の魔王が囁いたから……」
「溜め息もでますよー…え?魔王が囁く…?」
ここでまたお姉さまが奇妙な事を言い出しました。
流石にこれ以上は遊ばられませんよ?…変な言い方になりました。
とにかく、ここからの私は凛とした姿勢なのです。
だって、魔王の声なんて、契約した《《あの時》》にしか聞いた記憶はありませんから!
「ああ、本当の話なのよ?こう…ゴニョゴニョって……」
「…ゴニョゴニョって…むぅ……」
これはどう反応したものでしょうか?揶揄われているとしか思えません。
だから私は頬を膨らませ、拗ねてみる事にしました。凛とした姿勢で拗ねるのです
「シルファ?もしかして拗ねた…?」
「拗ねてませんのだ」
私が拗ねたとわかったのか、お姉さまの手が私の髪を優しく撫で始めました。
櫛とは違う優しく柔らかな、そして懐かしい感触。
もう!こんな事をされたら機嫌を直すしか無いじゃありませんか。
私はどうあがいても、お姉さまの手の平の上なのでした。
「なんにしても…選ばれてしまったのなら、楽しむ方が素敵だと思うわ…?」
お姉さまは言うと、今度は私の首に腕を回してきました。
「あ……」
背後から首を絞める様な態勢だけど。苦しさよりも、お姉さまの鼻が私の頭皮にあたりくすぐったい。それに、お姉さまのお胸が私を背をふわふわと撫でます。
凛とした態度はここで完全終了です。五分も持ちませんでした。
「…楽しむ方が…ですか?でも私はお姉さまと……」
「ん…いい匂い…え、私と?何?」
言ってもどうしようも無い事だけど、言いかけてしまった以上は言ってしまう
これ以上匂いを嗅がれ続けるのも恥ずかしいし。
「その、私…お姉さまとペアを組みたかったです……、それで一緒に婚礼衣装を着たかったです……」
「私と……」
驚くお姉さまに、私は小さく頷く事で返事をする。
そこで私とお姉さまの言葉が止まった。
お互い無言となり、廊下から聞こえるざわめきが妙に大きく聞こえる。
私の我儘だけど。お姉さまにも思うところはあるはず。
だって、これは叶えたくとも叶わぬ願いだから。
『婚礼祭』でお姉さまとペアになるためにはとてつも無く大きな条件がある。
それは、お姉さまと同じクラスメイトであると言う事。
それは、お姉さまと一緒に入学した同学年であると言う事。
これは何度も思った事。もし、お姉さまと同じ年齢だったのなら
一年も離れ離れになる事は無かったはずだから。
『もしも』を考えても無意味で空しい事はわかっている……
それでも考えてしまう。だから言葉が出ない。
開け放ったままの窓から入る夜の香りが私達の身体を冷やし始めた頃
お姉さまが口を開きました。唇が動き私の髪をくすぐる。
「…素敵だったかもしれないわね…でも……」
「でも?」
「私はシルファにお姉さまと呼ばれるこの関係…好きだから……」
顔が熱いです。冷えていた身体が奥から熱くなります。
当たり前となっていた事を改めて言われると、こんなにも恥ずかしいと知りました
「う、う…お姉さま……」
「なぁに?」
お姉さまと呼ぶ事までが妙に恥ずかしい。
普段意識していない事を急に意識するとこんな事になってしまうのですね……
なのに、お姉さまはなんだか楽しそうだし。
「…シルファもセレーネお姉さまを…お姉さまと呼ぶの…好きです……」
愛の告白をしている様な恥ずかしさです。言って直ぐに自分の顔を両手で覆う。
お姉さまは背後に居るけど、顔を隠したくなるのはきっと本能。
セレーネお姉さまを『お姉ちゃん』から『お姉さま』と呼ぶ様になって、それなりの年月が経っているはずだけど。
こんなに恥ずかしかったのは初めてかもしれません……
「良かった…でもそうね……あ!」
「お姉さま…?」
「ふふ…いい事を思いついたの……」
なんでしょう?いい事って。
だから私は再び問うのだけど、お姉さまは答えてくれず。
私の頭を、笑みでくすぐるばかりなのでした……
ここまで読んでいただきありがとうございます。




