精勤
私はJ。大学の基礎医学研究室に籍を置き、生命現象の複雑なメカニズムを解き明かそうと、日々実験と論文、時折若手の指導にも向き合っている。私たちの仕事は、時に昼夜の境も曖昧になるほど没頭を要するものだが、臨床の現場で働く先生方の献身には、また別の種類の、そしてより直接的な厳しさが伴うことを常々感じている。
特に、当直業務を含め、まるで病院そのものが生活の場であるかのように働き続ける先生方の姿には、畏敬の念を禁じ得ない。しかし、その過酷さが時に悲劇的な結末を招くこともある。「過労死」という、あまりにも無慈悲な言葉が、医療の世界にも存在するのだ。私の周りでも、その過労が原因で、病院の当直室で若くして帰らぬ人となった知人がかつていた。A先生という、実直で患者さん思いの、素晴らしい先生だった。
そのA先生が勤務していた大学病院に、先日、私はある共同研究の打ち合わせで訪れる機会があった。古い建物と新しい建物が混在する広大な敷地は、相変わらず多くの人々が行き交い、生命の営みと、そしてそれに対する医療の絶え間ない挑戦が繰り広げられていることを感じさせる。会議が終わり、少し時間があった私は、A先生の思い出が残るその病院の空気を吸いたくて、中庭のベンチで一人、ぼんやりと時間を過ごしていた。すると、ふと、「J先生ではありませんか?」と声をかけられた。振り返ると、そこに立っていたのは、A先生と同期で、今は消化器内科で臨床教授を務めるH先生だった。学生時代、私も何度か言葉を交わしたことのある、穏やかで思慮深い医師だ。
「H先生、ご無沙汰しております」
私たちはしばらく、互いの近況や研究の話などを交わしたが、自然と話題はA先生のことに移っていった。彼のあまりにも早すぎる死、そしてその比類なき勤勉さ。
「A君は、本当に……『精勤』という言葉が、彼ほど似合う人間を私は知りません。」
H先生は、遠くを見るような目で呟いた。「文字通り、身を粉にして患者さんのために尽くしていましたから。あの当直室で倒れているのが見つかった時も、彼の机の上には、翌日のカンファレンスのための資料が、きちんと整理されて置かれていたそうです。」
その言葉に、私は改めて胸が詰まる思いだった。しかし、H先生はそこで僅かに言葉を切り、何かを躊躇うような、それでいて私に何かを伝えたいような複雑な表情を浮かべた。
「実は、J先生、これはあまり大きな声では言えないのですが……A君の『精勤』は、彼が亡くなった後も、この病院で続いているようなのです。」
H先生が語り始めたのは、A先生の死後、数週間ほど経った頃から、院内で囁かれ始めた奇妙な噂の数々だった。それらは、主に夜間や早朝の、人の少ない時間帯に起こる、科学では説明のつかない出来事ばかりだったという。
「最初は、看護師たちの間で、『A先生のカルテ記入が、まだ残っているみたい。』という話が出始めました。A先生が特に気にかけていた患者さんのカルテに、誰も記載した覚えのない、しかし明らかにA先生の筆跡によく似た几帳面な文字で、経過観察の追記や、検査データの丁寧なまとめがなされていることが、度々あったというのです。もちろん、電子カルテ化が進んだ今ではありえない話ですが、当時はまだ手書きの記録も多く残っていましたから。」
また、A先生が亡くなったあの当直室。
そこは今も若手医師たちの仮眠室として使われているが、しばしば不可解な現象が報告されたという。誰もいないはずなのに、部屋の隅で微かな寝息が聞こえたり、備え付けられた医学書などのページが、翌朝になると机の上で開かれていたり。ある若い研修医は、明け方にうとうとしていた際、ふと気配を感じて目を開けると、ベッドの脇にA先生らしき人影が立ち、心配そうに自分を見下ろしていたと、青い顔で訴えたこともあったという。
「もちろん、疲労による幻覚や見間違いだろうと、皆、最初はそう考えていました。しかし、そういった話があまりにも多く、しかも細部で奇妙な一致を見せるものですから。」
H先生自身も、一度だけ、A先生の「気配」を強く感じたことがあると語った。それは、A先生の三回忌も過ぎた頃の、ある冬の夜だったという。H先生はその日、手術が長引き、深夜にようやく医局に戻ってきた。疲労困憊し、A先生が亡くなったのと同じ当直室で仮眠を取ろうとした。ベッドに横たわり、目を閉じると、部屋の空気がふっと冷たくなり、誰かがすぐそばで深いため息をつくような音が聞こえた。そして、A先生がよく口にしていた、「大丈夫、もう少しだから頑張ろう」という、かすれた、しかし聞き間違えようのない声が、耳元で囁かれた気がしたのだという。
「飛び起きましたが、もちろん部屋には誰もいません。しかし、あの時感じたA君の温かい励ましと、そして彼の抱えていたであろう底なしの疲労感は、あまりにも生々しくて。私は、彼が本当にまだ、この病院で働き続けているのではないかと、その時、本気で思ったのです。」
さらに奇妙なことに、時折、術後のせん妄状態にある患者さんや、意識レベルの低下した高齢の患者さんから、「さっき、眼鏡をかけた、とても優しくて、でもひどく疲れた顔の先生が見に来てくれたよ。」という報告が、稀にだが聞かれることがあった。その描写は、驚くほどA先生の特徴と一致していた。そして、その「見回り」を受けた患者さんは、一様に穏やかな表情をしていたという。
「私たちは、いつからか、A君のその『精勤』を、この病院の七不思議の一つとして、半ば公然と、しかし静かに受け入れるようになっていました。」H先生は静かに続けた。「彼が愛用していた白衣のクリーニングタグの番号『39番』にちなんで、『サンキュー先生が、また夜勤してくれてるみたいだね。』なんて、古いスタッフの間では冗談めかして言うこともあります。もちろん、新しい人たちには、気味悪がらせてもいけませんから、積極的には話しませんがね。」
H先生によれば、A先生の存在は、決して誰かに危害を加えるようなものではなく、むしろ、患者を気遣い、同僚を案じているかのような、温かくも悲しい気配なのだという。一部の信仰心の篤い看護師たちは、時折、当直室の隅にそっと缶コーヒーを供えたり、A先生の冥福を祈って手を合わせたりしている姿も見られるそうだ。驚くべきことに、今でもA先生の目に見えない「勤務」が時折語られるという。
H先生の話を聞き終えた私は、言葉を失っていた。研究者として、合理的な説明を求める心が騒ぐ一方で、A先生の人となりを知る者として、その話が奇妙な説得力をもって胸に迫ってくるのを感じていた。「精勤」という言葉が、これほどまでに重く、そして哀切に響いたことはない。彼の魂は、あまりにも強すぎた責任感と、尽きることのなかった仕事への情熱によって、今もこの場所に留められているのだろうか。
病院という場所は、生命の誕生と終焉が日常的に交錯する、特殊な空間だ。そこでは、我々の理解を超える多くの感情やエネルギーが渦巻いているのかもしれない。A先生の物語は、その渦の中で、一人の医師の魂が放つ、痛々しいほどに純粋な光のようにも思えた。
打ち合わせの時間を終え、私が大学病院の門を出る頃には、もう夕日が長く影を落としていた。窓という窓に明かりが灯り始めるその建物を見上げながら、私は、今この瞬間も、その中で懸命に働き続ける多くの医療従事者たちと、そして、あるいは今もなお、目に見えない「精勤」を続けるA先生の魂に、静かに頭を垂れずにはいられなかった。その献身が、いつか真に報われ、安らかな眠りにつける日が来ることを、ただ願うばかりである。
10話完結、毎日更新いたします。不慣れですが宜しくお願いいたします。