8.アザラッツの不運
「おきろ!」
腹を蹴られた衝撃で、アザラッツは目を覚ました。
一瞬自分がどこにいるのかわからなくなる。
(ターゲットを足止めしようとして、返り討ちにあったんだったか)
実力差は分かっていた。生きていた己の悪運の強さに感心せずにいられない。
焦点が定まり、初めに視界に映ったのは、質のよさそうな軍服に身を包んだショウ族の男だった。顔ほどある耳と足まで届く長い鼻が種族の特徴だ。
丸太を思わせるあの足で、腹を踏まれたのか。よく、肋骨が折れなかったな、と妙な感想を持った。竜人族特有の頑健な鱗が守ってくれたのか、相手が、手加減をしていたのかは、判断できない。
「肝が据わってんなあ。それとも、状況が呑み込めねえ馬鹿か?」
「総統閣下」
ぼう、とした頭で寝転んでいたら、別の男の苦笑が聞こえた。
ショウ族の兵士を下がらせ、笑い声の主がアザラッツの前に立った。ショウ族の男と似た茶色の軍服を着たロウ族の男だった。
軽薄そうな笑みを浮かべ、自分を見下ろす男から、アザラッツは逃げ出したい衝動に駆られた。
見た目だけなら、ショウ族の男の方が上とも見えるが、それを軽く覆すだけの威圧を受ける。
レベルが違う。
自分は、とんでもない化け物の前に晒されていると思わずにいられなかった。
相手の実力を正確に見極めること。
これが、戦場で必要な能力だ。世の中には、逆立ちしても勝てない相手、という者が存在する。
これまでそういう相手に何度か会ってきた。最近では、一月前に今回の依頼者であり脅迫者である謎のプレートメイルの男。そして、先ほど自分を一撃で沈めたターゲットの少女。
さらに二人、いや、六人か。ロウ族、ショウ族の他に、三人同じような兵士がいる。そして、幼い少女。角や毛の特徴から、ヨウ族に見える。ただ、彼の見知ったヨウ族と違い、顔がつるり、とした肌色だ。まるで、話に聞くプレイムやプレイム寄りのベタルのようだ。見た目に反して、彼女から感じる魔力は半端なものではなかった。
そう言えば、今回のターゲットも珍しい容姿をしていた、と思い出す。カヨウ族やエルフ族に近いが、別の種族であるということは一目でわかった。
「本当に、度胸があるな。俺を無視して、ミュウシャをガン見かよ。ハーレイにばれたら、お前殺されるぜ」
「……」
知るか、と悪態をつこうとして、声が出ないことに気付いた。更に、全身が麻痺したように指一本動かせない。かろうじて息はしているものの、いつ止まるのかわからないほど浅いものだ。
反応の薄いアザラッツに、総統閣下と呼ばれたロウ族が、ああ、と何かに気付いた。
一瞬の間。
直後、空気が変わった。自分の意思ではピクリとも動かせなかった身体から、重しを外されたような感じだった。
どうやら、うめき声すら出せなかったアザラッツに気付いて、結界を張ってくれたらしい。
なんという早業だ。結界を張る、という動作すらなかった。
「あんた、なんなんだ」
「無礼者が!許可なく閣下に話しかけるな!」
ショウ族の兵士の怒声を浴びせた。正面から受けた怒気に、アザラッツの意識が遠のく。
死にそうだ、と思った。
ああ。でも、考えてみたら、とっくに死んでいておかしくなかった。先ほどターゲットから受けた一撃は、間違いなく致命傷だった。放っておけば、ほどなく息絶えていただろう。
「なんで、生きてるんだ?」
薄ぼんやりと感じたのは、自分を包み込む暖かな光。治癒術だったのだろうが、荒っぽく、使う魔力に無駄が多かったような気がする。
「ユウノ。魔力残滓。お前助けた、ユウノ?」
たどたどしく、分かりにくい話し方だ。目を開ければ、ヨウ族らしからぬヨウ族の少女がアザラッツの視線に合わせてしゃがみこんでいた。
〝総統閣下〟がミュウシャと呼んでいた少女。
周囲が慌てているが、それを〝総統閣下〟が睨んで押しとどめた。
いったいこの集団は、なんなのだ。
アザラッツは傭兵として、そこそこ名の通った実力者だ。たとえ多勢に囲まれていても、尻込みするような可愛らしい性格などしていない。
それなのに、彼は、今小さな少女に畏れを抱いていた。目を逸らすことを許さない、金の瞳から目を逸らすことを許されない。全身が泡立つような感覚。
「ユウノ、どこ?」
「だれ、のことだ?」
「おまえ、狙った娘。どこ行った?」
ターゲットの事か。黒髪と黒目を持つ年若い娘。
追いかけられていることに混乱をしているようであったが、怯えは見られなかった。むしろ何かに対して、ひどく怒っていたか。武器を向けた彼に、ひるむことなく攻撃を仕掛けてきた。
撃たれた魔力弾は酷く単純な物だったが、とても避けることなどできない速さだった。
手加減はされていたのだろう。一命を取り留めたことは奇跡としか言いようがなかった。
「しら、ねえ」
「お前、助けた、ユウノ。知らない、ない」
自分を襲った相手を助けた?では、あの治癒術をかけたのは、あの黒髪の少女だったのか。
どんな甘ちゃんだ、とアザラッツは顔をしかめた。同時に浮かんだのは、倒れる寸前に見えた彼女の驚愕と悲壮が混じった表情。
きっと、争いとは無縁の場所に暮らしていたのだろう。自分の身を守る為に、身体が動き、そして、自分の行いに罪悪感を募らせた。
そんなところか。
「ユウノ、どこ?」
「知らねえ。たぶん、逃げたんだろ」
森には、アザラッツ以外にも暗殺者がいた。キンドレイドであるターゲットを足止めしておくための使い捨ての伏兵たちだ。ぼさっとしていたら、彼らの餌食になるだけだった。
「本当に知らねえみてえだな。とはいえ、あいつが怪我した奴を放っておくってのも変な話だな」
「おれはあの娘の命を狙った。置いて行かない方がおか……があ!」
アザラッツの言葉の途中で、〝総統閣下〟が、竜人族の首を前から掴み木に押し付けた。
刃のように鋭い眼光に、身体が切り刻まれたかのような錯覚を覚える。
「あいつを狙った、ねえ。誰の差し金だ?」
沈黙も嘘も許さない詰問に、アザラッツは間髪入れずに折れた。
逆らうことの無意味さは、すでに悟っている。
「し、らねえ。全、身。それこそ、顔、まで、鎧で、覆い尽く、したお、男だ。たぶ、ん、キンド、レイド」
「この仕事を引き受けた理由は?」
「しゃ、借、金。知、らん間に、肩、代わりさ、れて、脅さ、れ、た」
「間抜けな奴だ」
〝総統閣下〟は、アザラッツから興味を失ったように、無造作に地面に放り投げた。
背中を強く打ちつけたが、それ以上にのしかかってくる威圧に身がすくむ。結界が無くなっている、と気づいたのはその時だった。
どうやら、敵と認定されてしまったらしい。
終わったな、とアザラッツは冷静に己の現状を分析した。彼を取り囲んでいる面々から、逃げるような芸当ができるとは思えない。一瞬の隙をつくことすらできない、と短いやり取りの中で、悟らされていた。
「……チャンス」
地面に転がるアザラッツを見下ろして、ミュウシャが淡々とした声音で言った。
「ミュウシャ?」
「ユウノ。助けた。ここで、殺す。ユウノ、泣く。フロウ兄様。チャンス、与える」
「ばれねえとは思うが、万一ばれたら恨まれるか。仕方ねえなあ」
がりがりと後頭部を掻いて、総統閣下がアザラッツの頭を掴んで目線を合わせた。
みしり、と頭蓋骨が軋んだ音がしたが、逆らうことは不可能だった。
「おい、間抜け。お前に生き残るチャンスをやる」
「……」
「ユウノの暗殺を依頼したキンドレイド。そいつからあいつを守りきってみろ。そうしたらユウノの甘さに免じて、今回だけは見逃してやる」
それは、死ね、と言われているようなものだった。プレートメイルの男は、キンドレイド。対して、アザラッツは、腕が立つとはいえ、一介の竜人族。
実力差は明らかだ。
それでも、総統閣下の命令に逆らう権利などアザラッツにはない。
胡散臭い依頼者に脅された時から、自分の運命は決まっていたのだ。アザラッツは、己の不運を嗤いながら、是、と頷いた。
補足:
この時点で、アザラッツはユノがシークンだと知らされていません。
ショウ族の外見:アジアゾウの牙がないバージョンです。