9.女神の心得
自分の力の強大さに恐れを抱きながらアニスは魔導書を読み進める。
この力はとても希少であること。過去にミューズ・ボイスを持っていたのはある国の姫君であったこと。その姫君が辿った末路も。
「(…おじい様たちから少しだけ教えてもらったときは、聖なる魔法なのかと思ったけれど)」
ミューズ・ボイスを持った姫君は、私利私欲の為にミューズ・ボイスを使い破滅した、とある。詳しく語られていない辺り、現存する国の王家なのかもしれない。
だが、破滅へと導く能力であること。その事実だけでアニスの体は恐怖で満たされた。
怖い。
そんな力を無意識に、王族に使っていたなんて。
「アニス」
ふわり、優しく肩に触れる温もり。アニスが振り返ると、そこにはレギオンに連れられたマリッサが居た。
「おばあ様」
「あらあら、泣いているの?」
気付けば大粒の涙が幾つも頬を伝っている。自身への恐ろしさで気付いていなかった。
優しくハンカチで頬を拭ってくれるマリッサの手を、アニスは両手で包み込む。
「おばあ様、私の力はとても恐ろしいものなのですね」
「…どうしてそう思うの?」
「過去にひとり、ミューズ・ボイスを持っていたとされる姫君は、私利私欲で力を使い破滅したとあります。他人を意のままに操ることが出来る力ですもの、そうなることも有り得るのです。…私も、自分の為に誰かを操り、そして…」
その続きを想像すると恐ろしくなった。
もし、自分がジュリアンを恨んでいたなら。
もし、耐えかねてジュリアンに恐ろしい命令をぶつけていたなら。
いっそ、この喉を潰してしまいたい。
「優しいアニス。そうね、それが大事よ」
「え…?」
「ねぇアニス。何だってそうなのよ?使い方を誤ればとんでもない結末を迎えるの。お料理の時に使う包丁を人に向ければ簡単にその命を奪える。それと同じ」
アニスの震える手に、マリッサはもう片方の手を添える。
優しく温かい手。これから家族となる人の手。
「人を操る恐ろしい力、だけど女神の歌声と名付けられたのは、何故かしら?」
「…それは…」
「私はね、きっとその最初の姫君が、女神のような使い方をしたからだと思うのよ」
「……!」
「彼女はきっと、女神と称えられる程の優しく慈愛に満ちた使い方をした、だからこそ女神の歌声…ミューズ・ボイスと名付けられたのだと思う。最初から恐ろしい使い方をしていたなら、きっと悪魔の囁きとでも言われていたでしょう」
「……」
「姫君は、貴方のように力の恐ろしさに気付かなかったのかもしれない。ううん、気付いていたとしても貴方のように怖いと涙する心があれば、きっと破滅への道なんて辿ることはなかったはずよ」
アニスはハッと顔を上げる。
マリッサとレギオン、二人の温かな眼差しがアニスへ向けられていた。
「おばあ様……おじい様…ッ」
恐怖ではない涙が溢れてくる。マリッサは強く手を握り、レギオンは優しく頭を撫でてくれた。
「貴方なら大丈夫。アニスならきっと、正しくミューズ・ボイスを使うことが出来るわ」
アニスはマリッサの言葉に何度も頷いた。二人が居てくれてよかったと、心の底から安堵した。
「レナ!頼んでたあれは出来たか?」
ガシャン!と大きな音を立て防具を脱ぎ捨てながら、受付に座る美人だが無表情の女性…レナに声をかける。
「出来てますよ、ギルド長。あとそこの床、さっきレイクが磨いたばかりです」
「あ?」
レナが指差したのはギルド長が防具を脱いだばかりの床。泥や返り血で汚れたそれはすっかり辺りを汚していた。
汚れていない場所を見るとピカピカと窓からの陽光を反射するほど綺麗に磨かれている。しまった、と思った瞬間後ろから怒声が響いた。
「ちょっとぉ!!マジで勘弁してくださいよギルド長!!」
「わ、悪かったよ!相変わらず仕事が早くて丁寧だなレイク!」
「ありがとうございます、じゃなくて!それをアンタが秒で汚してたら元も子もないでしょ!」
「あーあーうるせぇ、いいんだよここは冒険者ギルド!汚れても気にしねぇんだ誰も」
「はぁ!?じゃあなんスか、主な仕事を掃除で雇われてる俺は無駄なことしてるって!?」
「いや、そういうことじゃ、」
「ギルド長」
終わりそうもない会話だと思ったのか、レナが二人に割って入る。
どうぞ、と眼前に突き出された紙を見てギルド長は笑った。
「いい出来じゃねぇか、レナ」
「当然です。じゃ、それ外に貼ってきてください」
「えっ俺が?」
「はいはいさっさと行って!またここ綺麗にすんだから!」
レイクに背を押され、ギルドの外に追い出される。
ギルドの長たる自分への扱いの雑さにぶつくさと文句を垂れつつ、レナから受け取った紙をギルドの外壁に貼った。
『急募!ダンジョン内の天の声!
〜貴方の声で冒険者を導きませんか?〜』
大きく書かれた求人広告の見出しをじっと見つめ、ギルド長はまだ見ぬ天の声に思いを馳せる。
続




