6.声の真実①
アニスたちが住まう、武力や格式を重んじるバルツァー王国の隣には、魔法や自然と共存するエーテライト連邦がある。
隣国同士ではあるものの、国としての在り方は正反対。敵対することに利がないとして表面的に友好国として接している。
アニスがこれから向かうヒューゲル伯爵家は、そんなエーテライト連邦に広大な領地を有していた。
「(お母様は、自分の母国のことを森ばかりの貧相な田舎と言って毛嫌いしていたっけ……。だけど)」
国境を超え、豊かな緑溢れる林道を進む馬車に揺られながら、アニスは不思議と心が穏やかになっていくのを感じた。
窓を開けると柔らかな森林の香りに体中が満たされる。
「(何故かしら。とても心地よい…この感覚。胸の辺りが温かくなって、つい歌ってしまいそう)」
歌うことは、ジュリアンの婚約者となったときに禁じられた。もう、八年も調べに声を乗せていない。
そもそも大きな声もあげることすらこの数年なかった。
だがエーテライトの雄大な自然と朗らかな空気が、もうそんな我慢をしなくていいと、声を委ねなさいと、囁いてくれるようだ。
「あ……」
決して大きくはない、けれどアニスにとって『はしたない』と言われ続けた声で、歌い出す。
重く沈んでいた心がふわりと軽くなる感覚、誰にも叱られず歌うことができる解放感。
「(あぁ、私もう、誰の目も気にせず歌えるんだ)」
次第に声は、風の調べに乗るように大きく伸びやかになっていった。
無事伯爵邸に到着し、アニスは御者の手を取りながら馬車を降りる。
「ここまで連れてきてくれてありがとう」
笑いかけながらそう言うと、ランバート家の御者は柔らかい笑みを返した。
「こちらこそ、お嬢様の美しい歌声を聴かせて頂き感謝します」
「あ……」
窓を開けて歌っていたのだ、当然御者に聞こえていただろう。アニスの頬が一瞬で赤く染まる。
「あ、あの…あれはつい……」
「えぇ、分かりますとも。このエーテライトの美しい自然に抱かれると、何故だか心が浮き立つでしょう。私も同じです」
「……此処は、素敵な国だわ」
「はい。とても」
「やぁ、嬉しいな。我が国を褒めてくれてありがとう」
背後からかけられた穏やかな声に振り返ると、優しい目をしたロマンスグレーの紳士が立っていた。
御者がさっと跪き頭を垂れたのを見て、慌ててアニスもカーテシーをする。
紳士は微笑みを称え、胸に手を当て貴族らしい礼の姿勢を取った。
「アニスだね。何年ぶりだろうか…よくここまで来たね」
「…おじい様…?」
「そうだよ。まぁ君は私たちの養子になるから、お父様でも構わないが」
お茶目に笑ってみせる紳士…レギオン・ヒューゲル伯爵。
幼い頃に一度会ったことはあるが、幼すぎてアニスには記憶がない。ただ、その柔和な笑顔はどこか懐かしく感じた。
「旦那様、ご無沙汰しております」
「久しぶりだね、テナー。元気にしていたかい」
「はい。旦那様もご健勝のようで何よりです」
「…?」
御者…テナーとレギオンのやり取りに、アニスはきょとんとしながら二人を交互に見る。
「テナーはね、元々ヒューゲル家に仕えてくれていたんだ」
「そうなのですか?」
「うん。ラヴェナが…娘が結婚する時に一緒にバルツァーへ行ってもらったんだ。まさか、再会がこんなに久しぶりになるとは思わなかったが」
レギオンが苦笑混じりに言うと、テナーの笑顔も少し曇った。
母、ラヴェナは母国を嫌っていた。それはきっとラヴェナがドレスや宝石を好む性格のせいだろう。
バルツァー国は富裕層をターゲットにした宝飾店が多く軒を連ねる。対してエーテライトは自然と共生する国風だ。
きっと侯爵家へ嫁ぐことが決まったラヴェナは嬉々として嫁入り支度をしたことだろう。
贔屓にしているブランドからドレスや宝石の新作が出ると父によく強請っている姿は、昔から見慣れた母の姿だった。
「…あの、おじい様…」
ごめんなさい、と言おうとしたが、レギオンは小さく首を振りながら宥めるように手をかざした。
「君が申し訳なく思うことは何一つないよ。娘と…きちんと関係性を築けなかった私たちが悪いんだ」
「そんな」
「でも大丈夫、今日からは君が娘だ。あぁ、おじい様と呼ばれるのも無論好きだがね」
正直、冷遇されることも覚悟で赴いた。王家に婚約破棄された娘、いくら孫でも弱みにつけ込み、負債を押し付けられたようなものだ。
そんな、ここへ来た理由を知っている上でこんなにも温かく迎え入れてくれる。
じわりとアニスの目頭が熱くなった。
続




