13.求人広告①
大きく息を吸い込むと、大自然いっぱいの香りと共に新鮮な空気が肺を満たし、ゆっくり息を吐ききれば、それだけで体の中が浄化されるような気がした。
風の街、ミストラル。アニスはすっかり気に入ってしまった。
「おはようアニスちゃん、今日もおつかい?」
「おばさん、おはよう!今日はね…」
市場に顔を出せば既に顔見知りになった野菜売りのおばさんから声をかけられた。
食材の買い出しは使用人の仕事だが、アニスは街をよく知りたいからと何かと買い物をかって出ている。
「私、お仕事探しに来たの」
「あら!伯爵様はいいって?」
「えぇ、ちょっと止められたけど。最後は許してくださったわ」
「よかったじゃないの!これから応援してるよ、アニスちゃん!」
「ありがとう、おばさん」
実はアニスが働きたいと思うようになったのは、おつかいがキッカケだった。
最初は、単純に憧れた。活気溢れる市場で汗水流して働く人々が、キラキラと眩しく輝いて見えたのだ。
だがこの三ヶ月、眩しく見える人々との触れ合いの中で、厳しい現実も垣間見た。
幼子の病気を医者に診せるお金を稼ぐため、自身も体が弱いながらに必死に働く母親。逆に父が事故に遭い働けなくなったので自分が代わりに家族の為働くという、僅か九歳の男の子。
知人に騙され背負わされた借金を返済する為に馬車馬のように働いている老人や、天涯孤独で頼りになる家族が居らず、昼間は市場の仕事をし夜は誰も居なくなる市場に残されたテントに寝泊まりさせてもらっている少女。
アニスは恥じた。働かなくても衣食住に困らない世間知らずの小娘が『働くって素晴らしい』と言ったところで綺麗事でしかないと。
働かなければ金がなく、金がなければ飯も食えず病気も診て貰えない薬も買えない、そうしたら死ぬかもしれない…そんな人生を全く想像が出来ていなかった。
ーーーそんな心情を仲良くなった野菜売りのおばさんに吐露したところ、おばさんは思いもよらない提案をしてきた。
「そう思えたんなら、アニスちゃんも働いてごらんよ」
「え?」
「アニスちゃんが言ったみたいに追い詰められて仕事してるやつも居りゃ、アタシみたいに食うに困らなけりゃいいって適当に働いてる奴も居る。でもね、どんな理由でどんな仕事でも、みんな体当たりさ。アニスちゃん、これまでずっと婚約者の為に生きてきたって前に言ってたろ?もうその必要はないんだ。お花畑のお姫様が憧れだけ持ってるなら勧めないけど、アニスちゃんならきっと仕事を通して自分自身を取り戻せるよ」
「…自分、自身……」
その言葉に強く惹かれた。
家に帰っても頭から離れず、特訓の合間にも考え…。そうして思った。
自分の足で立ってみたい。
ーーー仕事だったら職業案内所がある、とは聞いていた。だがこの三ヶ月、買い物や散歩で街を巡る中で時折目にした、様々な店の壁に貼ってある求人広告。
案内所を通さず、その場で店主に『働きたい』と意志を伝えている人を見掛けたこともあった。
その中でアニスは、ある場所の求人広告に目を付けていた。
『急募!ダンジョン内の天の声!
〜貴方の声で冒険者を導きませんか?〜』
急募、とあるのにまだ決まらないのか、そのギルドの壁には三ヶ月ずっと貼られている。
天の声とは何か知らなかったのでおばさんに聞いてみれば、要は場内でアナウンスをする人のことを指すらしい。
なるほど、と思いつつそれでもやはりよく分からない。
ダンジョンというと、冒険者がレベル上げやお宝を獲得するために潜る地下迷宮のようなもの、というのがアニスの認識だ。
そこの天の声…。一体何のアナウンスをするというのか。
しかし興味が湧いた。声を使った仕事だからだ。
しかもダンジョンの天の声。具体的に何をするかは書かれていないが、そんな危険な場所のアナウンスならば自分のミューズ・ボイスが役に立つかも…。
淡い期待と緊張を胸に抱き、アニスはギルドの扉を開けた。
中に入ると、冒険者らしい佇まいの男性らが数人談笑しており、奥のカウンターに女性が一人座っていた。
アニスはその女性に近づいて行く。
「何かご用ですか」
女性は何か手元で仕事をしているのか、アニスには視線をやらずに言った。
先に声をかけようとしていたアニスはドキッとして。一瞬言葉に詰まる。
「…如何なさいましたか?」
女性はアニスの緊張を悟ったのか、顔を上げて少し優しい声音で再び問いかけてくれた。
情けない。働かせて欲しいと来たのにビクついて。
「あの、表の求人広告を見ました。ここで私を働かせて」
「お姫様の職業体験に付き合ってる暇ァねぇんだよ」
言葉を言い終わらない内に、アニスの背後から低い声が降ってくる。
思わず振り返り見上げると、剣を腰に携えた巨躯の男性が不機嫌そうな顔で立っていた。
「どこの娘か知らねぇが紋章入りのローブってこたぁアンタ貴族なんだろ。ったく、ロクなのが来ねぇな。今回はかなり肝入りだってのに」
「ギルド長、こちらの方は」
ため息をつくギルド長と呼ばれた男に、受付の女性が手のひらを上にして示すようにアニスに向ける。
「お帰り願え。遊びじゃないんだよこっちは」
「ッ!わ、私だって遊びじゃありません!」
「あぁ?」
ハッとして思わず言い返すアニスに、鋭い眼光を返して寄越すギルド長。
思わず怯みそうになるが、遊びで来たと思われて追い返されるのは納得いかなかった。
続




