12.決意表明の朝
「私、働きに出ようと思います」
朝食の席でアニスがそう言うと、レギオンとマリッサは揃って手が止まり目をまん丸にした。
それが可笑しくてアニスは思わずぷっと噴き出す。
「笑い事ではないよアニス。何故?ランバート家から何か言われているのかい?」
途端に心配げな表情を浮かべるレギオン。
それと正反対にマリッサは、いつもの穏やかな表情に戻った。
「いいではありませんか。あなた」
「マリッサ?しかし……」
「金銭面で働く必要がないことはアニスも分かっているはずよ。アニスがここに来てもう三ヶ月経つのだもの」
アニスは頷く。
最初こそお世話になるのだから、何かお手伝い出来ることがあればと申し出たのだが「娘を働かせようだなんて思わないよ」と優しく諭された。
婚約破棄されたアニスを殆ど押し付けられるような形だったのに優しく受け入れてくれ、声の真実も解き明かし、娘だと優しく接してくれる。
更にはこの三ヶ月、ミューズ・ボイスを正しく使う為の特訓にも付き合ってくれた。
ーーーミューズ・ボイスは作用が『魅了』と似ているが、チャーム・ボイスは相手を催眠状態にし一定時間自分に好意を持たせるというのが一般的なもので、ミューズ・ボイスはそれよりもっと格が上だ。
術者が強く願う、つまり膨大な魔力を用いて被術者に命令すると、相手の精神性を保ったまま言動を操ることができる。
好意を持たせることも出来れば、殺意すら抱かせることも可能。被術者は、自分が操られていることすら気付かない。
「そうだアニス。ひとつ教えておく」
特訓の最中、レギオンが神妙な顔で言った。
「これはかなり機密事項なのだが、君の脅威となり得る可能性があるから。…代々バルツァー王家の長男は、かなり強力な魔法耐性を持って産まれるんだ」
「え……それって」
「現国王陛下と第一王子のオーウェン様には、君のミューズ・ボイスは効かない。そして…」
一瞬、レギオンは言い淀むように言葉を切った。
アニスは何だか嫌な予感がした。
「お二人には、君がジュリアン殿下に魔法を使っていたことはバレているだろう。いや、少なくとも陛下にはバレている筈だ」
「えっ…!?」
「例えば被術者に、これまでと正反対の言動を取るよう指示したとしよう。すると周囲の人間はどう思う?」
「……不審に思います」
「そう。だがミューズ・ボイスの恐ろしいところは、被術者が喋るとその言動を本人のものと周囲を納得させてしまう所にある。被術者の口からもある意味でミューズ・ボイスが出ているようなものだ。かなり希釈されてはいるが、ね」
「……」
「ジュリアン殿下が正にそうだったね」
「はい……」
「しかし魔法耐性を持つ人間は違う。魔法が効かないということは、普段の言動との乖離を正しく理解する。お二方とも聡明で鋭いお方だ。ミューズ・ボイスという正体まで分かっていらっしゃるかは分からないが、君がいなくなった途端にメッキの剥がれたジュリアン殿下を見て察したことだろう」
三ヶ月ほど前、バルツァー国で行われた外交夜会。そこでのジュリアン殿下の醜態は、各国の貴族間で噂された。
ただ伝聞の為に話が大きくなっていると感じる節もあり、次第に人々は飽きて口にしなくなった。
その話を聞いた時、アニスには俄に信じ難かった。
確かに己の能力を知り、ジュリアンの聡明な好青年の一面を作り上げたのは自分だというのは理解した。だが、レギオンから聞いたジュリアンの醜態の様子が余りに無惨で驚いたのだ。
これまでにも何度も申し上げたことなのに、何故。
「……バルツァー王家の人間は、何事もそつなくこなす方が多いと感じる。優秀さという血筋だろうか。ジュリアン殿下も決して無能という訳ではなかったんだろう?」
「その通りです。勉強については私から口出しなどしておりませんが、いつも優秀な成績でした」
「うん。だからバルツァー王家には時々、努力を怠る方を見かけるんだよ。日々怠惰に生きてしまうような人物がね」
「……」
アニスは、どこか遠い目をして語るレギオンを不思議な気持ちで見る。
何故こんなにバルツァー王家のことを知っているのだろう。まして王家の機密事項を他国の貴族がどうやって?
「あの、おじい様は何故」
「あぁすまない。魔力安定訓練の途中だったね。さ、もう一度始めから」
「…は、はい」
ーーー特訓のことを思い返すと同時に、再びレギオンに対する疑問が浮かんだがそれは今のところ打ち消しておく。
きっと、その時がきたら話してくれるだろう。
今はそれより、心配するレギオンを安心させることが重要だ。
「おじい様。私はこれまで殿下に尽くし、身を削って生きて参りました。今度は自分の意志で、自分の生き甲斐を見つけたい。誰かの為ではなく自分の為。それにはまず、このエーテライトで…おじい様のお膝元、ミストラルで、自分自身を取り戻したい。そう思ったのです」
アニスは首元に両手を当てながら語る。
優秀な魔導師であったレギオンとマリッサでも、アニスの力の影響は受けてしまう。そこでマリッサに特殊なまじないを首元にかけてもらった。
両手のひらを首元に当てながら話すと、どんなに相手に伝えようと真剣に願う言葉でも、ミューズ・ボイスにはならない。
普通の人と同じように、アニスの言葉を信じ慕う者へ、真摯に話すことができる。
アニスの手のひらに熱が籠る。
その様子を見たマリッサが、レギオンの肩に触れた。
「あなた」
「……わかっているよ。そうだねアニス、君の人生なんだ。私たちは傍から見守っていよう」
「!ありがとうございます、おじい様、おばあ様…」
やっと手のひらを解いて、アニスは安堵の笑みを浮かべた。
続




