↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界改稿日記 ~なろうによる世界破綻~  作者: 黒瀬 量衡


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

99/125

第九十六話 誰になっても、私はルークの恋人でした

「ルーク。今夜、一緒にいてくれ」


「……何かあった?」


「分からん。朝から、自分が何なのか分からなくなる」


「セリナだよ」


「分かってる。分かってるんだが……」


 夕食の途中、セリナは自分の手を見ながらそう言った。その時、外で犬が吠えた。セリナの肩が跳ねる。


「ワンッ!」


「……」


「……言うな」


「今、吠えたよね?」


「言うな!」


 顔を真っ赤にした直後、今度は鼻を動かして窓の方を向く。


「雄がいる」


「え?」


「……違う。犬だ。雄犬がいる」


「匂いで?」


「分かる」


「セリナにそんな嗅覚なかったよ」


「知ってる!」


「ヴゥ……」


「今度は唸った」


「ルーク!」


 セリナ自身が一番困っていた。森を走りたい。土へ身体を擦りつけたい。雄を探せと身体が言う。それなのに同時に、男ならどんな声に弱いか、どこまで近づけば意識するか、いつ触れれば喜ぶか、どう笑えば帰りたくなくなるかまで分かるという。


「……娼婦?」


「多分な」


 消えた女たちの中には、そういう仕事をしていた人間もいたのかもしれない。そして動物も、もうセリナの中にいる。日記の理屈なら「中にいる」すら違う。全部、今ではセリナ自身なのだ。


     *


 夜、セリナは俺へ抱きついた。


「ルーク。名前を呼んでくれ」


「セリナ」


「もう一回」


「セリナ」


「もっと」


「セリナ」


 名前を呼ぶたびに、乱れていた呼吸が少しずつ落ち着いた。


「……これだ」


「何が?」


「お前に名前を呼ばれると、自分が一つになる」


 その夜、俺たちはいつものように二人で過ごした。ただ、いつものセリナではなかった。距離の詰め方、触れる間、俺の反応を見る目、声の使い方、笑い方。どれも妙に慣れている。俺が少し息を変えるだけで、それを読んで次の動きを変える。


「男はこういうのが好きなんだろ?」


「どこで覚えたの?」


「知らん。でも身体が覚えてる」


 知らない女みたいに笑う。娼婦だった誰かが何年もかけて身につけた、相手の機嫌を読み、欲しい言葉を見抜き、反応を先回りする経験。それをセリナは自分のものとして使っていた。


「楽しい?」


「ああ」


「知らない誰かの技術なのに?」


「私ができるなら私の技術だろ。それに、お前が喜ぶなら悪くない」


 そこは間違いなくセリナだった。


 けれど、その安定も長くは続かなかった。俺の首元へ顔を寄せ、何度も匂いを嗅ぎ、低く喉を鳴らす。


「ヴゥ……」


「セリナ?」


「気にするな」


「無理だよ」


「ルーク」


「うん」


「雄」


「……」


「違う!」


 セリナ自身が叫んだ。


「今のは私じゃない!」


「でもセリナが言った」


「分かってる! 雄が欲しい。強い雄の近くにいろ。離れるな。匂いを覚えろ。そういうのが頭の中にある!」


「動物の?」


「多分そうだ!」


「ワンッ!」


 自分で吠えて固まった。


「……最悪だ」


「ちょっと可愛いけど」


「噛むぞ」


「それも動物っぽい!」


「うるさい!」


 俺に掴みかかったまま、セリナの動きが止まった。


「……ルーク」


「何?」


「私、今は何だ?」


 その顔は本当に分からなくなっていた。娼婦。犬。戦士。冒険者。知らない母親。知らない町の女。何匹もの動物。もっとたくさんのもの。全部が、自分の中から自分の考えとして湧いてくる。


「俺を見て。俺は誰?」


「ルーク」


「セリナは?」


「……セリナ」


「俺との関係は?」


「恋人」


「もう一回」


「私はルークの恋人だ」


 そこだけは早かった。セリナの肩から力が抜ける。


「……これだけは揺れない」


「戦士は?」


「揺れる」


「人間は?」


「かなり怪しい」


「女は?」


「それも怪しい」


「じゃあセリナは?」


「それを今、確かめてる。でも、お前の恋人だということだけは、誰が混ざっても消えない」


 それからもセリナは何度か変わった。知らない女の口調になる。俺を客みたいに扱いかける。急に鼻を鳴らす。匂いを追う。低く唸る。「雄」と呼ぶ。そのたびに俺が名前を呼ぶと、セリナは少しずつ中心へ戻った。犬だったものも、娼婦だった女も、村娘だった女も、知らない誰かの母親だった人も消えない。ただ、中心だけが戻る。


「ルーク」


「何?」


「もう一回」


「セリナ」


「もう一回」


「セリナ」


 セリナは笑った。


「それでいい」


     *


 翌朝、セリナは何事もなかったように俺の隣でパンを食べていた。


「肉ないのか?」


「朝から?」


「食いたい」


「昨日も食べたよ」


「……そうか」


 外で犬が吠える。


「ワンッ!」


「セリナ!」


「今のは犬だ!」


「セリナも言ったよ!」


「言ってない!」


「同時だった!」


「知らん!」


 怒りながらパンを食べ、それから何でもない顔で言った。


「今夜も一緒にいろ」


「また? 自己確認?」


「それもある。普通にお前と一緒にいたい」


「娼婦だった誰かのやり方も?」


「まだ色々分かる」


「そこ楽しんでるよね?」


「使えるものを使って何が悪い」


「犬の方は?」


「知らん」


「雄を求めるのは?」


 セリナは少し黙った。


「お前がいるなら探しに行かなくて済む」


「俺、雄扱いなんだ」


「恋人だ!」


 即答だった。そこだけは本当に迷わない。


     *


 日記帳を開く。質問はしない。しても意味がない。ページには物語についての文章だけが現れた。


『自己認識収斂型の継続運用について。多数の人物、生物、技能、記憶、本能を一個体へ統合した場合、元人格の識別性は低下します。対策として、代替不能な固有関係を自己定義の中心へ配置する構成が有効です。』


『「女」は代替可能。「人間」は代替可能。「戦士」は代替可能。「冒険者」は代替可能。「生存者」は代替可能。「雌」は代替可能。「ルークの恋人」は現在一名。』


 手が止まった。


『固有関係を中心に保持することで、周辺自己定義を変動させたまま人格を維持できます。結果、吸収対象の種類を人間に限定する必要がなくなります。』


 安定したんじゃない。もっと吸収できるようになっただけだ。


『娼婦由来の対人技能。動物由来の感覚および本能。戦士由来の戦闘技能。母親由来の家族記憶。地域住民由来の生活知識。以上を同一人物の異なる側面として併存可能。人格中心――維持。拡張性――極めて高。』


『セリナ編――完了。』


     *


「ルーク。こっち来い」


「何で?」


「分からん。多分、動物の方だ」


 隣へ座ると、セリナは俺の肩へ頭を乗せ、鼻を鳴らした。


「……匂い」


「俺の?」


「ああ。落ち着く」


「セリナ」


「何だ?」


「今、自分が誰か分かる?」


 セリナは少し考えた。


「お前の恋人」


「名前は?」


「セリナ」


 外で犬が吠えた。


「ワンッ!」


「ほら!」


「今のは仕方ないだろ!」


「何が仕方ないの!?」


 俺の知っているセリナ。知らない女たち。知らない動物。知らない人生。知らない本能。全部が一つの身体に入っている。どこまで増えるのか、もう分からない。


 それでも。


「セリナ」


 俺が名前を呼ぶと。


「何だ?」


 ちゃんと振り向く。


 今は。


 それだけで。


 まだセリナだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。