第八十九話 触手姫たちはそれぞれ勝手に暮らし始めました
「北東の触手姫が結婚するらしいぞ」
「は?」
朝一番。
パン屋へ来た冒険者から聞かされた話に、俺は手を止めた。
「誰と?」
「知らん。現地の猟師だとか、砦を守ってる男だとか、話が混ざってる。ただ結婚式をやるって話は本当らしい」
「触手姫が?」
「そう」
「どの触手姫?」
「北東の」
「そんな言い方で区別するようになったの?」
冒険者が笑った。
「だって、もう七人いるらしいぞ」
「増えてる!」
「西の触手姫、南街道の触手姫、海辺の触手姫、湿地の触手姫って、みんな勝手に呼んでる」
「待って。全部同じことしてるわけじゃないの?」
「全然」
そこが。
さらに嫌だった。
*
北東の触手姫。
森の古い砦に住み着いた個体。
周囲の触手生命体を使って、崩れた壁を直し、近隣の魔物を追い払い、怪我をした旅人を砦へ運び込む。
最初は怪異扱いだった。
ところが。
「冬越せなくなった開拓村を助けたらしい」
「どうやって?」
「触手で薪を運んだ」
「便利に使ってる……」
「雪で道が埋まった時も掘ったらしいぞ」
「そんな用途あるんだ」
「で、今じゃ近くの村じゃ守り神みたいな扱いだ」
そして、どういう経緯か現地の成人男性と親しくなり、結婚するらしい。
「本人、喋るの?」
「普通に喋る」
「自分が何者か知ってる?」
「触手姫だって言ってるそうだ」
「ティナのことは?」
「誰だそれ」
「……そうなるのか」
ティナから生まれた。
でも。
ティナではない。
本人自身も。
自分をティナだとは思っていない。
*
次は西。
「こっちはかなり違う」
リサがギルドから持ち帰った報告書を机へ広げた。
「西の触手姫は?」
「商隊について歩いてる」
「何で?」
「護衛してるみたい」
「冒険者になったの?」
「登録はしてない」
西の街道に現れた個体は、一ヶ所に住み着かなかった。
旅をする。
商人の荷車の後ろを勝手についていく。
魔物が出れば触手で追い払う。
盗賊が襲えば撃退する。
報酬を要求することもある。
「何をもらうの?」
「食べ物」
「普通だ」
「あと古着」
「……何に使うの?」
「着るのよ」
リサが紙を見せる。
簡単な絵。
人間の女に近い姿。
旅用の外套。
その下から何本もの触手が伸びている。
「おしゃれするんだ……」
「最近、帽子も被るらしいわよ」
「何でそんな情報まで入ってくるの」
「目立つからでしょ」
確かに。
触手だらけの女が帽子を選んでいたら。
見る。
*
南街道の個体は。
もっと変だった。
「食堂?」
「食堂」
セリアが頷いた。
「開いたの?」
「店主は別の女性らしい。ただ触手姫が厨房を手伝っている」
「手伝えるの?」
「触手が多いから、一度に何枚も皿を運べるらしい」
「便利すぎない?」
「料理も覚え始めてるって」
「何で」
「本人が気に入ったんじゃない?」
俺は頭を抱えた。
触手姫。
もっと。
恐ろしい怪異だと思っていた。
いや。
実際、見た目は恐ろしい。
でも。
砦を守る。
商隊を護衛する。
食堂で働く。
触手生命体の群れを率いて人を襲う、とかじゃない。
「他は?」
「聞く?」
「聞きたくないけど聞く」
「海辺の個体は漁師と一緒に漁してる」
「触手で?」
「そう」
「湿地は?」
「薬草を集めてる」
「何で?」
「知らない」
「本人たち、全然統一感ないじゃん!」
リサが肩をすくめた。
「同じ生き物だから同じ生き方するとは限らないでしょ」
「そうだけど!」
それは。
人間だって同じだ。
同じ親から生まれた兄弟でも。
別の人生を歩く。
だから。
触手姫たちも。
そういうことなのかもしれない。
そう思った。
思ってしまった。
*
夕方。
俺は地下水路管理所へ行った。
「ティナいる?」
「下」
「また?」
「毎日仕事なんだから当たり前だろ」
受付の男はもう俺の顔を覚えていた。
「今日は一人?」
「いや。神殿の監視役ついてる」
「監視されるようになったんだ」
「当然だろ」
良かった。
さすがに。
地下で毎日触手生命体の卵を産む職員を。
完全放置はしなかったらしい。
「止められた?」
「何を?」
「……卵」
「ああ」
受付の男が微妙な顔をする。
「止められなかった」
「やっぱり」
「本人に異常がない。無理に止める方法も分からん。だから今は記録してる」
「記録」
「一日何個とか、どんなのが孵るとか」
「それでいいの?」
「良くはないだろ。でも何すりゃいいんだよ」
それも。
正しかった。
*
地下へ降りる。
今回は俺にも同行許可が出た。
神殿の薬師が一人。
管理所職員が一人。
奥へ進むと。
ティナがいた。
「ルーク」
「今日も?」
「うん」
「産んだ?」
「もう終わった」
普通だった。
腰に点検道具。
手には記録板。
作業着。
髪もまとめている。
「今日は五つ」
隣の薬師が記録していた。
「昨日は?」
「七つ」
「一昨日は?」
「四つ」
「増減するんだ」
俺が言うと。
ティナが首を傾げる。
「そりゃするでしょ」
「何で俺が物知らずみたいになるの」
「だって毎日同じ数産む方がおかしくない?」
「そもそも産むことがおかしいんだよ!」
「まだそこ気にしてるの?」
「一生気にするよ!」
ティナは笑った。
価値観。
やっぱり。
全然違う。
*
「触手姫が七人見つかってる」
俺が言うと。
「そうなんだ」
「驚かないの?」
「増えるから」
「北東の触手姫、結婚するって」
「へえ」
「それだけ?」
「おめでとうって言えばいい?」
「……親みたいな気持ちにならない?」
「親?」
ティナが少し考える。
「違うかな」
「分体なんだろ?」
「分体だよ」
「ティナから生まれた」
「うん」
「じゃあ子供みたいな」
「子供とも違う」
「じゃあ何?」
ティナは水路の流れを見る。
「枝かな」
「枝?」
「木って枝分かれするでしょ」
「まあ」
「私はここ」
自分を指す。
「外に出た子たちは、そこから伸びた別の枝」
「同じ木?」
「最初は」
「最初は?」
「外で生き始めたら、もう別じゃない?」
ティナは。
普通に。
そう言った。
「北東の子が誰かを好きになっても、それは私がその人を好きになったわけじゃない」
「うん」
「西の子が旅を好きになっても、私は旅したくない」
「うん」
「でも、最初は私から出た」
「……」
「それだけ」
意外なくらい。
分かりやすかった。
*
「記憶は共有してる?」
「してない」
「見えるものは?」
「見えない」
「会話できる?」
「今は無理」
「じゃあ何で分体って分かるの?」
ティナが少し黙った。
「分かるから」
「それ説明になってない」
「ルーク、自分の手が自分の手だってどうやって分かる?」
「……感覚?」
「それに近い」
「でも触手姫は何週間も先にいるんだぞ」
「だから、もう私の手じゃない」
ティナは笑った。
「切り離した枝」
そこで。
水際の卵が。
小さく動いた。
中から。
細い触手が見える。
「これも?」
「たぶん普通の子」
「触手姫にはならない?」
「分からない」
「見分けられない?」
「大きくなるまでは」
ティナがしゃがむ。
卵を眺める。
優しい顔。
でも。
人間の母親が。
赤ん坊を見る顔とは。
少し違う。
「外に行くなら行けばいい」
「止めないんだ」
「うん」
「死ぬかもしれない」
「死ぬ子もいる」
「それでも?」
「全部ここにいたら、増える意味ないでしょ」
その一言で。
また。
距離を感じた。
*
「ティナは何で増えたいの?」
聞いた。
「何で?」
逆に聞かれた。
「理由あるだろ」
「ルークは何で食べるの?」
「腹減るから」
「寝るのは?」
「眠いから」
「私は増えるから」
「……」
「理由いる?」
いらない。
ティナにとっては。
多分。
本当に。
いらない。
呼吸する。
食べる。
寝る。
仕事をする。
卵を産む。
分体が世界へ出ていく。
全部。
同じ場所に並んでいる。
「でも街では人間として暮らすんだ」
「当然でしょ」
「何で?」
「家があるから」
「家族は?」
「好きだよ」
「恋人も?」
「好き」
「結婚する?」
「多分」
「卵のこと話す?」
「まだ話してない」
「何で!」
「結婚が決まったら話す」
「その前に話して!」
「そうかな」
「絶対そう!」
そこだけは。
全力で言った。
*
地上へ戻る。
ティナも仕事を終えた。
「今日は母さんの家に寄る」
「普通だな」
「何が?」
「何でもない」
「その後、恋人と食事」
「普通」
「明日は早番」
「普通」
「朝、地下で産んでから北区画の点検」
「そこ!」
ティナが笑った。
「ルーク、毎回同じ反応するね」
「慣れないから!」
「そのうち慣れるよ」
「慣れたくない!」
ティナは手を振って。
人混みへ消えた。
誰も。
振り返らない。
普通の。
若い女性。
地下水路職員。
それだけに見える。
*
三日後。
八人目の触手姫が見つかった。
場所は。
山間の小さな温泉町。
「何してるって?」
俺は聞き返した。
「湯治場で働いてるって」
「また普通に働いてる!」
「触手で背中流すのが評判らしい」
「その情報いらない!」
さらに。
九人目。
草原。
遊牧民の一団に加わった。
十人目。
廃坑。
鉱夫たちと暮らし始めた。
十一人目。
川沿い。
渡し船の仕事を手伝っている。
同じ顔。
似た身体。
同じ起源。
でも。
全員。
違う暮らし。
違う話し方。
違う好み。
違う人間関係。
触手姫という。
一つの怪異が。
増えているわけじゃなかった。
触手姫という。
新しい誰かが。
世界のあちこちで。
一人ずつ。
生活を始めていた。
*
夜。
日記帳を開いた。
『同一起源から複数の独立キャラクターを発生させる構成について検討。』
「もう発生してる」
文字は続く。
『全個体へ同一目的を与える場合――群体型敵対勢力として理解されやすい。』
『個体ごとに生活、職業、人間関係、価値観を分岐させる場合――独立キャラクターとして長期利用可能。』
「利用する気満々だな」
『本体を事件中心へ配置しない構成も可能。』
ティナ。
『本体が従来の日常生活を維持したまま、分体のみが世界各地でストーリーを増加させる形式――既存生活圏を保持しながら世界規模の展開を並行可能。』
「……最悪だ」
ティナは。
何も失っていない。
仕事も。
母親も。
弟も。
恋人も。
家も。
街での居場所も。
全部。
そのまま。
それなのに。
世界には。
ティナから生まれた別の女たちが。
増え続ける。
『新規キャラクターを既存キャラクターの死亡、退場、交代によって追加する必要がない。』
「待て」
『増殖による継続追加が可能。』
「待て待て」
『触手姫について、個体数上限を設定しない構成――』
「設定しろ!」
俺は日記帳を閉じた。
次の日。
十二人目が。
見つかった。




