第九話 生き残った魔物
店の扉を突き破って入ってきた魔物は、最初の一人を俺の目の前で殺した。
「ぎゃ――」
朝一番のパンを買いに来ていた男だった。扉ごと吹き飛ばされ、床を転がったところへ、四本脚の黒い魔物が飛びかかる。犬よりずっと大きい。全身を岩みたいな鱗に覆われ、裂けた口には人間の指ほどもある牙が並んでいた。その顎が男の肩口へ食い込み、振り回す。
骨の砕ける音がした。
「ルーク! 下がりな!」
女将が叫んだ。だが下がれる場所なんてない。男を放り捨てた魔物がこちらを向いた。床には千切れた腕が転がり、その先で男が喉を押さえて痙攣している。血がパンを並べる棚の下まで流れてきた。
「なんでパン屋に魔物が来るんだよ!」
昨日までなら、そう叫んで逃げていたと思う。
でも日記には書かれていた。
『主人公の能動的活躍が不足しています。』
『次話に戦闘イベントを挿入します。』
これだ。
「ふざけんなよ……!」
魔物が飛びかかってきた。
俺は近くにあった長いパン焼きの板を両手で掴み、思い切り突き出した。牙が板に食い込む。衝撃で肩が抜けそうになったが、十六年も畑仕事をしてきた身体は思っていたより踏ん張った。
「女将、逃げろ!」
「セリアが上にいる!」
「くそっ!」
逃げられない。
二階には脚の折れたセリアがいる。
魔物が首を振り、板がへし折れた。俺は残った柄を投げ捨て、窯の方へ走った。背後で爪が床板を抉る音がする。熱い。火は朝から入っている。俺は窯の横に積んであった薪を一本掴んだ。
「来い!」
来てほしくはなかった。
でも来た。
黒い塊が飛ぶ。
俺は咄嗟に横へ転がった。爪が背中を掠め、服が裂けた。焼けるような痛みが走る。それでも立ち上がり、火のついた薪を振り回した。
魔物が一瞬怯んだ。
「火が嫌なのか?」
だったら。
「女将! 油!」
「何する気だい!」
「いいから!」
油壺が飛んできた。
受け取れなかった。床に落ちて割れ、油が広がった。
「最悪!」
「投げろって言ったのはあんただろ!」
魔物がまた突っ込んでくる。
俺は火のついた薪を床へ落とした。
一気に燃え上がった。
炎が俺と魔物の間を塞ぎ、魔物が甲高い声を上げて後退する。だが同時にパン屋の床まで燃え始めた。
「店が燃える!」
「俺も分かってる!」
何が主人公の活躍だ。
ただパン屋を燃やしているだけじゃないか。
そのとき二階から声がした。
「ルーク! 伏せろ!」
考える前に伏せた。
頭の上を何かが飛び、魔物の目に突き刺さった。
短剣だった。
「ギャアアアッ!」
魔物が暴れ、壁へ激突する。
階段を見ると、セリアがいた。
折れた右脚を引きずり、手すりにしがみついて立っている。
「お前、寝てろよ!」
「この騒ぎで寝られるか!」
セリアはもう一本の短剣を構えようとして、そのまま崩れた。
「くっ……!」
魔物がセリアを見る。
やばい。
俺は床に落ちていた薪を拾った。
「こっちだ!」
魔物が振り返る。
残った片目が俺を見る。
その瞬間だけは、日記のことも、人気も、なろうも忘れた。
こいつをセリアのところへ行かせたら駄目だ。
飛び込んできた魔物の口へ、俺は燃えている薪を突っ込んだ。
牙が腕のすぐ横で閉じる。
「うおおおおおっ!」
押した。
喉の奥まで押し込む。
魔物が暴れ、前脚が俺の脇腹を裂いた。熱いものが一気に流れ出す。痛かった。でも手を離したら食われる。
「死ね!」
前世だったら、主人公がこう叫べば格好よく敵が倒れた。
現実は違った。
魔物は死ななかった。
俺を床へ押し倒し、口から煙を吐きながら、それでも牙を閉じようとした。目の前に血と涎が落ちてくる。
「ルーク!」
セリアが這ってくる。
「来るな!」
そのとき、女将が後ろから大きな鉄鍋を振り下ろした。
ごん、と間抜けな音がした。
「うちの倅を食うんじゃないよ!」
一発。
二発。
三発。
魔物の頭から鱗が剥がれ、血が飛ぶ。
「女将!?」
「何ぼさっとしてんだい! 押さえな!」
「押さえてるよ!」
女将は何度も殴った。
最後は鍋が歪んでいた。
魔物はようやく動かなくなった。
俺はその下から這い出した。
床には死んだ客。
黒焦げになった魔物。
燃えている油。
血まみれの俺。
階段の下で倒れているセリア。
そして鉄鍋を握ったまま肩で息をしている女将。
「……これのどこが、なろうだよ」
俺が呟くと、セリアが笑った。
「知らんが……格好悪い戦いだったな」
「うるさい」
「最後、女将に助けてもらってるし」
「お前も短剣投げただろ」
「私はヒロインだからな」
「なんでそんな言葉知ってんだよ」
「ひろいん?」
「……なんでもない」
俺は笑いかけて、脇腹の痛みで倒れた。
*
死者は一人だった。
負傷者は俺とセリア。それに、店の外で扉の破片を受けた通行人が三人。パン屋も半分燃えた。
魔物は昨日のダンジョンから運び出された荷物の中に潜んでいたらしい。崩落から生き残り、荷車の底へ入り込み、そのまま王都まで運ばれてきた。
そしてギルドからパン屋へ返却された籠の中に移った。
全部つながっていた。
夜、治療を受けた俺は、包帯を巻いたまま日記を開いた。
『第九話 生き残った魔物』
その下には今日の出来事が記されている。
『前話で発生したダンジョン事故の未回収要素を利用し、戦闘イベントを実施しました。』
「未回収要素……?」
俺は思わず声に出した。
『生存魔物一体。』
「お前、昨日の時点であれが生き残ってるの知ってたのか?」
『既存事象です。』
背筋が寒くなった。
つまり、日記が魔物を作ったわけではない。
昨日の事故ですでに生き残っていた。
それを――使った。
『ストーリー上の整合性を維持しました。』
「……確かに維持してるよ」
ダンジョン事故。
生き残ったセリア。
生き残った魔物。
二つともパン屋へ来た。
これ以上ないくらい綺麗につながっている。
「一人死んだけどな」
日記は答えなかった。
その人を死なせないとは、誰も書いていない。
そして、次の文字が浮かんだ。
『主人公の能動的活躍を確認。』
『女性キャラクターとの共闘を確認。』
『危機を通じた関係性強化が成立しました。』
「待て」
まだ続く。
『戦闘、流血、ヒロイン、日常拠点損壊により、前話比で高い関心が予測されます。』
「パン屋、半分燃えたんだけど」
『次話への継続率上昇が予測されます。』
「喜ぶなよ」
新しい題名が浮かんだ。
『第十話 店が燃えたので冒険者になります』
「ならねえよ!」
すぐ下に文字が増えた。
『既存状況より、自然な展開です。』
俺は焼け焦げた壁を見た。
仕事場は半壊。
修理には金がいる。
俺自身はダンジョン由来の魔物を倒した。
セリアは冒険者。
ギルドとも縁ができた。
確かに。
腹が立つほど、前後がつながっていた。
「……お前さ」
日記は黙っている。
「俺がなろうを読んでたからって、何でも冒険者にすればいいと思ってないか?」
しばらくして、一行だけ浮かんだ。
『人気傾向を反映しています。』
「最悪だ」
その夜、俺は初めて本気で思った。
この連載を、どこかで止めないといけない。
そうしないと俺が死ぬより先に、世界の方がもたない。
次は、このまま**「店の修理代を稼ぐ」という極めてまともな理由から冒険者登録へ押し出される**流れが自然です。




