第八話 同居する女冒険者
二階へ駆け上がると、セリアは床に倒れていた。
「何やってんだ!」
「……便所」
「呼べよ!」
「そこまで世話になれるか」
寝台から自分で立とうとして、折れた右脚に体重をかけたらしい。寝間着代わりの薄い服は胸元まではだけ、包帯の巻かれた身体が覗いていたが、それどころではなかった。左肩の傷が開き、白い布がまた赤く染まり始めている。俺は慌てて身体を抱え上げた。
「触るぞ」
「もう触ってるだろ」
「そういう意味じゃない!」
「……赤くなってるぞ、坊主」
「怪我人は黙ってろ!」
こんな状況でも笑う。女冒険者というのは全員こうなのか、それともこいつがおかしいのか分からない。女将も上がってきて、二人で包帯を外した。
傷は酷かった。
噛み千切られた左肩は治癒魔法で塞がれているものの、皮膚はまだ引きつれ、肉が足りないところは大きく窪んでいる。脇腹には黒紫色の痣が広がり、背中には魔物の爪痕が四本、腰近くまで続いていた。胸や腹まで傷だらけで、さっきまで女の裸を見て慌てていた自分が馬鹿みたいだった。
「よく生きてたな」
「五人が死んだからな」
セリアが平然と言った。
俺の手が止まった。
「私が最後まで走れたのは、あいつらが順番に残ったからだ。だから生きてる」
「……悪い」
「謝るなよ。お前が殺したわけじゃないだろ」
その言葉が胸に刺さった。
本当にそうなのか。
昨日の日記に銀貨一枚と書かなければ、あのダンジョン事故は起きなかったのか。分からない。日記が事故を起こしたのか、もともと起こる事故を利用したのか、それすら分からない。それなのに今、五人を失った女が俺の目の前にいる。
包帯を巻き直し、便所まで肩を貸し、戻ってくるころにはセリアは汗だくだった。
「情けねえな」
「脚折れて肩の肉なくなってんだから当たり前だろ」
「冒険者になって九年だぞ。自分の尻も一人で拭けない日が来るとは思わなかった」
「そこまで俺にやらせる気なら女将呼ぶぞ」
「冗談だ」
「顔が冗談じゃないんだよ!」
セリアが声を出して笑った。
直後、笑いが止まった。
顔が強張り、身体が震え始める。
「セリア?」
「……今、声が」
「声?」
「あいつらの」
俺には何も聞こえない。
セリアは壁を見ていた。笑顔は完全に消え、呼吸だけが急に速くなっている。
「最後の奴が……まだ、手を離すなって」
右手を見つめる。
「腕だけ残ったんだ」
昨日と同じ言葉だった。
次の瞬間、吐いた。
「うわっ!」
俺の胸へしがみついたまま、胃の中のものを全部吐いた。ほとんど何も食べていなかったので、薄いパン粥と胃液だけだった。
「悪……い」
「いいから!」
「五人死んで、私だけパン食って、寝床まであって……」
震えが止まらない。
「なんで私だけ生きてんだろうな」
俺には答えられなかった。
前世の小説だったら答えられた。
唯一の生存者だから。
主人公と出会うヒロインだから。
悲惨な過去があった方が人気が出るから。
そんな理由で、五人殺したのか。
俺はセリアを寝台へ戻し、汚れた服を脱いで着替えるのを手伝った。成人した女の身体を目の前にしているというのに、今度は何も嬉しくなかった。傷のない場所を探す方が難しい身体だった。
「ルーク」
「ん?」
「今夜、ここにいてくれないか」
思わずセリアを見る。
「一人になると、また聞こえそうだ」
その顔を見て断れるほど、俺は図太くなかった。
「……分かった」
「女将に見つかったら、私が襲ったって言っていいぞ」
「なんで俺が被害者なんだよ」
「若い男と女が同じ部屋で一晩だ。そういう話になるだろ」
「ならないように寝ろ」
セリアは少しだけ笑った。
俺は椅子を寝台の横へ運んだ。
*
真夜中、叫び声で目を覚ました。
「やめろ! 引っ張るな!」
セリアが寝台の上でもがいていた。
「セリア!」
「手が! 手が抜ける!」
「夢だ!」
押さえようとすると、拳が飛んできた。頬にまともに食らい、俺は椅子ごと転がった。
「痛っ!」
その声で目を覚ましたらしい。
セリアがこちらを見た。
「……ルーク?」
「そうだよ!」
「殴った?」
「見事にな!」
「悪い」
「冒険者の拳、洒落にならないな……」
口の中を切ったらしく、血の味がした。
セリアはしばらく俺を見ていたが、やがて手を伸ばしてきた。
「そばに来てくれ」
「また殴らない?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
仕方なく寝台の横へ座る。
すると腕を掴まれた。
「これなら、目が覚めたとき分かる」
「何が?」
「生きてる奴の腕だって」
握る力が強かった。
俺はそのまま夜が明けるまで、手を掴まれていた。
*
朝になって日記を開く。
『第八話 同居する女冒険者』
題名の下には、昨日から今朝までの出来事が並んでいた。
そして、
『新規女性キャラクターと主人公の心理的距離が縮まりました。』
「……」
『悲劇的背景との対比により、関係性への関心上昇が予測されます。』
「五人死んだんだぞ」
文字は変わらない。
「お前、人気が出れば何でもいいのか?」
しばらく待った。
返事の代わりに、新しい文章が現れた。
『既存事象との整合性を維持しています。』
「答えになってない」
『死者五名は、前話のダンジョン事故における既存結果です。』
俺の指が止まった。
「……お前が殺したんじゃないのか?」
『因果関係について、追加指定は存在しません。』
「だからどっちなんだよ!」
何も返ってこない。
公平だ。
たぶん、本当に。
俺が「誰も死ぬな」とは書かなかった。日記が事故を起こしたのか、事故を利用しただけなのかを確定する条件も書かなかった。
だから答えない。
俺はページを閉じようとした。
その前に文字が増えた。
『現在、恋愛要素への継続的関心が予測されます。』
「いらない」
『一方、直近二話において主人公の能動的活躍が不足しています。』
「嫌な予感しかしない」
さらに一行。
『次話に戦闘イベントを挿入します。』
「やめろ」
『既存設定より適切な脅威を選択中――』
「やめろって!」
文字が止まった。
俺は少し安心した。
そして最後の一行が出た。
『第九話 生き残った魔物』
二階から、セリアの悲鳴が聞こえた。
「ルーク!」
同時に店の表で、何か巨大なものが扉へぶつかった。
木材が折れる音がした。
俺は日記を掴んだまま立ち上がった。
「……連載って、毎話こんなこと起こす必要あるのかよ」




