第八十四話 新種の麻薬が流行り始めました
「新種の麻薬が各地で流行り始めてる」
リサがそう言って、ギルドから持ち帰った紙を食卓へ置いた。サラが見つかってから三週間ほど経っていた。植物との一体化は解けていない。それでも意識がはっきりしている時間は増え、神殿では本人も薬師として自分の状態を調べている。その一方で、王都だけではなく周辺の町や村から、今まで存在しなかった麻薬の話が立て続けに届き始めていた。
「同じものなの?」
「たぶん。特徴が似すぎてる」
紙にはいくつもの報告が並んでいた。吸った者が強い幸福感を覚える。嫌なことを考えられなくなる。判断力が落ちる。それでも本人は自分が正常だと思いやすい。しばらくすると、また欲しくなる。そして厄介なのは、薬そのものだけが流通しているわけではないことだった。
「南の町では鉢植えで見つかった」
「鉢植え?」
「観賞用の花として育ててたらしいわ」
「麻薬植物を?」
「本人は知らなかったって。綺麗だから知り合いにもらった。それだけ」
「誰から?」
「その知り合いも、別の人からもらったって」
「じゃあ、その別の人は?」
「もう分からない」
クラリッサが別の報告を指さした。
「こちらは家の花壇ですね」
「……普通の家?」
「はい。最初は一本だけだったそうです。それを気に入って残していたら、近所でも同じ花を育てる家が増えたと」
「誰が最初に持ってきたの?」
「不明です」
別の村では庭。別の町では宿屋の窓辺。商人の家では小さな鉢。薬として売っている者もいれば、ただ花を眺めているだけの者もいる。本人たちは同じ植物だとすら知らない場合があった。商会を調べても、大量の種や苗を運んだ記録は出ない。特定の薬売りも見つからない。密売組織らしい集団も捕まらない。それなのに地図へ印をつけると、発見場所だけが少しずつ増えていた。
「流通経路がないのに流行ってるってこと?」
「経路が見つかってないだけよ」
リサが訂正した。
「でも普通なら、どこかに大元があるでしょう。売る人、運ぶ人、作る人。この植物はそこが見えない」
「サラのところにあった植物が広がったとか?」
俺が言うと、全員が黙った。
可能性は考えていた。でもサラが見つかった谷は封鎖されている。持ち出された植物も神殿の管理下にある。少なくとも、そこから大量に各地へ運ばれた形跡はない。
「本人に聞こう」
*
神殿へ行くと、サラは庭の端に座って本を読んでいた。最初に見つかった時のように地面へ埋まってはいない。ただし植物が消えたわけでもなかった。服の隙間から細い茎が伸び、肩の近くに小さな葉がある。身体の中へ入り込んだ根は残っていて、無理に取り除く方が危険だという判断も変わっていなかった。
「今日はまとも?」
「失礼ね」
「確認してるだけ」
「たぶんまとも」
「たぶん?」
「完全に信用するなって前にも言ったでしょ」
サラは笑って本を閉じた。今の笑い方は以前のサラに見える。
「新しい麻薬の話、聞いてる?」
「聞いてる」
「同じ植物?」
「かなり近いと思う。全部同一かは現物を見ないと分からないけど」
「何で広がってるの?」
「知らない」
「本当に?」
「本当に」
即答だった。
「神殿から流出した可能性は?」
「低い。ここにあるものは数も記録されてるし、外へ出す時も人がつく」
「じゃあ最初の谷?」
「あそこも今は見張られてる」
「だったら、どこから」
「だから分からないって」
サラは少し苛立ったように言って、それから俺が持ってきた報告書へ目を落とした。一枚ずつ読む。鉢植え。庭。花壇。路地裏。山村。いくつも読み終えたところで、妙なことを言った。
「思ったより早いな」
「何が?」
「増えるの」
「……サラ?」
顔を上げる。
「何?」
「今、何て言った?」
「増えるのが早いって」
「何で増える前提なの?」
数秒。
サラが黙った。
「植物だから?」
「そういう意味じゃなくて」
「じゃあどういう意味?」
俺にも説明できなかった。サラは不思議そうな顔をした後、また報告を読む。その横で肩の葉が小さく揺れた。
「サラ」
「何?」
「他にも育ててないよね?」
「育ててるよ」
あまりにも普通に返ってきた。
「……え?」
「森に畑がある」
「畑?」
「うん」
リサまで固まった。
「何の畑よ」
「これ」
サラが自分の肩から伸びた葉を指さした。
「待って。いつ作ったの?」
「少し前」
「神殿は知ってる?」
「研究用の植物を外で観察したいって話はしてる」
「麻薬植物の畑を作ったとは?」
「そこまで細かくは言ってないかな」
「サラ!」
「大声出さないで」
「何でそんなもの増やしてるんだよ!」
「調べるため」
「各地で流行ってるんだぞ!」
「私の畑から出たって決まったの?」
言い返せなかった。
「場所は?」
「森」
「どこの?」
「王都から少し離れたところ」
「どれくらいある?」
「数えてない」
「何で!」
「ルーク」
サラの声が低くなった。
「私、薬師だよ」
「知ってる」
「だったら調べる」
「自分をあんな状態にした植物を?」
「だから調べるんでしょ」
筋だけ聞けば通っていた。でも、その顔を見ているうちに別の疑問が浮かんだ。
「サラ。それ、本当に研究のため?」
サラは答えなかった。
「今のサラが自分でそう思ってるだけじゃない?」
「……」
「植物に増やしたいって思わされてない?」
肩の葉が揺れた。
サラの口元が少し緩んだ。
「あ」
「サラ?」
「今、来た」
目が蕩ける。
「何が?」
「いつもの」
身体の中の植物から何かが回ったらしい。さっきまでの苛立ちが消え、急に機嫌がよくなった。
「畑ね」
「うん」
「すごく綺麗だよ」
「……」
「いっぱい咲いてる」
嬉しそうだった。
「見に来る?」
「今その顔で誘うなよ」
「何で?」
「信用できないから」
「ひどいなぁ」
サラは楽しそうに笑った。その笑顔を見ていると、森の畑を「研究用」と呼んでいいのか分からなくなる。
「誰かに渡した?」
「覚えてない」
「覚えてない?」
「たぶん渡してないよ」
「たぶん?」
「欲しいって言われたことはあるかも」
「誰に?」
「分かんない」
「サラ!」
「今の私に聞いても駄目だって」
笑いながら言う。その通りだった。
*
翌日、サラの頭がはっきりしている時間に、もう一度聞いた。
「畑は潰す?」
サラは長く考えた。
「……嫌だ」
「それ、薬の影響?」
「分からない」
「だったら潰した方が」
「でも調べたい」
「またそれ?」
「本当なの」
サラは自分の胸元を押さえた。
「これが何なのか知りたい。私の身体で何をしてるのか。どうしてあんな幸福感が出るのか。どうして各地で同じようなものが出てるのか。畑があれば比較できる」
「でも危ない」
「危ないよ」
「だったら」
「薬は危ないから調べない、にはならないでしょ」
昔のサラなら、そう言ったかもしれない。
だから余計に判断できない。
「一つ約束して」
「何?」
「誰にも渡さない」
「分かった」
「町へ持ち込まない」
「分かった」
「勝手に増やさない」
そこでサラは黙った。
「サラ?」
「……それは難しいかも」
「何で?」
自分の身体を見る。
「これ、生きてるから」
「畑の話だよ」
「私も畑も、たぶん同じ」
意味を聞こうとしたが、サラはそれ以上説明しなかった。
*
それからも新種の麻薬は広がった。
王都から遠い村で見つかった。
国境近くの宿場でも見つかった。
貴族の屋敷では、珍しい花として鉢植えが飾られていた。
別の町では、庭先に咲いた花を近所同士で分けていた。
最初にどこから来たのか聞いても、誰も答えられない。
「知り合いにもらった」
「旅人が置いていった」
「前から庭にあった」
「綺麗だから残した」
そんな話ばかりだった。
そして王都の外れの森には、サラの畑がある。
本人は研究だと言う。
神殿も詳しい規模までは把握していない。
サラが各地へ配った証拠もない。
そもそも各地で流行っている植物が、全部サラの畑と同じものなのかさえ確定していない。
何も繋がらない。
なのに。
花だけは。
増えていた。
*
夜、日記帳を開いた。
しばらく白い頁が続いた後、文字が現れた。
『個人に発生した異常を、社会規模の現象へ拡張する展開について検討。』
『発生源を早期に確定した場合――謎解き要素が低下。』
『複数の可能性を維持し、流通経路を不明とする構成――継続的な不安を形成可能。』
「……」
さらに続く。
『被害者自身が現象の拡大に関与している可能性を残すことで、救済済みキャラクターの再利用が可能。』
「再利用って言うな」
もちろん返事はない。
『本人の善意、職業意識、依存症状、寄生生物の繁殖欲求を分離不能とする場合――人物の自己判断に対する不信を維持可能。』
俺は日記帳を閉じた。
次の日。
サラは森へ行った。
「畑見てくる」
「一人?」
「神殿の人と一緒」
「本当に?」
「疑いすぎ」
「疑えって言ったのサラだろ」
「そうだった」
笑う。
「夕方には戻るよ」
「花は持って帰るなよ」
「分かってる」
サラは手を振って出ていった。
その日の夕方。
別の町から。
また一件。
新しい鉢植えが見つかったという連絡が入った。
誰が持ち込んだのかは。
やっぱり。
分からなかった




