第八十二話 麻薬植物の苗床
「人間を苗床にしてる植物が見つかった!」
神殿の薬師がパン屋へ飛び込んできたのは、マルタがまた遠征へ出て三日ほど経った朝だった。俺は持っていた籠をその場へ置いた。人間を苗床にする。その言葉だけでも嫌だったが、薬師の顔を見れば、ただ珍しい魔物植物を見つけたという話ではないことが分かった。
「どこで?」
「サラさんが消えた場所から、さらに山側へ入った谷です。採集隊が妙な花を見つけました。最初は群生だと思ったんですが、根元を確認したら……人がいる」
「生きてる?」
「生きています」
それだけ聞いて俺は外へ出た。セリアもついてきた。リサは少し遅れて神殿の薬師と合流し、女将には止められたが、待っていられなかった。サラが消えてから何週間も経っている。エリナはまだ見つからない。マルタだけが帰り、またどこかへ消えた。そんな中で「人間を苗床にした植物」が、サラの消えた場所の近くから見つかった。
*
谷へ着いた時、神殿と衛兵がすでに周囲を封鎖していた。甘ったるい匂いが漂っている。花の香りに似ているのに、長く嗅いでいると頭の奥が妙に温かくなる。神官が布を渡してきたので口元を覆う。谷の岩陰に、見たことのない植物が密集していた。太い茎。濃い色の葉。先端には鮮やかな花がいくつも咲き、その中心から透明な蜜のようなものが滲んでいる。
「近づきすぎないでください」
薬師が言った。
「強い作用があります。短時間でも判断がおかしくなる者が出ています」
「麻薬?」
リサが聞いた。
「おそらく。それも普通の薬草とは違う。根から何かを吸って、その一部をまた苗床へ戻しているようです」
「苗床って……」
俺は植物の根元を見た。最初は土の盛り上がりに見えたが、何本もの根が絡まり、その上を葉が覆っている。でも近づくにつれ、形がおかしいことに気づいた。土じゃない。肩だった。そこから腕が出ている。指がある。根が皮膚の上を這い、ところどころ身体の内側へ沈んでいる。腹の上からも何本もの茎が伸び、胸元や脇腹にも細い根が絡んでいた。
「……人間だ」
「ああ」
セリアの声が低くなった。裸に近い身体だったが、植物に覆われてほとんど見えない。身体そのものが土台になっている。根を抱えているんじゃない。根がその人間を抱えていた。いや、もっと悪い。身体と植物の境目が分からなくなっている。胸が僅かに上下しているから、生きていることだけは分かった。
「助けろよ。すぐ外せよ」
俺が言っても、誰も動かなかった。
「何してるんだよ!」
「外せないんです」
薬師が答えた。
「根が深すぎる。表面だけじゃありません。無理に引けば、この人の身体の方が耐えられない可能性があります」
「じゃあ切れば」
「植物だけを切り離せる状態なのか分からないんです」
「何でだよ!」
「もう、この植物がこの人の生命維持にも関わっている可能性がある!」
怒鳴り返されて止まった。植物は人間から何かを奪っている。でも同時に何かを戻している。毒なのか、薬なのか、魔力なのか。それすらまだ分からない。ただ何週間もこの状態で生きている。それだけで、単純に植物を取り除けば終わる状態ではないことは分かった。
*
人間の顔は花と葉に半分隠れていた。薬師が慎重に葉をどけると、頬は痩せ、唇は乾いていた。それでも呼吸はしている。
「聞こえますか?」
反応はない。
「名前を言えますか?」
瞼が動き、ゆっくり開く。焦点が合わない。俺たちではなく、もっと遠いところを見ているような目だった。それなのに表情だけは、妙に幸福そうだった。
「……きれい」
「何が?」
「花……いっぱい……」
笑った。その笑い方を見て、薬師の顔が変わった。
「作用を受けています。かなり強い」
「俺たち分かる?」
俺はしゃがんだ。
「おい。こっち見て」
目がゆっくり動き、俺を見る。
「……ルーク?」
心臓が止まりそうになった。
「サラ?」
「ん……」
笑う。間違いない。痩せている。髪にも根が絡んでいる。身体から麻薬植物が何本も生えている。それでも、サラだった。
「サラ!」
「大声……頭に響く……」
「ごめん」
「ふふ……変な顔」
普段なら絶対にしないような、ぼんやりした笑い方だった。
「助けに来た」
「助ける?」
「ああ」
「何から?」
サラは自分の身体から伸びる花を見た。一本の花が揺れた瞬間、身体が小さく震え、口元が緩んだ。
「……これ?」
「そう」
「でも……気持ちいいよ?」
誰も何も言えなかった。サラ自身は薬師だった。薬が人間の判断をどう変えるか、誰より知っている。
しばらくぼんやり笑っていたサラが、急に眉を寄せた。
「……違う」
「サラ?」
「これ、私が思ってるんじゃない」
声が少しだけ戻った。
「頭……おかしい」
花がまた揺れる。サラの身体が震え、表情が勝手に緩む。それでも今度は笑わなかった。
「ルーク」
「いる」
「私、今……すごく幸せ」
「……うん」
「だから、絶対に信用しないで」
俺は何も答えられなかった。
サラの腹から伸びた花が、もう一度ゆっくり開いた。甘い匂いが谷いっぱいに広がった。




