外伝 死体漁り
「死体漁りは、自分の腹から落ちたものまで食うらしいぞ」
昼のパン屋でその話が出た時、俺は手に持っていた皿を落としかけた。西の戦場から帰ったという傭兵は、冗談を言っている顔ではなかった。片腕を吊り、頬にも新しい傷がある。女将の出したスープにもほとんど手をつけず、店の客たちへ向かって低い声で続けた。
「死体なら何でも同じなんだと。人間も、魔物も、獣も、自分から出たものもな。死んだ瞬間から肉と骨だ。食えるものは食う。使えるものは身体へ足す」
「本当に人間なのか?」
客の一人が気味悪そうに聞いた。
「もう違う」
傭兵は首を振った。
「呪法まで覚えやがった。今のあれは肉鎧を着てるんじゃない。肉鎧そのものが歩いてる」
話によれば、死体漁りは戦場で槍を受けても止まらなかった。身体を覆う肉が大きく裂け、血が流れても、自分自身が負傷したような反応を見せない。近くに転がっていた死体から肉を取り、裂けた場所へ押しつける。すると黒い紋様のようなものが肉の表面を走り、別の死体だったものと肉鎧の境目が消えていったという。
「腕を斬られても同じだ。骨が壊れりゃ別の骨を添える。皮が裂けりゃ別の皮を被せる。戦えば戦うほど、むしろ大きくなっていく」
「治癒魔法じゃないのか?」
「違う。治してるんじゃない。壊れた鎧を補修してるんだ」
俺は何も言えなかった。以前から噂はあった。外にいる時の死体漁りは、自分の身体まで「肉鎧」と呼ぶ。人間として傷ついたのではなく、外装が破損したとしか思っていないらしい。
「しかも、一人じゃない」
傭兵が声を落とした。
「後ろに連れてる」
「仲間か?」
「仲間って呼んでいいのか、あれ」
男が見た時には四体いたという。人の形をしているが、全身を革と肉で覆われ、骨を外側へ組みつけたもの。巨大な獣の皮を背負ったもの。腕の数すら合わないもの。誰も喋らず、死体漁りが動けば、その後ろをついて歩く。
「追捕に来た兵士が一人捕まった」
「殺されたのか?」
「それも分からん」
死体漁りの肉鎧が開き、生きている兵士を包んだという。叫び声はしていた。仲間が引き戻そうとしても、肉の中へ沈んでいった。
「翌日にもう一度見た。後ろに一体増えてた」
「その兵士だったのか?」
「顔なんて見えねえ。ただ、胸の肉にそいつの徽章が半分埋まってた」
店から笑い声が消えた。
「捕まえに行くな。墓荒らしだと思うな。今のあれは、生きてる奴まで肉鎧にする」
そこで傭兵は一度黙った。それから、さらに嫌そうな顔になった。
「それだけじゃない」
「まだあるのか?」
「腹に子がいたことがあったらしい」
俺は息を止めた。
「戦場で失った。だが、あいつは埋めなかった」
聞きたくなかった。それでも耳に入った。死体漁りは、自分の身体から失われたものを「自分の子だったもの」として扱わなかった。腹の中にある間は生きたものでも、外へ出て命がなくなった時点で、他の死体と同じになる。食べられるものは自分へ戻し、残るものは呪法で肉鎧へ取り込む。
「自分の腹から出たものだぞ」
傭兵の顔が歪んだ。
「それでも、あいつには死体なんだ」
母親と死体漁り。子供と肉。生き物と鎧。その境界が、あいつの中では命がなくなった瞬間に切り替わるらしい。
その日の夜、パン屋の扉が開いた。
「ただいま」
マルタだった。
「……」
「何だ、その顔」
普通だった。少し伸びた髪。旅服。腰の剣。顔にも手にも、昼間聞いたような肉や骨は一つもない。
「帰ったのかい!」
厨房から女将が顔を出した。
「ああ」
「風呂!」
「分かってる」
「外で変なの着てたなら、全部置いてきただろうね!」
「街へ入る前に置いてきた」
「ならさっさと洗っといで!」
「はいはい」
いつものやり取りだった。マルタは風呂へ行き、戻ってくるといつもの椅子へ座り、肉を多めに盛って飯を食った。
「最近どうだった?」
ミレアが聞く。
「遠かった」
「それだけ?」
「それだけ」
「何日いるの?」
クラリッサが聞く。
「しばらく」
何も変わらない。昼に聞いた化け物と、俺の横でパンをちぎっている女が同一人物だと思う方が難しかった。
*
夜になって二人きりになると、マルタは俺の部屋へ入るなり強く抱きついてきた。しばらく離れていた分を埋めるというより、本当にここに身体が存在しているのか確かめているようだった。
「ルーク」
「何?」
「生きてるな」
「うん」
「私も」
「うん」
マルタは俺の胸へ頬を押しつけ、鼓動を聞いていた。やがて抱く力が強くなり、人間らしい会話が少しずつ減っていった。
「ぐ、ぅ……」
「マルタ?」
「ん゛……お゛ぉ……」
喉の奥から出る声は、以前よりずっと濁っていた。羞恥を抑えているというより、感じたままの声をそのまま外へ出している。俺の名前さえ、獣の唸り声の途中に混ざる。
「ル゛ーク……っ」
「いるよ」
「生きてる……」
「ああ」
「生きてるなぁ……っ」
何度も確認する。
「もっと」
「マルタ」
「もっと、生きてるって分からせろ……!」
その要求に、俺まで引きずられた。言葉で落ち着かせようとするより、目の前にいる女を強く抱き返す方が自然に思えてくる。マルタの声は「あ゛っ」「ぐぅっ」「お゛、お゛ぉ……!」と、喘ぎというより吠え声に近づいていった。
「マルタ……!」
「違う」
「何が?」
「今は……雌だ」
「……」
「お前も雄になれ」
俺の中でも何かが切り替わった。名前を呼ぶより先に、目の前の雌を求める。俺まで喉の奥から低い声を出し、マルタはそれを聞くと嬉しそうに、さらに獣じみた声を返した。人間同士の言葉はほとんど消えた。ただ雄と雌がいて、どちらも生きている。それを身体と声で確かめ続ける夜になった。
少し落ち着いてから、マルタが俺の手を自分の腹へ置いた。
「この前」
「うん」
「お前の子が落ちた」
胸が詰まった。
「……悲しかった?」
少し間があった。
「マルタとしてはな」
「どういう意味?」
「ここに帰ってきて考えると、悲しい」
「外では?」
マルタは黙った。しばらく腹に置いた俺の手を見てから、平坦な声で言った。
「死体だった」
「……」
「腹から出たから」
「マルタ」
「分かってる。ここで言う話じゃない」
俺の手を自分の腹へ強く押しつける。
「だから、新しいのが欲しい」
「子供?」
「ああ」
目だけは、いつものマルタだった。
「今度は、お前の子を腹に残したい」
「本当に?」
「欲しい」
少しだけ笑う。
「今度こそ、生きたまま連れて帰りたい」
その言葉だけ聞けば、普通の願いだった。
だからこそ怖かった。
パン屋へ帰ったマルタにとって、腹の中にいるものは自分の子供になる。外で死体漁りになっている時に失えば、その瞬間から死体になる。その二つが本人の中で、何の矛盾もなく並んでいる。
*
帰ってきたマルタは六日間パン屋にいた。朝は粉袋を運び、昼は配達を手伝い、クラリッサの帳簿仕事を邪魔して怒られ、ミレアと荷物を運び、セリアと剣を振った。町の防壁へ魔物が出れば、普通の革鎧と剣で討伐にも参加した。
「東門に魔物!」
「数は?」
「二十くらい!」
「行ってくる」
数時間後には普通に戻ってくる。
「終わった」
「怪我は?」
「ない」
「本当に?」
「しつこい」
兵士からも後で聞いた。
「強かったぞ、マルタ」
「前より?」
「三人分くらい働いてた。あれならまだ現役でいける」
町では人を守る女冒険者だった。子供に声をかけられれば笑う。負傷者を見つければ神殿へ運ぶ。死者が出れば遺族の前で余計なことは言わない。パン屋では骨も死体も肉鎧も話題にしない。女将の店へ外のものを持ち込まない。その境界だけは異様なくらい徹底していた。
七日目の朝、マルタは旅支度をしていた。
「今度は?」
「東」
「何がある?」
「戦が始まる」
「まだそんなに死んでないだろ」
「死ぬ」
断言した。
「いつ戻る?」
「分からん」
「一月?」
「その前には一度帰る」
「必ず?」
マルタは変な顔をした。
「帰ってるだろ。いつも」
「そうだけど」
「ここは帰る場所だ」
女将へ声をかける。
「行ってくる」
「死ぬんじゃないよ!」
「死なない」
「ちゃんと食べな!」
「食う」
「帰ったら風呂!」
「分かってる!」
「変なもの持って帰るんじゃないよ!」
「持って帰らない!」
玄関を出る直前、マルタは俺の横で一度だけ腹を撫でた。
「次に帰った時、まだここにいるといいな」
「……うん」
「じゃあな」
普通のマルタとして町を出ていった。
*
三日後、東部戦線で死体漁りが目撃された。
最初は一体だった。
翌日には七体。
さらに数日後には十二体。
戦場で倒れた肉を集め、骨を拾い、皮を重ねる。先頭を歩く大きな人型は、攻撃を受けるたび周囲から肉を足し、黒い呪紋で自分へ馴染ませる。腕が増えることもあれば、背中へ誰かの肋骨が露出したまま組み込まれることもある。人間という形を保つ必要そのものがなくなっているらしい。
追捕に出た兵士が帰らないこともあった。
その数日後。
肉鎧たちの中に、見覚えのある盾を持った腕が増えていた。
誰が死体だったのか。
誰が生きたまま取り込まれたのか。
もう分からない。
死体漁り自身についても同じだった。自分の皮膚と、拾った皮膚。自分の骨と、死者の骨。自分の肉と、取り込んだ肉。その区別を本人が必要としていない。
さらに戦場では、気味の悪い噂が広がった。
「死者が十人なら、まだ来ない」
「百人なら夜を警戒しろ」
「千人なら、もう遅い」
死体を埋めても来る。
墓を作れば掘る。
古戦場にも来る。
瀕死の魔物も、傷ついた獣も、生きた追捕者も、死体漁りにとっては肉鎧になり得る。
そして先頭のものがどれほど傷ついても、周囲に肉がある限り、何度でも立ち上がる。
*
一月後。
夕方のパン屋の扉が開いた。
「ただいま」
「遅い!」
女将が怒鳴った。
「悪い」
「風呂!」
「はいはい」
マルタだった。
普通の服。
普通の顔。
腰に剣。
「お帰り」
「ああ」
「今回は長かったね」
「遠かったからな」
「怪我は?」
「ない」
「外で何してた?」
「いろいろ」
「またそれ?」
「ああ」
マルタは笑った。
「飯ある?」
「あるよ」
「肉多め」
「女将に言って」
「女将!」
「聞こえてるよ!」
厨房から怒鳴り声が返ってくる。
マルタは笑って、自分の椅子へ座った。
必ず帰ってくる。
どれだけ遠い戦場へ行っても。
どれだけ肉鎧が増えても。
外で自分自身を人間ではなく肉鎧として扱っていても。
何週間か。
時には何ヶ月か。
すると扉が開く。
「ただいま」
飯を食う。
パン屋を手伝う。
町を守る。
俺の部屋へ来る。
雄と雌みたいな声を上げて、互いが生きていることを確かめる。
腹に新しい命が宿ることを願う。
そして数日後には、また消える。
人が死ぬ場所へ。
今では兵士たちの間に、一つの言い伝えがあるらしい。
戦が始まったら、戦場の端を見ろ。
大量に人が死んだら、夜を見ろ。
墓が増えたら、森を見ろ。
どこから来るのかは誰にも分からない。
ただ、死の匂いが濃くなれば。
いつの間にか。
死体漁りと。
その肉鎧たちが。
立っている。
死がなくなる頃には、またどこかへ消えている。
俺だけは。
その行き先の一つを知っていた。
パン屋だ。
死体漁りは。
必ず。
帰ってくる。




