第八十一話 生きた肉も鎧になる
「死体漁り、自分まで死体になったらしいぞ」
昼のパン屋で、その話を聞いた時。
マルタは俺の隣で普通にパンを食べていた。
「どういう意味?」
「知らねえよ。見た奴がそう言ってるんだ」
常連の冒険者がスープを飲みながら肩をすくめる。
「北の森で捕まえようとした連中がいたんだけどな。剣が当たっても、あいつ全然気にしなかったらしい」
「強いから?」
「そうじゃない。腕から血が出てるのに、自分の腕を見て『肉鎧が裂けた』って言ったんだと」
俺の手が止まった。
隣を見る。
マルタはパンに蜂蜜を塗っていた。
「へえ」
「へえ、って」
「変な奴だな」
「お前、毎回それだけだな」
「会ったことないからな」
平然としている。
薄いシャツ。
ズボン。
腰の剣。
町にいる時のマルタは、少し前までと変わらない。
「マルタ」
「何だ?」
「今日どこか行く?」
「夕方まで薪運び」
「その後」
「女将に聞け」
厨房から声が飛んだ。
「夜まで働かせるよ!」
「だそうだ」
マルタが笑う。
普通だった。
その普通さの方が、最近は怖かった。
*
死体漁りの噂は、それまでにも何度も聞いていた。
全身を革と毛皮で覆う。
骨や牙を鎧にする。
墓を荒らす。
遠い古戦場まで行く。
追捕の兵士や冒険者が何人いても捕まらない。
ただし、生きている人間は殺さない。
人が魔物に襲われていれば、助けることさえある。
そして町へ戻れば、マルタは何事もなかったようにパン屋へ帰ってくる。
最近では俺たちも、それについてほとんど聞かなくなっていた。
「明日から三日いない」
「どこ?」
「東」
「何しに?」
「外の用事」
「死体?」
「食事中だぞ」
「そこだけ常識人ぶるのやめない?」
マルタは笑う。
でもパン屋を出る時は、いつも普通の格好だった。
革と骨の装備は町の外に置く。
持ち帰らない。
女将の店に迷惑をかけない。
そこだけは徹底していた。
*
問題は。
外にいる時のマルタが。
だんだん。
別の何かになっているらしいことだった。
「死体漁りに会った」
ギルドで、若い冒険者が興奮気味に話していた。
俺は依頼票を見るふりをしながら聞いた。
「本当に?」
「ああ。谷の近く。全身革で、顔も見えなかった」
「襲われた?」
「いや。俺たちが追った」
「何で?」
「墓荒らしだぞ」
「それで?」
若い男は顔をしかめた。
「変だった」
「何が?」
「俺の剣が肩に当たったんだ」
胸がざわついた。
「斬ったの?」
「浅い。止めるつもりだった。でも普通なら痛がるだろ」
「死体漁りは?」
「自分の肩見て、『外側が破れた』って」
「外側?」
「ああ」
男は自分の肩を叩いた。
「その下にまだ革があるとか、そういう意味かと思った。でも違った」
「何て言ったの?」
「『この肉鎧はまだ使える』」
俺は。
何も言えなかった。
「それで自分の腕を動かして、動くの確認して、そのまま逃げた」
「……」
「何なんだよ、あれ。自分の身体まで鎧扱いしてるのか?」
分からない。
とは。
もう。
言いづらかった。
*
その日の夜。
マルタは普通に帰ってきた。
「ただいま」
「お帰り」
「腹減った」
「女将、マルタ帰った!」
「手洗わせな!」
「洗ってくる」
肩を見る。
服の下。
少し動かしにくそうだった。
「マルタ」
「何だ?」
「肩、怪我した?」
一瞬。
止まった。
「ああ」
「どうしたの?」
「ちょっとな」
「見せて」
「治療した」
「本当に?」
「町に入る前にな」
それだけ言って。
手を洗いに行った。
俺は。
追わなかった。
*
数日後。
別の噂が入った。
「今度は死体を着てたらしい」
店に来た商人が言った。
「いつもじゃないの?」
クラリッサが聞く。
「いや。そうじゃなくてさ」
商人は気味悪そうに声を落とした。
「死んだ魔物を加工した革とかじゃない。倒れた魔物を、そのまま身体の前にくっつけてたって話だ」
「そのまま?」
「大きな獣型の魔物らしい。盾みたいに」
俺はマルタを見なかった。
見たら。
多分。
変な顔をする。
「動きにくくないんですか?」
クラリッサは純粋に疑問らしい。
「知らん。死体漁りだからな。考えてることなんか分かるか」
「でも、それじゃ死体が邪魔でしょう」
「それがさ」
商人が。
一度。
黙った。
「死んでなかったらしい」
今度は。
俺も。
顔を上げた。
「何?」
「まだ生きてたって」
マルタの匙が。
止まった。
ほんの一瞬。
「どういうことですか?」
「傷ついた魔物だよ。もう動けないくらい弱ってたらしい。でも息はしてた。それを身体の前に抱えるみたいにしてたって」
「……」
「見た奴が『それ生きてるぞ』って言ったら」
商人は。
自分でも信じられないという顔をした。
「『だから何だ』って返されたらしい」
店が静かになった。
女将が厨房から出てくる。
「気持ち悪い話は食事時にするんじゃないよ」
「悪い悪い」
商人が笑って話題を変えた。
マルタも。
また。
匙を動かした。
*
夜。
二人になった時。
「マルタ」
「何だ?」
「生きてるものは使わないんじゃなかった?」
マルタは。
俺を見た。
「何の話だ?」
「……」
「死体漁りの噂か?」
「うん」
「私は町にいるぞ」
「そうだね」
「なら知らん」
嘘。
だと思った。
でも。
不思議だった。
マルタの顔には。
隠している人間の感じがなかった。
本当に。
自分とは関係のない話を聞いているみたいだった。
「ルーク」
「何?」
「明日の朝、起こしてくれ」
「何時?」
「いつもより早く」
「どこ行くの?」
「南」
「また?」
「ああ」
それで話は終わった。
*
次の噂は。
一週間後だった。
「死体漁り、ついに生き物を鎧にし始めたらしいぞ」
ギルド中で。
その話だった。
「前にもあっただろ」
「今度は偶然じゃない」
「何が違うんだ?」
「生きてる魔物を何体も連れてたんだと」
「連れてた?」
「鎧に使うために」
笑う奴はいなかった。
「殺して皮を取るんじゃなく?」
「ああ」
「生きたまま?」
「ああ」
俺は。
喉が乾いた。
「何でそんなことするんだよ」
「知らねえ。でも本人が言ったらしい」
「何て?」
男は。
低い声で。
言った。
「『死んだ肉より、生きた肉の方が動く』」
寒気がした。
それは。
鎧として。
良いという意味なのか。
悪いという意味なのか。
分からない。
「しかも」
「まだあるのか?」
「そいつ自身も、もう自分を人間と思ってないらしい」
「……」
「追捕の冒険者が『止まれ、人間だろ』って言ったら」
男は肩をすくめた。
「『これは肉鎧だ』って自分の胸を叩いたってさ」
*
マルタが帰ってきたのは。
その日の夜だった。
「ただいま」
「お帰り」
普通。
髪。
顔。
服。
何も。
変わらない。
「飯ある?」
女将が厨房から顔を出した。
「あるよ。風呂先!」
「ああ」
「外の格好で入ってないだろうね!」
「街の外で全部置いてきた」
「ならいい」
マルタが。
笑う。
それを見て。
余計に。
怖くなった。
「マルタ」
「何?」
「自分が誰か分かる?」
「は?」
「名前」
「マルタ」
「……」
「何だ急に」
「いや」
ちゃんと。
分かっている。
ここでは。
「ルーク」
「何?」
「頭大丈夫か?」
「そっちに言われたくない」
「何でだよ」
笑う。
俺も。
少しだけ笑った。
でも。
町の外で。
同じ質問をしたら。
同じ答えが返るのか。
分からなかった。
*
死体漁りの噂は。
その後。
さらに変わった。
以前は。
死体を探す化け物だった。
それが。
生きている肉まで。
使うようになった。
ただし。
やはり。
人間を殺して材料にはしない。
旅人を襲うこともない。
追捕者を殺すこともない。
そこだけは。
残っていた。
でも。
魔物。
獣。
まだ生きているもの。
傷ついているもの。
捕まえたもの。
そうした肉を。
鎧として扱うという話が。
少しずつ増えた。
「何なんだろうな」
客がパン屋で言った。
「死体漁りだったのに、もう死体ですらなくなってきた」
「名前変えるか?」
「何に?」
「肉鎧の化け物」
「そっちの方が怖いな」
笑い声。
マルタは。
その横で。
皿を片付けていた。
「マルタ」
女将が呼ぶ。
「はい」
「二階のシーツ取ってきて」
「分かった」
階段を上がる。
普通の。
女。
俺たちの仲間。
パン屋では。
今までどおりの。
マルタ。
*
夜。
日記帳を開いた。
白い頁。
しばらくして。
文字が出る。
『二重人格ではなく、環境によって自己認識そのものが切り替わるキャラクター構造を検討。』
「……」
『日常生活圏では既存人格を維持。』
『非日常生活圏では、自己を人格ではなく機能として認識させることで、二面性を強化可能。』
次。
『匿名存在の異常性を段階的に上昇させる場合、死体利用のみでは展開上の反復が発生する。』
嫌な。
予感。
『防具素材の条件を「死亡済み」に限定しない展開――新規性あり。』
「……」
『生体素材の利用によって、従来の倫理境界を一段階更新可能。』
俺は。
日記帳を閉じた。
「更新するなよ」
返事はない。
*
翌朝。
マルタは普通に朝飯を食べた。
「今日いる?」
「いる」
「仕事は?」
「薪割り」
「女将に捕まった?」
「ああ」
「ご愁傷様」
「お前も手伝え」
「嫌だよ」
「ルーク!」
女将の声。
「何!」
「お前もだよ!」
「何で!」
マルタが笑った。
俺も。
笑った。
昨日。
町の外で。
自分自身を肉鎧と呼ぶ化け物が目撃された。
まだ生きている肉を。
自分の鎧として使う化け物。
そして。
今。
その噂を聞いた町の人間たちの隣で。
マルタは。
普通に。
パンを食べていた。
その二人が。
本当に。
同じ人間なのか。
最近の俺には。
分からなくなり始めていた。




