第八十話 死体漁りの化け物
「また出たらしいぞ。死体漁りの化け物」
昼のパン屋で、客がそう言った。
「今度はどこ?」
俺が思わず聞くと、男はパンをちぎりながら答えた。
「西の古戦場だとさ。戦が終わって十年以上経ってる場所まで行って、埋まってた死体を漁ったらしい。全身革と毛皮、骨だらけ。追いかけた冒険者も捕まえられなかったって」
「へえ」
俺の隣で、マルタが普通にスープを飲んでいた。
薄いシャツにズボン。腰には剣。退院してから少し痩せたものの、見た目は以前とほとんど変わらない。
客が続ける。
「しかも人間を襲わないんだと。追捕に十人近く出たのに、何人か転ばされただけで逃げられたらしい」
「変なのがいるもんだな」
マルタがパンを食べる。
「なあ、ルーク」
「何?」
「その蜂蜜取ってくれ」
「……はい」
「ありがとう」
俺は蜂蜜を渡した。
客は、目の前のマルタを一度も疑わなかった。
*
マルタが神殿から戻ってしばらくした頃、最初に変わったのは鎧だった。
「金属はもう着ないの?」
「ああ。何か嫌なんだ」
パン屋の裏で、マルタは新しく買った革鎧を確かめていた。ごく普通の革鎧だ。冒険者なら珍しくもない。
「こっちの方が落ち着く」
「巨人のこと?」
「多分な」
それ以上は聞かなかった。
巨人の腹に括り付けられ、生きた鎧として使われた。その後なら、鎧に対する感覚がおかしくなっていても不思議じゃない。
ところが数日後、革鎧の肩に毛皮が増えた。
「それ何?」
「狼」
「買ったの?」
「いや。森で死んでた」
さらに数日すると、腰に牙がついた。
「それは?」
「猪」
その次は骨だった。
「これは?」
「鹿」
「全部死体から?」
「ああ」
マルタは悪びれもしない。
「まだ使えるからな」
魔物や獣の素材を冒険者が使うこと自体は珍しくない。俺も最初はそう思った。
でもある日、セリアと依頼から帰ってきたマルタが、夕食の最中に何気なく言った。
「今日、いい死体があった」
セリアの手が止まった。
「マルタ」
「何だ?」
「言い方」
「何が?」
俺は嫌な予感がした。
「何の死体?」
「盗賊。大柄な男だった。背中が広くて、あれなら一枚でかなり取れそうだった」
食卓が静かになった。
「……何を?」
「皮」
クラリッサが匙を置いた。ミレアも固まった。リサが眉を寄せる。
セリアが低い声で言った。
「だから人間は駄目だと言っただろ」
「触ってないだろ」
「触る触らないの問題じゃない」
「鹿はいい。狼も牛もいい。魔物もいい。死んだら皮も骨も使うだろ?」
マルタは本当に分からない顔をしていた。
「人間だけ何で違うんだ?」
「人間だからだよ」
俺が答えた。
「死んでても?」
「死んでても」
「そういうものか」
マルタはそこで引いた。
納得したようには見えなかったが、少なくともパン屋でその話を続けることはなかった。
*
その後、妙なことに気づいた。
マルタは町の中では、変わらなかった。
普通の服を着る。
必要なら普通の革鎧を着る。
拾ってきた骨や毛皮をパン屋へ持ち込まない。食卓にも置かない。死体の話もしなくなった。
女将に頼まれれば荷物を運ぶし、ミレアと店番を代わることもある。セリアと訓練へ行き、クラリッサの買い出しについていく。俺と二人になれば以前と同じ距離で話す。
変わったのは。
町を出る時だった。
「ちょっと行ってくる」
ある朝、マルタが小さな荷物だけ持ってパン屋を出た。
「依頼?」
「違う」
「どこへ?」
「北」
「北のどこ?」
「森」
「何しに?」
「拾い物」
それだけ言って出ていった。
三日後。
帰ってきた時は。
普通の格好だった。
「何拾ったの?」
「いろいろ」
「持ってないじゃん」
「外に置いてある」
「外?」
「ああ」
そこで初めて知った。
マルタは街の外に、小さな隠し場所を作っていた。
パン屋へ持ち込まないためだった。
「女将に怒られるから?」
「それもある」
「それも?」
「私のことで店に変な噂がついたら困るだろ」
意外だった。
「気にしてたんだ」
「当たり前だ。ここは私の店じゃない」
「でも住んでるじゃん」
「だから余計だ」
マルタは少し不機嫌そうに言った。
「私が何着ようが何拾おうが私の勝手だ。でも女将やお前らまで墓荒らし扱いされたら面倒だろ」
「墓荒らし?」
その時。
初めて。
その言葉が出た。
「マルタ」
「何だ?」
「墓も?」
「ああ」
「荒らしてるの?」
「使える骨があればな」
「……それ犯罪じゃない?」
「捕まったら困る」
「そういう話じゃない!」
「だから町じゃやらない」
「そこでもない!」
女将が厨房から怒鳴った。
「ルーク! 何騒いでるんだい!」
「何でもない!」
「何でもなくないだろ」
「マルタは黙って!」
「分かった」
本当に黙った。
女将へ迷惑をかけるつもりだけは、まったくないらしい。
そこが。
余計におかしかった。
*
しばらくして。
死体漁りの噂が出始めた。
「北の森に変なのが出るらしいぞ」
ギルドで聞いた。
「変なの?」
「全身革だってさ。毛皮も骨もつけてる。顔まで隠してるらしい」
「魔物?」
「二本足で歩くし、人間の言葉も喋るって」
俺は嫌な予感しかしなかった。
「人を襲う?」
「それが襲わないんだよ」
「……」
「逆に旅人を助けたこともあるらしい。でも助けた後、倒した魔物の死体を漁って皮や骨持っていくんだと」
「へえ……」
「気味悪いだろ?」
「まあ」
その日の夕方。
パン屋へ戻ると。
「お帰り」
マルタが普通の服でパンを並べていた。
「……ただいま」
「何だ?」
「何でもない」
聞かなかった。
*
噂は。
森だけでは終わらなかった。
「墓が荒らされたってよ」
朝のパン屋で常連客が言った。
「どこの?」
「王都の外れ。共同墓地」
俺はマルタを見た。
マルタは普通にパンを食べている。
「何が盗まれたんだい?」
女将が聞いた。
「金目の物じゃないんだ。骨らしい」
「骨?」
「ああ。古い墓を何基か開けて、遺骨を持ってったって」
「物好きもいるもんだね」
「例の死体漁りじゃないかって話だ」
マルタは何も言わなかった。
女将が厨房へ戻った後。
俺は小声で聞いた。
「マルタ」
「何だ?」
「昨日どこにいた?」
「北」
「墓地?」
「食事中だぞ」
「急に常識出すのやめて」
「店ではそういう話しないって決めた」
「誰と?」
「私が」
それ以上。
答えなかった。
*
墓荒らしは続いた。
ただし。
必ず街の外だった。
王都の中の墓地には手を出さない。
町中で死体を漁ることもない。
パン屋へ何かを持ち帰ることもない。
マルタなりに。
線を引いている。
でも。
外側では。
線なんてほとんど残っていなかった。
獣。
魔物。
盗賊。
戦死者。
古い墓。
新しい墓。
死んでいれば。
同じだった。
*
最初に捕まえようとしたのは、近隣の衛兵だった。
「墓荒らしを見つけたらしいぞ」
客が言う。
「捕まった?」
「いや。六人で囲んだのに逃げられた」
「六人で?」
「強いんだと。二人転ばされて、一人は武器を落とされた。でも怪我らしい怪我はなし」
マルタがその横でパンを食べながら聞いた。
「優しい墓荒らしだな」
「優しいわけあるか。墓荒らしてるんだぞ」
「そうか」
普通に会話へ混ざっている。
俺は頭を抱えたくなった。
次は冒険者が出た。
八人。
捕まらなかった。
さらに別の場所では十人以上。
それでも逃げられた。
「人を殺す気ならもっと厄介だったろうな」
ギルドの男が言った。
「追っても、向こうから斬ってこないらしい。攻撃を避けて、必要なら転ばせて、そのまま逃げる」
「かなり強いね」
「元冒険者じゃないかって話もある」
「へえ」
「お前、何か知らないか?」
「何で俺?」
「最近いつもここで聞いてるから」
「知らないよ!」
嘘ではない。
本人から。
何も聞いてない。
*
ある朝。
マルタが大きめの鞄を持っていた。
「今度は長い?」
「ああ」
「どこ?」
「西」
「どこまで?」
「国境を越える手前」
「遠いな。依頼?」
「違う」
「また拾い物?」
「ああ」
「そんな遠くに何があるの?」
「戦場」
俺は止まった。
「今、戦争してるところ?」
「もう終わってる」
「いつ?」
「去年」
「……何しに行くの?」
マルタは俺を見る。
「死んだ奴がいるだろ」
「いるだろうけど」
「だから」
「だからじゃない」
「大丈夫だ。パン屋の名前は出さない」
「心配してるところそこじゃない!」
マルタは少し笑った。
「二週間くらいで戻る」
「墓も?」
「ルーク」
「何?」
「女将には遠出って言っといて」
「俺を共犯にするな!」
「行ってくる」
「マルタ!」
出ていった。
本当に。
二週間後。
普通の服で帰ってきた。
「ただいま」
女将が怒鳴った。
「遅い!」
「悪い」
「飯は?」
「まだ」
「座りな!」
「ああ」
それだけ。
どこで何をしていたのか。
女将は聞かなかった。
マルタも言わなかった。
しばらくして。
西の古戦場に。
死体漁りが現れたという噂が届いた。
*
「今度の奴、すごかったらしいぞ」
また。
パン屋の客。
「何が?」
「古戦場だよ。埋まってた遺骨まで掘り返してたって」
マルタが俺の隣でスープを飲む。
「戦死者の?」
「ああ。しかも現地の兵士に見つかった」
「捕まった?」
俺が聞く。
「それが駄目。追捕の兵士に冒険者まで加わったのに、全部振り切った」
「強いな」
マルタが言った。
客が頷く。
「化け物みたいに強いらしいぞ。全身革と毛皮で、骨まで鎧にしてるんだと」
「へえ」
「怖くないのか?」
「人は殺さないんだろ?」
「今のところな」
「なら、近づかなきゃいい」
平然としている。
客は知らない。
この女が二週間。
どこへ行っていたのか。
俺は。
知りたくない。
でも。
分かる。
*
死体漁りの噂は。
少しずつ怪談みたいになった。
戦場が終わると現れる。
森で魔物が大量に死ぬと現れる。
古い墓地にも現れる。
全身を革と毛皮で覆い、骨、牙、角まで身につけている。
顔は見えない。
性別も分からない。
死体を漁る。
墓を掘る。
追えば逃げる。
追いつけば強い。
何人で囲んでも捕まらない。
なのに。
人は殺さない。
旅人が魔物に襲われていれば。
助けることすらある。
「意味分かんねえな」
客が言った。
「人を助ける墓荒らしって何だよ」
「さあ」
マルタがパンをちぎる。
「本人なりに理由があるんじゃないか?」
「どんな理由だよ」
「知らん」
「お前、妙に擁護するな」
「別に」
そして。
女将が厨房から叫ぶ。
「マルタ!」
「何だ?」
「食べ終わったなら薪運んどくれ!」
「分かった!」
立ち上がる。
いつもの。
マルタだった。
*
町では。
マルタ。
パン屋の住人。
護衛経験の長い女冒険者。
女将にこき使われ。
俺たちと飯を食い。
普通の服で町を歩く。
外へ出れば。
別の姿になる。
町から十分離れた場所に隠してある革と毛皮と骨の鎧を身につける。
顔を覆う。
名前を捨てる。
そして。
死体を探す。
遠い戦場へまで。
行く。
それでも。
パン屋へは。
何一つ。
持ち込まない。
自分のせいで。
ここが疑われないように。
そこだけは。
徹底していた。
*
夜。
日記帳を開いた。
しばらく文字はなかった。
やがて。
『同一キャラクターに二種類の社会的認識を持たせる構成を検討。』
「……」
『日常生活圏では既存人物関係を維持。』
『生活圏外では匿名存在として独立したストーリーを形成。』
俺は嫌な顔をした。
『同一人物であることを知らない第三者同士が、それぞれ異なる人物像を語る状況――有効。』
『日常キャラクターと怪異的匿名存在を同時に継続利用可能。』
「利用って言うなよ」
もちろん。
日記は返事をしない。
次。
『正体を伏せた状態で、本人を匿名存在に関する会話へ参加させる構成――コメディおよび不穏さの両立が可能。』
「もうやってるよ……」
俺は閉じようとした。
その前に。
もう一行。
『匿名存在の活動範囲を拡大することで、遠隔地ストーリーへの接続も可能。』
「……」
古戦場。
別の町。
別の国。
マルタ自身が。
死体を追って。
どこへでも行ける。
それを。
面白い展開として。
AIが見ている。
俺は日記帳を閉じた。
*
翌朝。
「ルーク」
「何?」
「今夜、私の分の飯いらない」
マルタが旅支度をしていた。
「また?」
「ああ」
「どこ?」
「南」
「何日?」
「十日くらい」
「南に何があるの?」
「昔、大きな戦があったらしい」
「……」
「じゃあ行ってくる」
「気をつけて」
「ああ」
玄関で靴を履き。
一度。
厨房へ顔を出す。
「女将、行ってくる」
「帰ったら風呂入ってから店に入りな!」
「分かってる!」
「変なもの持ち込むんじゃないよ!」
「持ち込まない!」
マルタは笑って。
出ていった。
今までと。
ほとんど変わらない。
その日の夕方。
店の客が言った。
「最近、死体漁りの化け物が南へ向かったって噂があるらしいぞ」
「へえ」
俺は。
パンを棚へ並べた。
「遠くまで行くんだね」
「何でそんな平静なんだ?」
「……慣れた」
三日後。
南の古戦場で。
全身を革と毛皮に覆い。
骨を纏った何かが。
戦死者の墓を漁っているところを目撃されたという。
その化け物は。
追捕の兵士を一人も殺さず。
誰にも捕まらず。
夜の森へ消えた。
パン屋では。
十日後に帰ってくるマルタの椅子を。
誰も。
片付けなかった。




