第六十五話 片手だけを残す殺人鬼
「また片手だけだって」
「……また?」
朝。
パンを棚に並べていた俺は、セリアの言葉に手を止めた。
「またって、どういう意味?」
「死体が見つかった」
「二人目?」
「ああ」
元婚約者の死体が見つかってから、十日。
今度は王都南区にある倉庫の裏だった。
「同じ殺され方?」
「衛兵はそう見てるらしい」
セリアは嫌そうな顔をした。
「今回も片手だけ残されてた。そこから先は聞きたいか?」
「……這ってた?」
「ああ」
「途中で死んでた?」
「ああ」
「もういい」
「私も話したくない」
嫌な話だった。
俺はパンへ目を戻す。
「ルーク」
「何?」
「それ、さっきから同じ場所に置いてる」
「あ」
三番棚に同じパンを置いて取ってを繰り返していた。
「ごめん」
「何謝ってるの?」
横から。
明るい声。
「ミレア」
「はい」
義手で籠を持っている。
もう。
パンは潰れない。
「ぼーっとしてたら女将に怒られるよ」
「誰が怒るって?」
厨房から声。
「何でもありません!」
「だったら手を動かしな!」
「はい!」
俺とミレアが同時に返事をした。
一瞬。
顔を見合わせる。
「ふふっ」
ミレアが笑った。
「被った」
「笑ってる場合じゃないって」
「ルークも笑ってる」
「……本当だ」
セリアが呆れた。
「朝から元気だな、お前ら」
「元気なのはいいことだよ」
ミレアはそう言って、俺の横を通った。
義足。
最初の頃は硬い音が目立った。
今は。
聞こうとしなければ気にならない。
歩くのも速くなった。
「いらっしゃいませ!」
客が入る。
ミレアが振り返る。
「今日は胡桃入りが焼きたてですよ!」
笑顔。
明るい。
本当に。
かわいい。
その笑顔を見ながら。
俺は。
ついさっき聞いた。
片手だけ残された死体のことを。
少しだけ。
忘れた。
*
「二人目は金貸しだ」
昼。
ギルドで受付の男から聞いた。
「金貸し?」
「ああ。知ってるか?」
「知らない」
「なら関わらない方がいい奴だったな」
「どういう意味?」
受付が周囲を見てから声を落とした。
「表向きは普通の金貸しだ。ただ、返済が滞った奴への取り立てが酷い」
「違法?」
「違法と証明できれば、とっくに衛兵が捕まえてる」
「……証明できないんだ」
「そういう奴だ」
家を取り上げる。
店を奪う。
借りた本人が死ねば、家族へ行く。
脅したという話もある。
殴られたという話もある。
でも。
本人は全部否定。
証人が急に証言を変える。
書類だけ見れば合法。
「恨まれてそう」
「山ほどな」
「じゃあ犯人候補も多い?」
「多すぎる」
受付は肩をすくめた。
「ただ」
「何?」
「最初の男も、恨まれる理由があっただろ」
「……」
ミレアの元婚約者。
婚約者だった女性を殺そうとした。
確かに。
「今回も悪党」
「そう見える」
「じゃあ」
言葉にするのが嫌だった。
「悪い奴を選んで殺してる?」
「衛兵も考えてるらしい」
「……」
「正義の味方なんて呼ぶ奴まで出てきた」
「違うだろ」
思わず。
強く言った。
「人殺しだよ」
「俺もそう思う」
受付が頷く。
「悪人なら好きに殺していい、なんてことになったら衛兵も裁判もいらん」
「うん」
そう。
当然だ。
誰か一人が。
こいつは悪だ。
そう決めて。
殺していいわけがない。
なのに。
王都の一部では。
「片手殺し」
そんな名前まで。
もうついているらしい。
*
パン屋へ戻ると。
「いらっしゃいませ!」
また。
ミレアの声がした。
「これ三つください」
「はい!」
女性客。
隣に小さな女の子。
「お姉ちゃん!」
「なに?」
「手、動くようになった?」
「見て」
ミレアが義手を開く。
握る。
一本ずつ指まで動かす。
「すごい!」
「でしょ?」
「痛くない?」
「今は大丈夫」
女の子が義手へ手を伸ばしかけて。
止まった。
「触っていい?」
「優しくなら」
「うん!」
小さな手が。
魔導義手の指へ触れる。
「冷たい!」
「ちょっとだけね」
「でも動く!」
「動くよ」
「握手!」
「はい」
二人が握手する。
女の子が笑う。
ミレアも笑う。
「ありがとうございます」
母親が言った。
「この子、最初は怖がってたんです」
「何を?」
「その……」
義手を見る。
ミレアも理解した。
「ああ」
「すみません」
「大丈夫です」
本当に。
何でもないように笑った。
「私も最初は怖かったですから」
「自分の手なのに?」
女の子が聞く。
「そう」
「今は?」
「好き」
即答。
「これがあるから、またパン屋で働けるもん」
左の義手を見る。
次に。
自分の右手を見る。
「こっちは昔からの手」
左。
「こっちは新しい手」
「どっちが好き?」
「両方」
「なんで?」
ミレアが。
少し考える。
「どっちも私のだから」
笑った。
俺は。
何も言わなかった。
いい笑顔だった。
本当に。
そう思った。
*
午後。
「離してください!」
買い出しに出た私は、その声で足を止めた。
路地。
若い女が男に腕を掴まれている。
「返すもの返してから言え!」
「私が借りたんじゃありません!」
「親父の借金は家族の借金だ!」
「父は死にました!」
「だから娘が払え!」
男が女を引っ張る。
「嫌!」
「来い!」
壁へぶつかった。
「……」
私は。
見た。
周りにも人はいる。
でも。
皆。
見ないふりをしている。
「ねえ」
私は声を掛けた。
「あ?」
「嫌がってるよ」
「何だてめえ」
「手、離して」
「関係ねえだろ」
「あるよ」
「何が」
私は。
笑った。
「見ちゃったから」
「は?」
「私が見ちゃった」
男が鼻で笑う。
「義手の女が何するって?」
「別に何もしないよ」
「なら消えろ」
「その人から手を離して」
「うるせえ!」
男がこちらへ手を伸ばした。
私は。
義手で。
掴んだ。
「……っ!」
「ミレア!」
若い女が私の名前を知っていたわけじゃない。
ただ。
驚いた声。
ぎり。
魔導義手。
「いっ……痛え!」
「あ」
私はすぐ離した。
「ごめん」
「てめえ!」
「まだ力加減、失敗するんだ」
「ふざけんな!」
男が殴ろうとする。
避ける。
身体が。
動いた。
義足。
一歩。
右へ。
「……」
自分でも。
ちょっと驚いた。
昔の。
冒険者だった身体。
まだ。
覚えてる。
「この!」
もう一度。
避けた。
「お前」
笑う。
「弱いね」
「てめぇ!」
「でも」
私は若い女を見る。
「この人は殴れるんだ」
男の顔から。
少しだけ。
表情が消えた。
「何言ってやがる」
「別に」
人が。
集まり始めた。
男も気づいた。
「覚えてろよ」
吐き捨てて。
逃げる。
私は背中を見る。
ずっと。
「……」
「ありがとうございます」
女に言われて。
振り返った。
「あ」
「助かりました」
「怪我は?」
「大丈夫です」
「良かった」
笑った。
「衛兵には相談した?」
「何度も……でも」
「そっか」
「証拠がないって」
「そっか」
私はもう一度。
男が消えた路地を見る。
「名前は?」
「え?」
「あの人」
女が。
答えた。
私は。
一回だけ。
その名前を口の中で繰り返した。
「分かった」
「何が?」
「何でもない」
私は笑った。
「もう帰った方がいいよ」
「はい」
女が去る。
私は。
しばらく。
その場に立っていた。
さっき。
男が女へ伸ばした手。
怒鳴る声。
逃げる時の顔。
全部。
覚えていた。
*
「おかえり!」
「ただいま」
パン屋へ戻る。
ルークが袋を受け取った。
「遅かったね」
「ちょっとね」
「何かあった?」
「うん」
「何?」
私は。
袋から粉を出す。
「嫌な人を見た」
「嫌な人?」
「うん」
「大丈夫?」
「私?」
「うん」
「大丈夫」
笑う。
「それより」
「何?」
「今日の晩ご飯何?」
「そこ?」
「お腹空いた」
「平和だなあ」
「平和が一番でしょ?」
「まあね」
私は。
本当に。
そう思っていた。
*
三日後。
「まただ」
セリアが言った。
「……三人目?」
「ああ」
今度は。
俺も。
何を聞くべきか分かっていた。
「片手だけ?」
「そうだ」
「這った跡?」
「ある」
「途中で死亡?」
「ああ」
「……同じ犯人だよね」
「衛兵はそう断定した」
リサが腕を組む。
「被害者は?」
「取り立て屋」
「また金貸し関係?」
「前の男とは別だ。ただ、似たような商売をしてた」
「評判は?」
セリアが嫌そうに答えた。
「最悪」
「……」
三人。
全員。
恨まれる理由がある。
「無差別じゃない」
俺が言った。
「だろうな」
「犯人が選んでる」
「ああ」
「自分で悪人を」
「たぶん」
嫌だった。
でも。
もっと嫌なのは。
王都で。
それを歓迎する人間まで。
出始めていることだった。
*
「片手殺し様、次はあそこの商人やってくれねえかな」
「やめろよ」
「何だよ」
ギルド。
若い冒険者が笑っていた。
「あいつ酷い奴だぜ?」
「だからって殺していいの?」
「俺は困らねえ」
「そういう問題じゃない」
「真面目だなあ」
真面目。
なのか?
「衛兵が捕まえられない奴を殺してくれるならいいだろ」
「じゃあ」
俺は聞いた。
「誰が悪人か決めるの?」
「そりゃ犯人が」
「その犯人が間違えたら?」
「……」
「ただ嫌いな奴を悪人だって決めたら?」
「それは」
「今はたまたま悪い奴だけかもしれない。でも、誰にも止められないんだよ」
冒険者が黙った。
俺自身。
言いながら。
嫌な感じがした。
誰にも止められない。
証拠がない。
正体も分からない。
犯人が。
明日。
誰を悪人だと決めるかも。
分からない。
*
夜。
日記を開いた。
『ヒロイン・ミレア。』
「……」
『パン屋勤務――安定。』
『魔導義肢への適応――良好。』
『歩行速度――改善。』
『左上肢による細作業――改善。』
『接客――良好。』
『子供客からの好感度――高。』
「そんな項目まであるの?」
文字は続く。
『笑顔――かわいい。』
「そこ固定なんだ」
次。
『ヒロインとしての日常描写を継続します。』
終わり。
「……」
頁をめくる。
何もない。
次。
何もない。
連続殺人。
三人目。
片手。
這った死体。
何も。
書いていない。
「本当に書かなくなったな」
進捗情報をやめる。
前に日記が宣言した。
それを。
守っている。
俺にとっては。
最悪だった。
前なら。
何かが起きれば。
嫌でも情報が来た。
今は。
来ない。
「まあ……」
日記を閉じる。
「俺たちに関係ない事件なら」
そこで。
口を閉じた。
言わない。
安心したら駄目。
「……何も言ってないからな」
誰に言ってるんだ。
自分で。
自分に突っ込んだ。
*
「おはよう!」
翌朝。
店へ下りると。
ミレアがもう働いていた。
「早いね」
「今日は寝坊しなかった」
「いつもしてるみたいな言い方」
「一回しかしてません!」
女将が厨房から顔を出す。
「一回でも寝坊は寝坊だよ!」
「ほら!」
「何がほらだよ」
ミレアが笑う。
そのまま。
店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ!」
昨日までと。
同じ声。
「これください」
「はい!」
笑顔。
義手でパンを取る。
「お姉ちゃん!」
昨日の女の子が走ってきた。
「あ」
「また来た!」
「いらっしゃい」
「今日も握手!」
「いいよ」
左の義手を出す。
女の子が握る。
「今日はあったかい!」
「店が暖かいからかな」
「こっちも!」
「右も?」
「うん!」
「欲張りだなあ」
今度は。
右手。
元から残った。
たった一本の。
本当の手。
女の子が握る。
「こっちは柔らかい!」
「人間だからね」
「左もミレアお姉ちゃんでしょ?」
「……」
一瞬。
ミレアが黙った。
それから。
ものすごく。
嬉しそうに笑った。
「うん」
「じゃあ両方ミレアお姉ちゃん!」
「そうだね」
女の子が帰る。
ミレアは。
まだ笑っていた。
「嬉しそうだね」
俺が言う。
「うん」
「そんなに?」
「うん」
左手を見る。
「両方私だって」
「そうだよ」
「そう?」
「当たり前じゃん」
「……そっか」
また。
笑った。
「ありがと」
「何が?」
「何でもない」
今度は。
ミレアが。
俺の真似をした。
「それ俺の台詞」
「ふふっ」
かわいい。
本当に。
かわいい。
*
その日の夕方。
ミレアは。
買い物帰りに。
一人の男を見つけた。
前に。
若い女を壁へ叩きつけていた。
取り立て屋。
同じ男。
今度は。
年老いた男を蹴っていた。
「金がないなら家を出ろ!」
「あと三日……」
「昨日もそう言った!」
「孫が病気で……」
「知るか!」
蹴る。
「……」
ミレアは。
道の反対側から。
見ていた。
男は。
まだ気づかない。
もう一度。
蹴る。
「お願いします……」
「うるせえ!」
ミレアは。
笑わなかった。
怒りもしなかった。
ただ。
見た。
確認するように。
一度。
二度。
三度。
「……そっか」
小さく。
呟いた。
それだけ。
その夜。
パン屋では。
「ミレア!」
「はい!」
「明日の粉、確認したかい!」
「しました!」
「本当に?」
「しましたって!」
「ならいい!」
女将とのいつもの声が響いた。
「おやすみ、ルーク」
「おやすみ」
「ちゃんと寝てね」
「ミレアもね」
「うん」
ミレアは。
笑って。
店を出た。
*
翌々日。
四人目の死体が見つかった。
片手だけ。
残されていた。
その手で。
逃げようとした跡が。
長く。
長く。
残っていた。
そして。
途中で。
終わっていた。
「また……」
俺は。
何も言えなかった。
衛兵は。
正式に。
連続猟奇殺人事件として扱い始めた。
犯人は。
分からない。
目撃者もいない。
犯人へ直接つながる決め手もない。
ただ。
殺された四人には。
共通点があった。
人を傷つけていた。
それだけ。
*
「いらっしゃいませ!」
その日の朝も。
ミレアは笑っていた。
「これ二つ?」
「三つ」
「あ、ごめんなさい!」
「今日は珍しいね」
「失敗しました」
「いつも完璧なのに」
「まだまだです」
客と笑う。
子供へ手を振る。
女将に怒られる。
俺へパンを渡す。
「はい」
「ありがとう」
「ちゃんと味わって食べてね」
「何で?」
「私が並べたから」
「関係ある?」
「ある!」
むっとする。
でも。
すぐ。
笑う。
その顔を見ながら。
王都のどこかにいる。
片手だけを残す殺人鬼と。
目の前の。
笑顔のかわいいヒロインが。
同じ人物だなんて。
俺は。
まだ。
考えもしなかった。
日記にも。
何一つ。
書かれていなかった。
だから。
俺の中では。
二つは。
完全に。
別の物語だった。
この作品の品質向上のため、ぜひ感想をお寄せください。今後の展開・キャラクター・構成・描写方針の参考として利用します。
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