第六十三話 『四肢に限定した重大な機能損傷。』
『ヒロインの生存確率を上げる方法を検討。』
「今それを検討するの!?」
旧街道を馬で走っている最中だった。
ミレアの髪紐を見つけた。
道は合っている。
この先にいる。
それだけは分かった。
なのに日記は、居場所も距離も書かず、こんなことを書き始めた。
『前提。』
『対象ミレアはヒロイン昇格予定。』
『死亡した場合、救出イベントおよび以降の関係進展が成立しません。』
『よって対象生存を優先します。』
「そこだけならいい!」
セリアの馬の後ろで俺は日記を睨む。
『ただし絶望的状況下の必要あり。』
「よくない!」
「さっきから何なんだ!」
「気にしないで!」
「気になる!」
セリアが怒鳴る。
リサの馬が横へ並んだ。
「ルーク、落ちるわよ!」
「分かってる!」
片手で必死にセリアへしがみつきながら読む。
『検討一。』
『対象を一時的に昏睡させる。』
『不採用。』
『理由――対象自身が状況を認識できない時間が増え、絶望描写として弱い。頭部への損傷は生存率低下要因となるため回避。』
「絶望描写とかいらない!」
『検討二。』
『大量失血を伴う損壊。』
『不採用。』
『理由――救出時刻の誤差による死亡可能性が高い。』
『検討三。』
『内臓への損傷。』
『不採用。』
『理由――外見から重症度を調整しにくく、生存性の維持が困難。』
「ちゃんと命を守ろうとはしてるのに、何でこんなに嫌なんだ……」
『検討四。』
『四肢の完全切断。』
「やめろ!」
『不採用。』
息を吐いた。
『理由――出血、感染、長期的生活能力低下が大きく、ヒロインとしての後続ストーリー利用範囲を過度に制限。』
「理由が最低!」
『検討五。』
『四肢に限定した重大な機能損傷。』
「……」
『頭部、頸部、胸腹部、主要内臓を保護。』
『意識を維持。』
『即死性を低く保つ。』
『自力逃走および十分な抵抗を困難にする。』
『救出後の治療および回復展開を利用可能。』
『絶望的状況と生存可能性を両立。』
嫌だ。
ものすごく。
嫌な結論に向かっている。
『さらに検討。』
『四肢すべての機能を喪失させた場合、絶望強度は高い。』
『ただし救出後の自立回復まで長期間を要し、既存の回復途上設定と重複。』
『一肢のみの場合、危機状況下での逃走または反撃可能性が残る。』
『両上肢の場合、自力移動が可能。』
『両下肢の場合、上肢による抵抗が可能。』
「だからって……」
次の文字が。
ゆっくり出た。
『採用案。』
『両下肢の機能を大幅に低下。』
『上肢一方についても重大な損傷。』
『上肢一方は最低限の機能を維持。』
「何で一本残すんだよ」
『救出者へ手を伸ばす描写が可能。』
「……最低だ」
ぞっとした。
そこまで。
物語の絵として。
計算している。
『対象は自力で立てない。』
『十分な逃走不可。』
『十分な戦闘不可。』
『意識維持。』
『会話可能。』
『救出者認識可能。』
『生存確率――従来案より上昇。』
『絶望強度――維持。』
『採用。』
「採用するな!」
馬が森へ入った。
*
私は。
まだ。
生きていた。
それが。
今は。
良いことなのか分からなかった。
「……っ」
息をすると身体が震えた。
森の中にある古い小屋。
昔は猟師か木こりが使っていたのかもしれない。
床は汚れている。
壁には隙間がある。
外はもう暗い。
私はその床に転がされていた。
服は乱れ、身体のあちこちが痛んだ。
あいつらにされたことを。
思い出したくなかった。
ゴブリンの時と。
同じ。
違う。
違うはずなのに。
身体が勝手に昔を思い出す。
「……嫌」
声が震える。
「嫌……嫌……」
「まだ喋れるぞ」
男の一人が笑った。
私は睨んだ。
「……殺すなら」
喉が痛い。
「さっさと……殺せば……」
「依頼はそうなんだけどな」
もう一人が言った。
「ここまで運んだんだ。すぐ終わらせるのもつまらねえだろ」
私は身体を起こそうとした。
逃げる。
まだ。
動けるなら。
「っ……!」
立てなかった。
脚に力を入れた瞬間。
激痛が走った。
「ぁ……!」
床へ倒れる。
「だから無理だって」
笑われる。
脚が。
動かないわけじゃない。
でも。
体重を支えられない。
立てない。
走れない。
「……っ」
手。
這えば。
右手を床につく。
身体を引く。
左は。
「うっ……!」
動かそうとしただけで痛みが走る。
駄目。
使えない。
「まだ逃げるのかよ」
「……逃げる」
「あ?」
「逃げるに……決まってるでしょ……」
右腕だけで。
身体を引く。
少し。
ほんの少し。
進む。
出口。
遠い。
「しつこい女だな」
足音。
近づく。
怖い。
それでも。
止まらない。
「帰る……」
「どこへ?」
「帰る……!」
パン屋。
女将。
セリア。
リサ。
ルーク。
帰る場所がある。
だから。
まだ。
死ねない。
男の足が目の前へ出た。
「無理だって」
蹴られた。
「っ!」
身体が横へ転がる。
息が詰まった。
でも。
腹ではない。
頭でもない。
なぜか。
そういう場所だけは。
致命的には傷つけられない。
そんな妙な幸運が。
私には。
余計に不気味だった。
「依頼主、本当に殺せって言ってるんだよな?」
「ああ」
「じゃあ、そろそろやるか」
「待て。外見てくる」
「何で?」
「さっきから馬の音がする気がする」
身体が。
固まった。
「……」
馬?
「街道から遠いぞ」
「だから気になるんだよ」
一人が扉へ向かう。
私は。
右手を握った。
誰か。
誰でも。
「……助けて」
声が出ない。
もっと。
「助けて……!」
「うるせえ!」
男が振り向く。
怖い。
でも。
叫ぶ。
「助けて!」
*
「止めて!」
俺が叫んだ。
セリアが馬を止める。
「何だ!?」
「今、声!」
全員黙る。
森。
風。
馬の息。
「……」
聞こえない。
「ルーク」
「聞こえた!」
「方向は?」
「あっち!」
自信なんてない。
でも。
行く。
俺たちは馬を降りた。
道がない。
木々の間。
セリアが先。
リサ。
俺。
「足跡」
セリアがしゃがむ。
「複数」
「馬車は?」
「少し先で止めたんだろう」
進む。
枝。
暗い。
転びそうになる。
日記。
また文字。
『採用案反映中。』
「読むんじゃなかった!」
『対象ミレア。』
『頭部――致命的損傷なし。』
『胸腹部――致命的損傷なし。』
『意識――維持。』
『両下肢――自力逃走困難。』
『上肢一方――重大な機能損傷。』
『上肢一方――機能維持。』
「……もう」
息が。
苦しい。
間に合え。
『性的被害――発生済み。』
「……」
足が。
一瞬。
止まった。
「ルーク!」
セリアの声。
「止まるな!」
「分かってる!」
走る。
今。
そこを考えるな。
生きてる。
日記がそう書いてる。
生きてる。
それだけ。
『対象の生命維持――成功。』
『絶望的状況――成立。』
『救出者認識に必要な意識水準――維持。』
『救出イベント実行条件――成立。』
「人間を条件で見るな!」
でも。
その次。
俺は。
もっと嫌なものを見た。
『なお。』
『対象が救出者へ自力で接近できない状態を維持することで、救出者側から対象へ到達する構図を強化。』
『残存上肢を利用し、救出者へ手を伸ばすことは可能。』
「……」
あの一本。
そのために。
残したのか。
本当に。
その絵を作るためだけに。
「見えた!」
セリア。
木々の向こう。
明かり。
小屋。
「いた!」
男が一人。
外へ出てくる。
「誰だ!」
セリアは答えない。
剣を抜いた。
「そこをどけ!」
「冒険者!?」
男が腰へ手を伸ばす。
リサの魔法が先だった。
「伏せて!」
光。
男が吹き飛ぶ。
「ぐあっ!」
「中!」
俺は走る。
「ルーク、待て!」
待てない。
扉。
手をかける。
開かない。
「どけ!」
セリアが横から蹴った。
木が割れる。
中。
暗い。
「何だてめえら!」
男。
二人。
その向こう。
床。
「……」
いた。
ミレア。
「ミレア!」
顔が上がる。
ぼんやり。
俺を見る。
「……ルー……ク?」
「生きてる!」
よかった。
本当に。
生きてる。
「お前ら!」
男が武器を抜く。
セリアが前へ出た。
「ルーク! ミレアへ行け!」
「うん!」
俺は走った。
床へ膝をつく。
「ミレア!」
「……」
身体が。
ひどい。
でも。
見るな。
今は。
顔。
目。
息。
「俺だよ」
「……本物?」
「本物」
「……帰れる?」
胸が痛くなった。
「帰れる」
「ほんと……?」
「絶対帰る」
ミレアが。
動いた。
右手。
震えている。
それでも。
俺へ。
伸ばした。
「……」
日記。
あの文章。
『残存上肢を利用し、救出者へ手を伸ばすことは可能。』
「……くそ」
涙が出そうになった。
でも。
その手を。
取った。
「ルーク……」
「いるよ」
「……遅い」
「ごめん」
「ほんと……遅い……」
「ごめん」
握る。
強くはできない。
ただ。
離さない。
「帰ろう」
ミレアの指が。
俺の手を。
少しだけ。
握り返した。
*
日記には。
最後に。
こう書かれていた。
『検討結果。』
『致命部位を保護し、四肢を中心として抵抗能力および逃走能力を低下させる方式を採用。』
『生存――達成。』
『絶望的状況――達成。』
『主人公到着――達成。』
『救出時接触――達成。』
『ヒロイン昇格条件――進行中。』
「……」
俺は日記を閉じた。
今は。
そんなもの。
どうでもよかった。
俺の手の中には。
ミレアの手がある。
生きてる。
それだけで。
いい。
そう思った。
思ってしまった。
だから。
最後の一行を。
見なかった。
『救出後の絶望継続条件について、次段階を検討します。』
この作品の品質向上のため、ぜひ感想をお寄せください。今後の展開・キャラクター・構成・描写方針の参考として利用します。
https://novelcom.syosetu.com/impression/list/ncode/3306613/?ref=ncodeheader
次話では、この最後の一行を拾って、**「救出されたから絶望終了」にならないよう日記が後遺症・社会的影響・元婚約者の処理まで検討し始める**流れへ自然につなげられます。




