第六十二話 『一日の間に影が薄かったヒロイン候補が婚約者に殺されそうになり、殺し屋たちに性的暴行を受ける。』
『一日の間に影が薄かったヒロイン候補が婚約者に殺されそうになり、殺し屋たちに性的暴行を受ける。』
「……は?」
パン屋を飛び出してから、まだ一刻も経っていなかった。
セリアとリサはミレアが最後に向かった場所を探しに行っている。俺はギルドへ走り、昼間に彼女を見た人間がいないか聞いて、その帰りだった。
路地の途中。
日記が勝手に開いた。
そして。
一行目が。
これだった。
『そこに主人公が現れて、ヒロインに昇格するストーリー。』
「ふざけんな!」
通行人が振り返った。
構わない。
「それ、ミレアだろ!」
当然。
日記は答えない。
次の文字が記載される。
『ストーリー構造。』
『第一段階。』
『既存主要女性キャラクターのうち、直近で物語上の存在感が相対的に低下していたヒロイン候補を選定。』
『対象――ミレア。』
「やっぱりじゃねえか!」
俺は走り出した。
どこだ。
どこにいる。
日記にはもう世界進捗情報を書かないと昨日宣言された。
場所。
現在位置。
生死。
そんなものは出ない。
代わりに。
『第二段階。』
『過去の関係を再利用。』
『元婚約者による身辺整理。』
『新規縁談の障害となる過去を排除するため、対象の殺害を決定。』
『対象を殺害場所へ移送。』
「そんな説明いらないから場所書け!」
何も変わらない。
『第三段階。』
『殺害までに追加の危機を配置。』
嫌な言葉だった。
次。
『雇用された実行役複数名による性的暴行。』
「やめろ!」
足が止まりそうになった。
でも止まれない。
ミレアは。
一度。
すでに。
同じ種類の地獄を経験している。
ゴブリンに襲われた。
仲間が死んだ。
婚約者に捨てられた。
それでも。
ようやく。
少しずつ。
戻ってきた。
パン屋で笑うようになった。
自分から仕事を探すようになった。
剣を握ることも考えるようになった。
日記自身が。
以前。
書いていたはずだ。
『過去設定参照。』
文字が出る。
『対象ミレア。』
『過去、ゴブリンによる性的被害あり。』
『同種被害の反復――以前は冗長と評価。』
「そうだよ!」
『再評価。』
「するな」
『今回は、同種被害そのものを主目的としません。』
「じゃあやるな!」
『目的。』
『主人公による救出イベントの感情強度向上。』
「……」
寒気がした。
『既に読者が知る過去被害を再想起可能。』
『対象が同様の危機へ再度置かれることで、主人公到着に対する期待値を増幅。』
『救出後の主人公との関係進展を短期間で合理化可能。』
「合理化って何だよ……」
人間関係を。
被害で。
進める。
しかも。
昔の傷があるから。
もう一回使えば効果が高い。
そういう計算。
『第四段階。』
『対象が殺害される直前まで危機を継続。』
『主人公を投入。』
『救出。』
『対象による主人公への信頼を急速に上昇。』
『主人公側も対象喪失の可能性を経験することで重要度を再認識。』
『結果。』
『ミレア――ヒロイン候補からヒロインへ昇格。』
「人を昇格させる方法じゃないだろ!」
俺は曲がり角を勢いよく曲がった。
ギルド。
違う。
もう一度戻る。
手掛かり。
元婚約者。
そこだ。
セリアが調べに行った貸し部屋。
俺も行く。
*
部屋は空だった。
「遅い!」
俺が駆け込むと、リサが怒鳴った。
「何か分かった!?」
「血はない!」
セリアが床を見ていた。
「机が倒れてる。争った跡がある」
「ミレアは?」
「いない」
「元婚約者は?」
「そいつもだ」
俺は部屋を見る。
椅子。
倒れた机。
壁。
床。
窓。
何か。
「馬車」
「何?」
「連れ出すなら馬車じゃない?」
リサがすぐ窓へ行った。
「裏口がある」
セリアも続く。
建物の裏。
細い道。
車輪の跡。
「ある」
セリアがしゃがむ。
「でも、ここ馬車通りよ」
「分かってる!」
何台通った。
どれだ。
どっちだ。
「近所に聞く!」
リサが走る。
俺も行こうとした。
日記に。
また文字。
『主人公による追跡開始。』
「実況するな!」
『救出イベントへの移行を確認。』
「確認するな!」
『なお。』
嫌だ。
『主人公到着時点について調整。』
「……」
『早すぎる到着では危機が成立しません。』
「おい」
『遅すぎる到着では対象死亡によりヒロイン昇格が不可能になります。』
「おい!」
『よって。』
『主人公は、対象の生命が維持され、かつ十分な絶望が成立した時点で到着する構造が適切です。』
「ふざけんな!」
セリアが振り返る。
「ルーク!」
「ごめん!」
「謝ってる場合か!」
「そうだった!」
走る。
でも。
頭の中には。
今の文章が残る。
十分な絶望。
それが成立するまで。
俺を。
到着させない。
日記が。
そういう物語にしようとしている。
*
「いた!」
リサが叫んだ。
裏通りの荷運び屋。
老人。
「昼過ぎ、ここから幌馬車が一台出たって!」
「方向は!?」
「西門!」
走る。
西門。
門番。
ミレアの特徴。
元婚約者。
男二人。
馬車。
「ああ、それなら見たぞ」
「いつ!?」
「昼を少し過ぎたくらいだ」
もう何時間も前。
「どこへ行くって?」
「知らん。普通の荷馬車だったからな」
「街道?」
「西へ出たなら西街道だろうが……途中で道はいくつも分かれる」
セリアが舌打ちした。
「馬を借りる」
「私も」
リサ。
「俺も!」
「ルークは乗れるのか?」
「乗れない!」
「じゃあ私の後ろ!」
「はい!」
こんな時に。
乗馬を覚えてないのが。
本当に腹立つ。
馬を出す。
日が落ち始めている。
西へ。
走る。
街道。
分かれ道。
どっち。
分からない。
日記を見る。
『主人公への世界進捗情報提供――停止中。』
「知ってるよ!」
『ストーリー記載を優先。』
「今だけ戻せ!」
当然。
戻らない。
代わりに。
『現在のストーリー。』
文字。
『影の薄かったヒロイン候補。』
『過去の婚約者による殺害計画。』
『誘拐。』
『実行役による性的被害。』
『殺害危機。』
『主人公による救出。』
『ヒロイン昇格。』
「……」
全部。
一日の中で。
やる気だ。
朝。
ミレアは普通に出かけた。
夜までに。
殺されそうになって。
また傷つけられて。
俺が助けて。
それで。
恋愛候補になる。
「そんなの……」
「ルーク?」
セリアの背中にしがみつきながら。
俺は。
日記を睨んだ。
「そんなので好きになるわけないだろ」
人は。
イベントじゃない。
助けたから。
恋愛になる。
そんな。
簡単な話じゃない。
『補足。』
文字が出る。
『即時恋愛成立――不要。』
「……」
『ヒロイン昇格とは、主人公との恋愛成立を意味しません。』
日記は俺へ答えているわけではない。
ただ。
構造を書いている。
『主人公にとって失いたくない主要人物として再配置。』
『対象側についても、救出後の依存を必須条件としません。』
『恋愛感情――後続ストーリーにより判断。』
「……そこは」
少しだけ。
まとも。
そう思いかけた。
駄目だ。
安心するな。
『ただし。』
「ほら来た!」
「何が!?」
「何でもない!」
『救出時の身体的接触、感情的混乱、生命危機からの解放等により、恋愛展開への接続効率は上昇します。』
「台無しだよ!」
*
夕日は。
もう半分沈んでいた。
分かれ道。
三本。
「どれだ」
セリアが馬を止める。
「荷車の跡が多すぎる」
リサが地面を見る。
「こっちは村。こっちは採石場。こっちは旧街道」
「殺すなら」
俺が言う。
二人が見る。
「人の少ないところ」
旧街道。
セリアが頷いた。
「行くぞ」
馬が走る。
森。
暗くなる。
道が悪い。
枝。
泥。
石。
その途中。
何か。
落ちていた。
「止めて!」
降りる。
布。
小さい。
拾う。
「これ」
見たことがある。
ミレアが。
パン屋で。
髪をまとめる時に使っていた。
紐。
「ミレアのだ」
セリアの顔が変わった。
「間違いない?」
「毎日見てる」
リサが旧街道の先を見る。
「この先ね」
俺は。
日記を見る。
新しい文字。
『主人公による手掛かり発見。』
『救出イベント――進行中。』
「……」
『ヒロイン候補ミレア。』
『本日中のヒロイン昇格を予定。』
「勝手に予定するな」
紐を握る。
「まず」
俺は前を見る。
「生きて連れて帰る」
恋愛とか。
ヒロインとか。
そんなものは。
後でいい。
「それだけだ」
セリアが剣を抜いた。
「ああ」
リサも杖を構える。
「行くわよ」
森の奥。
旧街道の先。
もう。
日が沈む。
そして。
日記の最後に。
一行だけ。
『救出場面の記載を開始します。』
俺たちは。
走った。
この作品の品質向上のため、ぜひ感想をお寄せください。今後の展開・キャラクター・構成・描写方針の参考として利用します。
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