第六十一話 身辺整理のために、私を殺すそうです
「身辺整理をしたいんだ」
久しぶりに会った元婚約者は、最初にそう言った。
「……身辺整理?」
「ああ」
私は向かいの椅子に座ったまま、男の顔を見た。
昔より少し痩せていた。
でも。
元気そうだった。
それだけで、少し安心した自分が嫌だった。
「荷物なら、もう全部返してもらったと思うけど」
「荷物じゃない」
「じゃあ、お金?」
「違う」
ここは王都の端にある小さな貸し部屋だった。
手紙が来た。
話しておきたいことがある。
昔二人で買った物が一つ残っている。
それを返したい。
それだけだった。
私は来るか迷った。
でも。
終わった関係だった。
もう怒鳴り合うつもりもない。
元に戻りたいとも思っていない。
だったら最後に残った物くらい受け取って、それで本当に終わりにすればいい。
そう思った。
「じゃあ何?」
「君だ」
「……私?」
「ああ」
元婚約者は。
困ったような顔で。
言った。
「君に死んでもらう」
「……」
意味が分からなかった。
聞き間違えたと思った。
「何て?」
「身辺整理のために、君には死んでもらう」
今度は。
はっきり聞こえた。
「……何言ってるの?」
「俺も、こんなことはしたくなかった」
「だったらしなければいいでしょ」
「そういう話じゃない」
「そういう話でしょう!?」
椅子を蹴って立ち上がった。
元婚約者は動かなかった。
「私たちはもう終わった! あんたが婚約を解消した! 私は受け入れた! 今さら何があるの!?」
「俺に新しい縁談がある」
「……は?」
「商家の娘だ」
知らない。
そんなこと。
「良かったじゃない」
本当に。
それだけなら。
「結婚すればいいじゃない」
「相手の家が調べた」
「何を」
「俺の過去を」
嫌な感じがした。
「以前、婚約者がいたことも分かった」
「それが私?」
「そうだ」
「だったら、婚約を解消したって言えばいい」
「言った」
「じゃあ終わりじゃない!」
「終わらなかった」
元婚約者の声は。
妙に静かだった。
「なぜ婚約を解消したのか聞かれた」
身体が。
固くなる。
「……」
「ゴブリンに襲われたことも、調べれば分かる」
「やめて」
「俺が君を置いていったことも」
「やめて」
「生き残った二人が――」
「やめてって言ってるでしょ!」
叫んだ。
息が苦しくなる。
昔。
森。
血。
叫び声。
死んだ仲間。
私は。
もう。
そこから少しずつ離れている。
パン屋で働いて。
剣を握る練習をして。
眠れる夜も増えて。
役に立たなければここにいられない。
そう思わなくてもいいんだと。
少しずつ。
思えるようになっていた。
なのに。
「何で今さら掘り返すの……」
「俺が掘り返したんじゃない」
「あんたが今喋ってる!」
「分かってる」
分かってない。
「それで?」
私は息を整えた。
「新しい女の家に、私のことを知られた。それで私を殺す?」
「君がいる限り、話が残る」
「私は何も言わない!」
「分かってる」
「じゃあ!」
「君が言わなくても、他人が言う」
元婚約者は。
本当に。
困った顔をした。
「俺が被害に遭った婚約者を捨てた。そういう話になる」
「そうしたでしょう」
一瞬。
男の顔が歪んだ。
「……だから困るんだ」
寒くなった。
怒っているんじゃない。
私を憎んでもいない。
それが。
余計に怖かった。
「私が悪いんじゃない」
「知ってる」
「私が襲われたから?」
「違う」
「じゃあ何なの!?」
「俺がこれから生きていくためだ」
「私だって生きてる!」
「だから困ってる」
その一言で。
何かが。
切れた。
「ふざけるな!」
私は机を蹴った。
倒れる。
元婚約者が立つ。
でも遅い。
私は剣を持ってきていない。
人に会うだけだったから。
それでも冒険者だ。
拳を握って踏み込んだ。
「ミレア!」
「私の人生を何だと思ってる!」
殴る。
避けられた。
もう一度。
今度は肩に当たった。
「っ!」
「私は!」
また。
「死なない!」
男が後ろへよろめく。
行ける。
扉。
逃げる。
そう思った。
扉が。
先に開いた。
「……え」
二人。
知らない男。
いや。
違う。
下で見た。
この建物へ入った時。
階段のそばにいた。
ただの客だと思っていた。
「悪いな」
一人が言った。
私はすぐ理解した。
「最初から……」
「暴れるぞ!」
掴まれる。
「離せ!」
腕を振り払った。
一人の顎に肘が入る。
「ぐっ!」
「このっ!」
腹へ衝撃。
「かはっ!」
息が消えた。
それでも。
蹴った。
膝。
足。
何でもいい。
「押さえろ!」
「離せ! 離せぇっ!」
怖い。
でも。
昔とは違う。
私は抵抗した。
爪を立てた。
噛みついた。
足を踏んだ。
一人の手が離れる。
「この女!」
「殺すならここでやるな!」
その言葉。
聞こえた。
「……殺す?」
元婚約者を見る。
男は。
目を逸らした。
「ねえ」
私は。
その顔を見た。
「本当に?」
「……」
「本当に私を殺すの?」
「ミレア」
「名前呼ばないで!」
男が黙る。
「私が何したの」
「……何も」
「じゃあ、何で」
「何もしてないからだ」
意味が。
分からない。
「君が俺を脅していたなら、まだ理由がある。金を要求していたなら、誰かに相談もできる。でも君は何もしない」
「だったら放っておいてよ!」
「だから」
元婚約者は。
小さく息を吐いた。
「俺の側から片づけるしかない」
「……」
身辺整理。
そういう意味だった。
荷物じゃない。
昔の手紙でもない。
婚約の記録でもない。
私。
私そのものを。
過去として。
片づける。
「最低」
「ああ」
認めた。
それだけだった。
*
次に目を開けた時。
暗かった。
「……っ」
揺れている。
身体が。
床。
木。
車輪の音。
馬車だ。
手を動かす。
動かない。
縛られている。
足も。
「……誰か」
声が掠れた。
「誰か!」
返事はない。
外から。
男たちの声。
何を話しているかは分からない。
頭が痛い。
最後。
何かで殴られた。
そこまでは覚えている。
「女将……」
声が震える。
「セリア……リサ……」
それから。
「ルーク……」
帰らないと。
パン屋へ。
帰らないと。
私。
今は。
帰る場所がある。
昔みたいに。
何も残っていないわけじゃない。
仕事がある。
部屋がある。
待っている人がいる。
剣だって。
また握ろうとしている。
これからだった。
「嫌……」
涙が出た。
「嫌だ……」
死にたくない。
今度は。
はっきり。
そう思った。
ゴブリンに襲われた直後。
何で生き残ったんだろうと思ったことがある。
死んだ二人の代わりに。
私が死ねばよかったんじゃないか。
そう思った夜もあった。
でも。
今は違う。
「死にたくない……!」
身体を捻る。
縄は外れない。
それでも動く。
何か。
何かないか。
壁。
床。
隙間。
手に触れるもの。
探す。
外から声がした。
「起きたぞ」
足音。
私は身体を止めた。
扉は開かない。
「予定通りでいいのか?」
別の男の声。
「依頼主は変えないってさ」
「面倒だな。生きたまま運ぶ必要あったのか?」
「町の中で死体出したくないんだろ」
身体の奥が。
冷たくなる。
「どこまで?」
「街道を外れた先」
「その後は?」
「知らねえよ。俺たちは運ぶだけだ」
馬車が。
進む。
王都から。
離れていく。
「……」
私は目を閉じた。
震える。
怖い。
でも。
考えろ。
私は冒険者だ。
まだ。
何も終わってない。
殺されると決まったからって。
死んだわけじゃない。
「帰る」
小さく。
言った。
「絶対に帰る」
*
その夜。
「ミレア、遅いな」
俺はパン屋の入口を見た。
「そうね」
リサも外を見る。
女将は厨房から顔を出した。
「何か依頼でも受けたんじゃないのかい?」
「今日は休みだったはず」
セリアが言う。
「出かけるとは言ってたぞ」
「どこに?」
「昔の知り合いに会うとか」
嫌な感じがした。
「昔の知り合い?」
「ああ」
「誰?」
「そこまでは聞いてない」
俺は。
胸元へ手を伸ばした。
開く。
何もない。
白紙。
「……」
もう。
世界進捗情報は。
書かれない。
「ルーク?」
リサが呼ぶ。
「ミレア、何時に出た?」
「昼前だったと思うけど」
「セリア。どこで会うって?」
「知らない」
「女将」
「何だい」
「ミレア、帰る時間言ってた?」
「夕食には戻るって言ってたね」
夕食は。
とっくに終わっている。
俺は立ち上がった。
「探す」
「私も行く」
セリアも立つ。
リサが杖を取った。
「私も」
日記は。
何も教えてくれない。
ミレアが今。
どこにいるのか。
何をされているのか。
生きているのか。
それすら。
分からない。
前なら。
嫌でも。
何か書いた。
今は。
白紙だった。
「……ふざけんなよ」
「ルーク?」
「何でもない」
でも。
今回だけは。
何でもなくなかった。
ミレアは。
帰ってこなかった。
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