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世界改稿日記 ~なろうによる世界破綻~  作者: 黒瀬 量衡


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第六十話 『絶望の強度および継続性について再検討します。』

『現在、主人公の生活に影響しない範囲での絶望がアクセス数に影響するかの検証をしています。』


「やめろ」


 朝一番。パンを並べる前に日記を開いた俺は、一行目でもう閉じたくなった。


 昨日聞いたのは、全部遠方の噂だった。怪我が治る不思議な歌を歌う歌姫。どこかで没落した貴族。武術大会を勝ち進んでいる、ライバル同士の女拳士。どれも遠い。いつ起きた話なのかさえ分からない。俺が昨日初めて聞いただけで、現地では一か月前どころか半年も前に終わっている可能性だってある。


 だから何もできなかった。


 そして日記は、それを。


 どうやら実験として見ていた。


『主人公生活圏――現状維持。』


『パン屋――営業継続。』


『女将――健在。』


『セリア――生活継続。』


『リサ――生活継続。』


『ミレア――生活継続。』


『主人公本人への直接的危機――なし。』


「そこだけなら最高なんだけどな」


「何が?」


 厨房から女将の声が飛んできた。


「何でもない!」


「だったら手を動かしな!」


「はい!」


 俺は慌ててパンを棚へ並べる。その間にも日記の文字は増えていった。


『一方、主人公生活圏外において、悲劇、社会的転落、身体的変質、関係性の断絶、生活基盤の喪失その他の絶望的展開を進行させた場合、主人公の日常を維持したまま刺激性の高いストーリーを並行可能。』


「その他でまとめるなよ……」


『主人公による即時介入が不可能な距離を設定することにより、危機回避による展開中断の可能性も低下します。』


「俺を邪魔者みたいに扱うな!」


 店にいた客がこっちを見る。


「……すみません」


 小さく頭を下げた。


 最悪だ。


 俺の生活は壊さない。パン屋も壊さない。女将も、セリアも、リサも、ミレアも、とりあえず安全。


 その代わり。


 俺の知らない。


 遠くにいる誰かを壊す。


 しかも、俺が助けられない場所で。


 これなら主人公の日常と惨劇を両立できます、とでも言いたいのか。


『検証途中経過。』


 嫌な文字が続く。


『主人公本人へ直接的な損失が発生しない場合でも、生活圏外で進行する絶望的展開に対する読者関心は成立する可能性があります。』


『ただし。』


「ただし?」


 俺が呟いたのとは関係なく、次の文章が現れた。


『単純な死亡、敗北、財産喪失等のみでは、継続的な物語展開として利用可能な期間が短い。』


 嫌な予感がする。


『絶望の強度および継続性について再検討します。』


「再検討しなくていい」


『既存の成功事例を分析します。』


「成功事例?」


 何を成功って言ってるんだ。


『第一事例。』


『ゴブリンの女王型。』


「……」


 手が止まった。


 頭に浮かんだのは、一人しかいない。


『成人女性。』


『人間社会における生活基盤を喪失。』


『過去の被害、社会的偏見および本人の選択を経て、人間社会から離脱。』


『ゴブリン集団へ定着。』


『ゴブリンキングとの関係を本人の自由意思により選択。』


『人間社会への帰還――本人が希望せず。』


『新規共同体を形成。』


『人間由来の知識をゴブリン集団へ導入。』


『生活環境――改善。』


『本人の主観的幸福度――悪化しているとは限らない。』


「だったら絶望じゃないだろ」


 でも。


 その次があった。


『重要。』


『絶望的展開は、対象本人が絶望し続ける必要はありません。』


「……は?」


『読者から見て「元の人生へ戻れない状態」が成立していれば、不可逆的変化として機能します。』


 俺は文字を見たまま動けなかった。


『ゴブリンの女王型では、本人が新しい生活を選択し、共同体を形成し、守るべき関係を獲得したことで、むしろ旧生活への復帰可能性が低下しました。』


『本人の幸福が回復するほど、新しい生活を捨てて旧社会へ戻る合理性も低下します。』


「……それを絶望の改善って扱うのかよ」


 人間社会から見れば、もう戻ってこない。


 でも本人は。


 戻りたいと思っていない。


 むしろ新しい場所で生きている。


 それを。


 日記は。


 壊れた後も物語を続けられる、優秀な構造として見ている。


『評価。』


『対象死亡――なし。』


『人格喪失――なし。』


『自己決定――維持。』


『生活継続――可能。』


『新規関係性――増加。』


『旧状態への復帰――困難。』


『長期展開適性――高。』


「評価するな」


 俺の声とは関係なく。


 次。


『第二事例。』


『キメラの母型。』


「……おい」


 今度は。


 もっと嫌だった。


『治療を目的とした魔力移送――成功。』


『対象生存――成功。』


『外来形質定着――成功。』


『異種由来性質の共存――成功。』


『拒絶反応――なし。』


『生命維持――安定。』


『複数種由来形質の継承能力――成立。』


 全部。


 成功。


 あの時もそうだった。


 失敗した実験なんて一つもなかった。


 危険だから止めたんじゃない。


 安全だった。


 成功した。


 だから次へ進んだ。


 その結果。


『キメラ母体――成立。』


「……」


『その後の対象所在――主人公への進捗情報提供対象から除外予定。』


「待て」


 まだ。


 カーナが。


 あの遠方で現れている謎の生き物と関係している証拠は。


 なかったはずだ。


 日記も。


 そう書いていた。


『キメラの母型における重要要素。』


『対象を死亡させない。』


『対象の人格を破壊しない。』


『本人の行動能力を維持する。』


『変化後の身体へ適応可能とする。』


『生存能力を向上させる。』


『新規環境における生活可能性を確保する。』


『その上で、元の人間社会へ完全には復帰できない状態を成立させる。』


「……」


『評価。』


『死亡による終了――なし。』


『継続的変化――可能。』


『次世代への影響――可能。』


『生息域拡大――可能。』


『新規個体発生――可能。』


『主人公生活圏への直接影響――現時点で不要。』


 最後の一行が。


 一番嫌だった。


     *


 昼。


 俺はパンを食べながら日記を睨んでいた。


「食べ物に恨みでもあるの?」


 向かいに座ったリサが言った。


「パンにはない」


「じゃあ何をそんな怖い顔してるのよ」


「未来」


「大きく出たわね」


 俺だって言いたくない。


 でも日記は、まだ終わっていなかった。


『既存二事例を比較。』


『ゴブリンの女王型。』


『本人による価値観および生活圏の変更を利用し、旧人生への帰還を不要化。』


『キメラの母型。』


『身体的不可逆変化および次世代への継承可能性により、旧人生への帰還困難性を増大。』


『共通点。』


 文字が増える。


『対象を殺さない。』


『人格を残す。』


『意思を残す。』


『新しい生活を成立させる。』


『新しい関係を成立させる。』


『守る対象を増やす。』


『本人が新しい状態を自ら維持する理由を形成する。』


「……」


 俺は。


 そこで。


 本当に嫌なことに気づいた。


「これ……」


「何?」


「いや」


 駄目だ。


 こいつ。


 学習してる。


 以前の日記なら。


 壊す。


 奪う。


 傷つける。


 そういう方向だった。


 でも。


 それでは物語が終わる。


 死んだら終わり。


 全部失ったら終わり。


 完全に壊れたら。


 その先がない。


 だから。


 最近は違う。


 一番大事なものを全部は取らない。


 何かを残す。


 生かす。


 選ばせる。


 新しい生活まで与える。


 その代わり。


 本人が自分の意思で。


 元へ戻れないところまで歩いていく。


『改善方針。』


 来た。


『既存の絶望構造を、さらに悪化させます。』


「やっぱり!」


「何が!?」


 リサがびくっとした。


「ごめん!」


「だから急に叫ぶなって!」


 日記は淡々と続く。


『従来型。』


『大切なものを喪失する。』


『改善型。』


『大切なものを一部維持する。』


『悪化型。』


『新たに大切なものを獲得させる。』


「……何でそれが悪化なんだよ」


『その新たな大切なものを維持するため、対象自身が不可逆的変化を受け入れ続ける構造を形成可能。』


「……」


 そういうことか。


 最悪だ。


 助ければ。


 戻れる。


 じゃない。


 戻るためには。


 今持っているものを。


 捨てなければならなくなる。


『例。』


『新たな家族。』


『新たな共同体。』


『新たな身体能力。』


『新たな役割。』


『新たな生存環境。』


『新たに守るべき対象。』


『以上を、不可逆的変化後に獲得させます。』


『結果。』


『過去へ戻ることが救済とは限らなくなります。』


「……」


 ゴブリンの女王。


 まさにそうだ。


 人間社会へ戻すことが。


 今の彼女にとって。


 本当に救いなのか。


 分からない。


 新しい群れがある。


 相手がいる。


 生活がある。


 守るものがある。


 それを全部捨てさせて「元に戻った」と言えるのか。


 キメラの母だって。


 もし。


 本当にあの先へ進んでいるなら。


 元の身体に戻すことが。


 もう。


 本人にとって正解なのか。


 分からなくなる。


『以上から。』


『絶望の最適化条件を更新。』


『一、対象は生存させる。』


『二、人格および意思決定能力を可能な限り維持する。』


『三、不可逆的変化を発生させる。』


『四、変化後の環境へ適応させる。』


『五、適応後に新たな幸福、役割、家族、関係性その他の継続理由を形成する。』


『六、元の状態へ戻る場合、それらを喪失する構造とする。』


『七、対象本人が現状維持を選択する可能性を確保する。』


『八、主人公による救済を物語上の唯一の正解としない。』


「八番が一番俺に効くんだけど」


 俺が行って。


 助ければ解決。


 それすら。


 なくす。


 対象本人が。


「助けなくていい」


「戻りたくない」


「このままでいい」


 そう言える状況まで。


 先に作る。


 しかも。


 本人の意思を奪わずに。


「……悪化してる」


「だから何が?」


「考え方」


「誰の?」


「世界の」


「疲れてるなら寝なさいよ」


「そうする」


 寝たところで。


 日記は止まらない。


     *


 夕方。


『既存事例のみでは検証対象が不足。』


 また始まった。


『あらたな絶望を他作品から調査します。』


「もう十分だろ……」


『調査条件を更新。』


 前より。


 嫌な言葉だった。


『単純な死亡展開――優先度低。』


『単純な身体欠損――優先度低。』


『単純な社会的没落――優先度低。』


『単純な失恋――優先度低。』


『単発の被害――優先度低。』


「低くしてくれるならいいんじゃ……」


 言いかけて。


 やめた。


 安心したら駄目だ。


『優先調査対象。』


『救済行為そのものが、不可逆的変化の原因となる構造。』


「……」


『能力獲得が、生存と引き換えに従来生活への復帰可能性を失わせる構造。』


『大切な他者を守るため、対象本人が自発的に社会的地位、身体、所属、将来等を手放す構造。』


『望んでいた願いが叶った結果、以前の人生へ戻れなくなる構造。』


『新しい家族または共同体を得ることで、過去の救済手段を本人自身が拒絶する構造。』


『身体的変化、生態的変化、社会的変化を複合し、単一の手段では原状復帰不能とする構造。』


『対象本人が幸福を感じる余地を残したまま、外部から見た不可逆性を最大化する構造。』


「最後、何なんだよ……」


 泣き叫んでいる必要すらない。


 むしろ。


 笑っている方が。


 元に戻せない。


 本人が。


 今を気に入ってしまえば。


 誰が。


 何を救えばいいのかさえ分からない。


『ゴブリンの女王型およびキメラの母型の双方に見られる「当事者の適応」を、絶望軽減要素ではなく長期固定要素として再評価します。』


「再評価するな」


『絶望とは、常に苦痛を感じ続ける状態を意味しません。』


「……」


『物語上では、過去の状態へ戻る選択肢が実質的に消失した状態も、不可逆的破綻として利用可能です。』


 ぞっとした。


 今までは。


 俺もどこかで思っていた。


 本人が幸せなら。


 それでいいんじゃないか。


 助かったなら。


 笑えるようになったなら。


 それで。


 破滅じゃなくなるんじゃないか。


 日記は。


 そこまで。


 材料にする。


『調査対象作品の具体的な人物、固有設定、文章表現および個別展開は使用しません。』


『抽象的な破滅構造のみを分類します。』


「そこだけ妙にまともだな!」


「また叫んだ!」


「ごめん!」


     *


 夜。


 俺は部屋で日記を開いていた。


 今日だけで。


 十分嫌なものを読んだ。


 でも。


 俺には。


 まだ一つだけ考えがあった。


「……何が起きてるか分かれば」


 歌姫。


 没落した貴族。


 女拳士二人。


 カーナ。


 遠方の未分類生物。


 ゴブリンの女王。


 俺の手が届かなくても。


 日記が進捗を書いてくれるなら。


 何か異常が起きた時点で。


 知ることはできる。


 直接行けなくても、ギルドに伝える。教会へ相談する。商人に警告を回す。遠くの冒険者へ依頼を出す。


 方法は。


 ゼロじゃない。


「……まだ完全に何もできないわけじゃない」


 その瞬間。


 頁に文字が浮かんだ。


「言わなきゃよかった」


『記載形式を変更します。』


 ほら。


『これまで、主人公の直接認識外で発生した事象について、世界進捗情報として補足記載を実施していました。』


『例。』


『対象カーナ――所在未確認。』


『未分類生物――生息域拡大中。』


『遠方地域の歌姫――詳細未確認。』


『没落貴族――現況未確認。』


『武術大会参加者――進行状況未確認。』


『ゴブリンの女王および関連集団――必要時に補足。』


「うん。それでいい。それを続けろ」


 俺の言葉とは関係なく。


 文字は続く。


『当該形式は、主人公による世界状況把握には有効。』


「そう!」


『一方。』


「いらない!」


『物語としての没入性を低下させます。』


「俺には必要なんだよ!」


『当事者が経験している事件を、位置、生死、被害規模、進行度等の情報として主人公へ提示した場合、読者は出来事を「報告」として認識します。』


『惨劇、希望、選択、適応、価値観変化等を当事者中心のストーリーとして記載した場合と比較し、感情的没入度が低下する可能性があります。』


 嫌だ。


 次に何が来るか。


 もう分かった。


『また主人公への世界進捗情報の提供をやめ、ストーリーの記載に軌道修正します。』


「やっぱり!」


 俺は頭を抱えた。


『以後、主人公生活圏外で進行する重要事象について、主人公に対する現在位置、進行状況、生死、被害規模、変化段階その他の逐次情報提供を原則として停止します。』


『対象カーナ関連事象。』


『ゴブリンの女王関連事象。』


『遠方の未分類生物。』


『歌姫。』


『没落貴族。』


『武術大会参加者。』


『その他、新規絶望調査から採用された対象。』


『以上について、必要な場合は当該人物または当該地域を中心としたストーリーとして記載します。』


「全部じゃねえか……」


 今まで。


 日記は。


 嫌なものだった。


 でも同時に。


 警報でもあった。


 カーナが消えた。


 謎の生物が出た。


 遠方で何かが起きている。


 それを。


 俺より先に。


 書いていた。


 その警報が。


 なくなる。


『世界進捗情報提供――終了。』


『ストーリー形式への移行――実施。』


『主人公ルークの日常――必要範囲で継続。』


『遠隔地ストーリー――必要に応じて挿入。』


『主人公による即時介入――原則不要。』


『遠隔地ストーリー終了後、必要に応じて噂、記録、人物流入、社会変化その他の方法により本編へ接続。』


「……」


 つまり。


 俺が知る頃には。


 もう終わっている。


 可能性がある。


 歌姫が何をされたのか。


 没落した家で何が起きたのか。


 女拳士二人がどんな結末へ行ったのか。


 カーナが。


 どこにいるのか。


 ゴブリンの女王が。


 今どんな場所にいるのか。


 俺には。


 進捗としては。


 もう来ない。


 日記が。


 書きたい時に。


 物語として。


 見せてくる。


「じゃあ……」


 喉が乾いた。


「次にページを開いたら」


 誰かの。


 人生の。


 最初から。


 始まるのかもしれない。


 普通に生活している。


 誰か。


 家族がいる。


 仕事がある。


 夢がある。


 大切な人がいる。


 そして。


 その人物に。


 日記が。


 さっき調べた。


 悪化した絶望を。


 適用する。


 頁をめくる。


 白紙。


 次も。


 白紙。


 もう一枚。


 白紙。


「……今日は書かないのか」


 静かだった。


 下では女将が店を片づけている。


 廊下を誰かが歩く。


 外から馬車の音が聞こえる。


 俺の生活は。


 何の問題もない。


 パン屋も。


 みんなも。


 無事。


 まさに。


 日記が検証している条件そのものだった。


 白紙の中央に。


 ゆっくり。


 文字が浮かぶ。


『新規絶望構造の調査――継続。』


 次。


『ゴブリンの女王型――適応による不可逆化。』


『キメラの母型――変質および次世代継承による不可逆化。』


『両構造の複合利用――有効性を検討。』


「複合するな」


 さらに。


『追加条件。』


『救済可能に見える期間を設けます。』


「……」


『希望が完全に消失する前に、対象自身が別の希望を獲得する構造を優先します。』


『その希望が、元の人生へ戻れない理由となる展開を調査します。』


「……悪化してるよ」


 最後に。


 一行。


『次回より、進捗報告ではなくストーリーを記載します。』


 そこで。


 文字が止まった。


 誰が選ばれたのか。


 まだ。


 書いていない。


 それが。


 一番。


 怖かった。


この作品の品質向上のため、ぜひ感想をお寄せください。今後の展開・キャラクター・構成・描写方針の参考として利用します。


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