外伝 女王
「女王、また腹が大きくなった?」
「見れば分かるだろ」
朝からそんなことを聞かれて、女王は自分の腹を撫でながら鼻で笑った。もう何人目になるのか、わざわざ数える気もなかった。足元では、以前産んだ子供たちが走り回っている。耳の長い子、父親譲りの牙を持つ子、人間の子供よりずっと早く大きくなる子。どれも人間ではない。かといって普通のゴブリンでもない。オークでもない。そんな子供たちが、今では群れのあちこちにいた。
「女王の子、また干し肉取ったよ!」
「どいつだ!」
「あの一番足の速いの!」
「またあいつか!」
女王は腹を抱えながらも走り出し、干し肉を抱えて逃げる子供を捕まえた。
「それは冬用だって何度言えば分かる!」
「ギャギャ!」
「笑うな!」
その向こうでは、人間の女が自分の選んだゴブリンへ薪を運ばせていた。
群れにいる人間の女は、もう女王一人ではない。かつて人ならざる子を産んだことで「化け物腹」と呼ばれた女もいる。人間の男ではなく魔物の雄を欲しがる自分を隠すことに疲れ、自分から人里を離れてきた女もいる。
女王は細かい事情を問いたださなかった。
「ここにいたいならいろ。ただし、雄は自分で選べ。嫌なら触らせるな。欲しいなら自分から行け」
それだけだった。
だから女たちは、自分を求める雄を見て、自分でもその雄を選んだ。
「あれは駄目。肉を自分だけで食べる」
「あっちは?」
「子供に先に食わせてた」
「なら、あっちの方がましだな」
人間の男を選ぶ時と、根本では大して変わらない。
やがて一緒に眠る雄が決まり、夫と呼ぶ女も出てきた。子供も生まれた。人間の町なら化け物だと恐れられた姿の子供を、ここでは父親のゴブリンが普通に抱き上げる。
「化け物腹でいいじゃないか」
以前、一人の女が昔の呼び名を思い出して泣いた時、女王はそう言った。
「でも……」
「その腹から、お前が欲しいと思った雄の子が生まれたんだろ」
女は黙る。
「だったら誰に何て言われようが、お前の腹だ。欲しい雄の子を産んで何が悪い」
今では、その女も自分の子を抱いて笑っている。
女王自身も同じだった。
ただし、誰より遠慮がなかった。
*
「おい」
夜。子供たちを寝かせた女王は、焚き火のそばに座っていたゴブリンキングの背中を蹴った。
「グル?」
「今日はまだだろ」
ゴブリンキングが振り向く。女王は隠す気もなく笑った。
「何だ、その顔。私が言わなきゃ分からないのか? 今夜はお前が欲しいって言ってるんだよ」
「グルル……」
「そう。その顔だ」
昔なら、自分から雄を欲しいなどと言うことを恥じたかもしれない。今は違う。
誰かに聞かれてもどうでもいい。
実際、少し離れたところにいる人間の女が笑った。
「また女王から?」
「うるさい! そっちだって昨日騒いでただろ!」
「女王には負けるよ!」
「勝負してねえ!」
笑い声が上がる。
女王はゴブリンキングへ向き直り、その太い首へ腕を回した。
「来い」
強い腕で抱き込まれた瞬間、女王の喉から濁った声が漏れた。
「ん゛っ……!」
身体がぶつかる。
逃げない。
むしろ、もっと近づく。
「ははっ……そうだ。それくらいで来い!」
「グォッ!」
「そんな調子じゃ、私を最初に孕ませたゴブリンに負けるぞ?」
わざとだった。
ゴブリンキングの目つきが変わる。
「グルルルル……!」
「怒ったか? だったら見せろよ。お前が今の私の雄なんだろ!」
次の瞬間、身体ごと持ち上げられた。
「ん゛あっ……!」
足が地面から離れる。
女王は驚いて腕を伸ばしかけ、そのまま身体に走った強い感覚へ耐えるように、両腕も両脚も四方へ投げ出した。
「あ゛ぁ……っ!」
背中が反る。
頭が後ろへ倒れる。
天を仰ぎ、開いた口から舌が覗く。指先まで伸び切った身体が何度も細かく震えた。
ゴブリンキングは離さない。
「グォッ……! オ゛ッ……オ゛ッ……!」
太い喉から、濁った声が何度も漏れる。
女王はしばらく何も考えられなかった。
腕も脚も力が抜けたまま、抱えられている。
それでも、ゴブリンキングの低い唸りが耳に入ると、ぼんやりしていた目がまた開いた。
「……何だよ」
「グルル……」
「まだ欲しいのか?」
牙が見える。
女王は荒い息のまま笑った。
「私もだ」
今度は自分から動いた。
投げ出していた両腕を戻し、ゴブリンキングの首へ絡める。両脚もその腰へ回し、身体を離さないようにしがみつく。
「来い」
「グォッ!」
「そうだ……もっと私を欲しがれ!」
今度は女王自身が相手へ身体を押しつけるように動いた。
「ん゛っ……あ゛ぁっ……!」
また声が濁る。
恥ずかしいとは思わない。
むしろ雄が自分を求めるほど、女王も相手を欲しがった。
「もっとだ……! お前が私の雄なんだろ!」
「グォォッ!」
「私がお前を選んだんだ! だったら最後まで付き合え!」
身体にまた強い感覚が走る。
「あ゛っ……!」
腕が一瞬ほどける。
脚も伸びる。
また天を仰ぎ、全身が震える。
それでも少しすれば、女王は自分から首へ腕を戻した。
「まだ……」
「グル?」
「何止まってる」
息を切らしながら睨む。
「まだ私は終わりって言ってないぞ」
ゴブリンキングの喉から、また濁った声が響いた。
「オ゛ッ……グォッ……!」
「そうだ……来い!」
女王も負けずに声を上げる。
「ん゛あっ……! もっとだ……もっと雄のお前を感じさせろ!」
それが何度繰り返されたのか、女王にも分からなくなった。
抱き上げられ、力が抜ける。
四肢を投げ出して震える。
ぼんやりする。
ゴブリンキングの声で意識が戻る。
また首へ腕を回す。
腰へ脚を絡める。
そして自分から求め直す。
「まだだ」
「グルル……」
「勝手に終わるな」
「グォッ!」
「私が欲しいって言ってるんだよ……!」
女王は笑った。
「私をこんなにしておいて、先に休むつもりか?」
ゴブリンキングがさらに強く抱き込む。
「ん゛っ……!」
「グォォッ!」
「そう……それだよ……!」
もう誰が聞いているかなんて、本当にどうでもよかった。
人間社会なら、女がそんな声を出すなと言われただろう。
雄を自分から欲しがるな。
そんな下品な姿を晒すな。
化け物の子など欲しがるな。
全部。
もう関係ない。
「私はお前が欲しい!」
「グルァッ!」
「だから、もっと来い!」
*
どれくらい時間が経ったのか。
女王自身にも分からなかった。
何度か、もう身体が動かないと思った。そのたびにゴブリンキングも少し力を緩める。
すると。
それが気に入らない。
「……おい」
「グル?」
「離れるな」
腕を掴む。
「まだここにいろ」
ゴブリンキングが戻る。
「そう」
女王は満足そうに笑った。
「私が欲しい時は、私のそばにいろ」
昔、誰かに奪われた時。
自分の言葉には何の意味もなかった。
今は違う。
「離れろ」
そう言えば止まる。
「来い」
そう言えば来る。
だから女王は、好きなだけ言う。
「もっと」
「グルル」
「まだ足りない」
「グォッ」
「私を欲しがれ」
そして。
「私もお前が欲しい」
それも隠さない。
*
翌朝。
「……うるさい」
「ギャ!」
「朝から騒ぐな」
目を開けると、入口に子供が何匹も集まっていた。
「腹減ったのか?」
「ギャギャ!」
「分かったよ」
女王は起き上がり、隣でまだ寝ているゴブリンキングを蹴った。
「起きろ」
「グル……」
「夜だけ元気で父親の仕事を私に押しつけるな」
子供たちが笑う。
外へ出れば、別の人間の女が自分の夫を怒鳴っていた。
「早く水汲んできて!」
「ギィ!」
「返事だけじゃなくて動け!」
その足元を、人間でもゴブリンでもない子供が駆け抜ける。
少し向こうでは、また別の女が膨らんだ腹を撫でていた。
「そっちもまたか?」
「女王に言われたくない」
「確かにな」
二人で笑う。
群れは増えている。
女王の子も増えている。
女たちの子も増えている。
昔のゴブリンの巣とは、もう違う。
人間の村でもない。
女王にも、この場所を何と呼べばいいのか分からない。
それでも夜になれば、女王はまた自分の雄を見る。
「おい」
「グル?」
「今夜も来いよ」
「グルル……」
「その顔なら大丈夫そうだな」
女王は笑った。
「私がもう要らないって言うまで、ちゃんと私の雄でいろ」
誰かにそうしろと言われたわけではない。
ゴブリンキングが求めるから仕方なく応じるのでもない。
女王自身が雄を求める。
雄も女王を求める。
そして、その二人の間からまた子供が生まれる。
それが今では、群れの当たり前の日常になっていた。




