第五十七話 子供に受け継がれるか確認が必要だそうです
「妊娠させるつもりですか?」
研究院へ着いて最初に聞いた。
バルドは露骨に嫌そうな顔をした。
「朝一番でその聞き方をするな」
「昨日、次世代への継承を確認するって言ったじゃないですか」
「私は言っていない」
「……そうでした」
言ったのは日記帳だ。
危ない。最近、日記帳で読んだことと現実で聞いたことが混ざり始めている。
昨日の最後。
『次世代への形質継承を実証する必要があります。』
『第五十七話 子供に受け継がれるか確認が必要だそうです』
だから朝一番で来た。
「カーナさんは?」
「検査中だ。先に言っておくが、本人の同意なく妊娠させるような計画はない」
「本当に?」
「当たり前だ!」
怒られた。
でも。
ちょっと安心した。
「じゃあ、何を確認するんです?」
「まず、本当に生殖系統まで外来形質が入り込んでいるのかを調べる。昨日の結果だけでは断定できない」
「それだけ?」
「それだけだ」
「妊娠とか出産とかは?」
「現段階では不要だ」
よかった。
本当に。
よかった。
*
検査は半日で終わった。
カーナ本人は少し疲れた顔をしていたが、身体的な異常はなかった。
「どうでした?」
「検査ばっかりで飽きました」
「それは元気そうでよかったです」
「元気なんですよ。本当に」
カーナは苦笑した。
以前より体力はある。魔力も使える。傷も治りやすい。視力や聴力まで良くなった。
身体の変化だけ見れば、悪いことばかりではない。
「帰れる話は?」
「今日の結果次第だそうです」
「じゃあ、今日終わったら」
「多分」
カーナも少し明るくなる。
「家の掃除しないと。二週間どころじゃなくなってきましたから」
「仕事は?」
「まだ休職扱いです。でも魔力が戻ったなら、研究院の補助くらいには復帰できるかもしれないって」
「よかったじゃないですか」
「はい」
俺も笑った。
昨日より状況は良くなっている。
変な形質が定着した。
でも健康。
研究対象になった。
でも検査が終われば帰れるかもしれない。
魔術師としても復帰できるかもしれない。
ちゃんと。
戻れる道がある。
*
午後。
呼ばれた。
部屋へ入った瞬間、人数を見て嫌な予感がした。
バルド。医療魔術師。研究員。資源管理局。それに昨日はいなかった、白い法衣を着た女性までいる。
「誰です?」
「王立生命魔術院の研究官だ」
「増えてる」
「増えたな」
「嫌なんですけど」
「私もだ」
バルドまで言うな。
カーナも別の椅子に座っている。
「結果から説明します」
生命魔術院の女性が資料を開いた。
「外来形質は、カーナさんの全身に安定して定着しています。また、生殖に関係する魔力系統にも同様の特徴が確認されました」
「つまり?」
「理論上、子へ継承される可能性があります」
知ってた。
日記帳で。
「可能性だけですよね?」
「はい」
「じゃあ確認終わり?」
「いいえ」
早い。
「何で?」
「可能性と実証は別だからです」
「……」
嫌な。
方向。
来た。
「でも、実際に子供を作らないと分からないんですよね?」
「最終的には」
「本人が嫌なら終わりですよね?」
「当然です」
即答。
また。
安心した。
その横で、資源管理局の男が紙を一枚差し出した。
「ただし、別問題があります」
「……何です?」
「カーナさんの身体状態が、国家的に未知かつ再現可能性のある魔術現象となったことです」
「それと妊娠、関係ないでしょ」
「直接はありません」
「じゃあ」
「ただ、本人が将来自然に子を持った場合、継承の有無を確認する必要があります」
止まった。
「自然に?」
「研究目的で妊娠を求めるわけではありません」
「はい」
「ただし、将来的に本人が結婚、妊娠、出産した場合、その経過および出生した子について研究上の観察対象となる可能性があります」
「……」
言い方。
すごく。
まとも。
だった。
研究のために子供を作れ。
じゃない。
好きに生きていい。
ただ。
子供ができたら。
調べます。
それだけ。
「それなら」
俺は少し息を吐いた。
「本人が普通に生活する分には――」
「待ってください」
カーナだった。
声が低い。
「それ、私が子供を欲しいと思った時にも、研究院が関わるってことですか?」
「安全確認のためです」
「生まれた子も?」
「外来形質が継承されている場合は、経過観察が望ましいと考えます」
「何歳まで?」
「現段階では決められません」
「じゃあ、ずっと?」
「必要性がある間は」
カーナの顔から。
さっきまでの。
「帰れるかもしれない」
という明るさが消えた。
*
「私、魔力を戻してもらっただけですよね」
「はい」
「治療だったんですよね」
「開始時点ではそうです」
「開始時点では?」
生命魔術院の研究官が黙った。
カーナは自分の腹へ手を置いた。
「今は違うんですか?」
「あなた自身を危険物として扱っているわけではありません」
「じゃあ何なんです?」
「希少事例です」
俺。
嫌いになった。
その言葉。
「私が結婚したら?」
「制限する法的根拠はありません」
「子供を作ったら?」
「制限しません」
「産んだら?」
「制限しません」
「その子を調べる?」
「安全のためです」
「私が嫌だって言ったら?」
沈黙。
「……何で黙るんですか」
資源管理局の男が慎重に答えた。
「出生した子に未知の魔物形質が発現した場合、本人だけの問題ではなくなる可能性があります」
「つまり?」
「公衆安全上の確認が必要になる可能性があります」
「……」
禁止。
しない。
強制。
しない。
普通に。
生きていい。
でも。
その普通の生活の先に。
研究院が。
ずっと。
付いてくる。
*
俺はバルドを廊下へ連れ出した。
「これ、帰れるんですか?」
「帰れる」
「本当に?」
「少なくとも、研究院から出ること自体を止める法的根拠はない」
「じゃあ今日」
「ただし定期検査は求められるだろう」
「求められる?」
「拒否はできる」
「じゃあ拒否したら?」
「……」
「またそれ!」
「私に怒るな」
「じゃあ何が起きるんです?」
「国側が別の根拠を探す可能性がある」
「別の根拠?」
「未知の魔物形質保持者としての安全確認。魔術事故被害者としての継続治療。希少魔術現象の保護。理由はいくらでも作れる」
「それ、拒否できないじゃん」
「法的には別々の制度だ」
「本人から見たら同じでしょ!」
バルドも黙った。
誰も。
「お前を一生閉じ込める」
とは言ってない。
むしろ。
全員。
安全。
保護。
治療。
観察。
そういう言葉しか使ってない。
それなのに。
出口。
狭くなってる。
*
胸元が熱くなった。
廊下の隅で日記帳を開く。
『キメラ母体に関する社会的運用条件を整理します。』
「運用って言うな」
『本人への強制的妊娠――現段階では不要。』
「よし」
一瞬。
本当に。
安心した。
『自然な人生経路を利用可能です。』
「……」
嫌な。
続き。
『対象カーナは成人女性。』
『将来的な恋愛、婚姻、妊娠、出産の可能性――あり。』
『本人の自由意思による妊娠が成立した場合、次世代への異種形質継承を観察可能。』
『研究目的で妊娠を強制する必要がありません。』
合理的。
なのが。
怖い。
『したがって。』
『本人の生活を一定程度維持したまま、研究対象状態を長期継続可能。』
「……」
前。
参考例。
三。
思い出す。
全部。
奪わない。
大事なもの。
残す。
それを。
破滅後の。
生活継続。
に。
使う。
『参考例二――キメラ母体型。』
『参考例三――希望維持型。』
『両構造の併用が可能です。』
「混ぜるなよ……」
*
その日の夕方。
カーナは研究院を出た。
本当に。
出られた。
「帰れる!」
門を出た瞬間、カーナが笑った。
俺も。
嬉しかった。
「よかったですね」
「本当に。もう研究院の飯飽きました」
「そんなにまずい?」
「まずくはないんですけど、毎日似たようなのばっかりで」
「じゃあ何食べます?」
「肉」
「即答」
「あと酒」
「体調検査終わったばっかりなのに」
「だから飲むんです」
普通だった。
普通の。
人。
に。
戻った。
「明日、仕事場にも顔出してみます」
「復帰?」
「すぐじゃないけど。いつまでも休んでられないし」
よかった。
俺は。
また。
安心した。
*
三日後。
カーナは研究院へ戻ってきた。
自分から。
「どうしたんです?」
俺も黒い石の契約関係で呼ばれていた。
カーナは紙を握っていた。
「仕事、復帰できませんでした」
「何で?」
「研究院から通知が行ってた」
「通知?」
「『未知魔物形質保持者との接触業務について安全性未確認』」
「……」
「私、研究院の補助員だったんですよ」
魔道具。
魔力。
研究素材。
他の職員。
色々。
接触する。
「雇うなとは書いてないそうです」
カーナが笑った。
笑えてない。
「ただ、安全性が確認されるまで、対人業務と魔術設備への接触を避けることが望ましいって」
「それ」
「私の仕事、ほぼ全部です」
禁止。
じゃない。
解雇。
でもない。
保護。
安全。
推奨。
だから。
「休職延長になりました」
「給料は?」
「当面は国から補償金が出るそうです」
生活。
できる。
だから。
死なない。
困窮。
もしない。
でも。
仕事。
戻れない。
「……家は?」
「帰れます」
「外出は?」
「自由です」
「じゃあ」
俺。
また。
安心。
しそうになる。
やめた。
もう。
しない。
*
夜。
日記帳を開く。
『対象カーナの生活再構築を開始。』
『住居――維持。』
『生活費――補償により維持。』
『身体健康――良好。』
『魔力能力――回復。』
『行動の自由――原則維持。』
『職業――安全上の理由により休職継続。』
『定期検査――継続。』
『将来の生殖に関する観察――継続。』
全部。
奪ってない。
むしろ。
いっぱい。
残してる。
『存命破滅としての条件――進行中。』
「……」
その下。
『次世代継承確認について、本人の自然な妊娠を待つ場合、展開速度が遅い。』
「待て」
嫌。
すごく。
嫌。
『アクセス数推移――停滞傾向。』
「やめろ」
もちろん。
何も。
返らない。
『主流展開として、展開速度の改善を検討します。』
「するな」
頁の一番下。
『第五十八話候補。』
『自然に待つには時間がかかりすぎるそうです』
「……」
強制。
しない。
って。
さっき。
書いた。
だから。
安心した。
また。
安心した。
日記帳は。
その条件を。
破る必要なんて。
ない。
破らずに。
もっと早い。
別の道を。
探すだけだ。
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