第五十五話 使い切った魔石がもう一度光りました
「光った!」
研究員の声と同時に、机の上の魔石が青白く輝いた。俺も思わず椅子から身を乗り出す。目の前にあるのは、昨日まで何度魔力を流しても反応しなかった使用済みの魔石だ。その横には、俺が拾った黒い石がある。
黒い石へ十分な魔力を吸収させてから、完全に空になった魔石を近づけた。最初は何も起きなかったが、しばらくすると黒い石の表面に、以前見つかった白い紋様が浮かんだ。そして今、使い切ったはずの魔石がもう一度光っている。
「成功?」
「ああ。吸収した魔力を別の物へ移せる」
「じゃあ本当に電池みたいなものじゃん」
「でんち?」
「何でもないです」
前世の知識を口にしかけて誤魔化した。でも、本当にそれだった。吸う。溜める。必要になったら戻す。危険な魔法を撃ち返すわけでもない。爆発もしない。誰かの命を奪う必要もない。
「今回は本当に当たりだったんじゃない?」
横で見ていたリサも頷いた。
「少なくとも、この実験だけならな」
「そういう余計な言い方やめて」
「事実だろ」
でも俺は笑った。ようやく、本当にこういうのでいい。
*
その日は朝から何度も試験を繰り返した。空になった魔石、魔力を失った魔道具、結界用の小型触媒。どれも黒い石から魔力を戻すことができた。しかも、入れすぎれば壊れるような物には必要量以上を送り込まない。
「勝手に調整してる?」
「その可能性が高い。受け取る側の容量に応じて移送量が変化している」
「すごく安全じゃないですか」
「今のところはな」
「だから、その言い方」
さらに、以前の試験で魔力を失って萎れた薬草へ魔力を戻す。数時間後には葉が持ち直した。小動物でも同じだった。前回の試験で魔力低下が確認された個体へ、黒い石から慎重に魔力を戻す。衰弱は消え、餌を食べ、普通に動き回った。
異常なし。死亡なし。後遺症なし。全部成功だった。
「……すごい」
俺は本気で感心していた。黒い石が魔力を奪うと分かった時には、また誰か死ぬんじゃないかと思った。でも違った。奪うだけじゃない。戻せる。それなら、魔力切れで倒れた魔術師を助けられるかもしれない。使い捨てだった魔石だって再利用できる。
「これ、かなり平和な使い道じゃない?」
「珍しくな」
「珍しくは余計だよ」
*
昼休みに日記帳を開く。
『黒色石状物質による魔力再移送――成功。』
『物質対象――成功。』
『植物対象――成功。』
『小動物対象――成功。』
『対象死亡――零。』
『不可逆的障害――確認なし。』
『安全実験――全項目成功。』
「よし」
『黒色石状物質を魔力吸収素材から魔力貯蔵・移送媒体へ再分類します。』
『想定用途――魔石再充填、魔道具補助、魔力枯渇時の緊急供給、結界維持、魔術師支援。』
まともだった。本当にまともだ。
『アクセス数――上昇。』
「完璧じゃん」
死人なし。主人公がちょっと得する。新素材発見。便利な能力。アクセスまで上がる。こういうなろうでいいんだよ。
俺は安心して日記帳を閉じた。
*
「ルーク」
午後、帰ろうとしていた俺をバルドが呼び止めた。
「もう一つだけ見ていくか?」
「何を?」
「人体への移送試験だ」
俺の足が止まった。
「……人体?」
「いきなり健康な人間へ試すわけじゃない」
連れてこられたのは、三十歳くらいの女性だった。名前はカーナ。研究院で働いていた元魔術師で、二年前の魔道具事故によって魔力を作る器官を損傷しているらしい。普通に歩けるし話もできる。ただ、自力で魔力をほとんど作れなくなった。
「本人の希望だ」
バルドが言うと、カーナも頷いた。
「治る可能性があるなら試したいです」
「危なくない?」
「ここまでの生体試験では問題なし。供給量も最小限から始める」
ちゃんとしている。本人にも説明済みで、強制でもない。安全試験も先に済ませてある。俺が心配する理由はなかった。
「……お願いします」
小さな黒い石を、カーナの手から少し離れた位置へ置く。研究員が魔術式を調整すると、黒い石に白い紋様が浮かんだ。
「どうです?」
「温かい……」
「痛みは?」
「ありません」
「吐き気、眩暈は?」
「ありません」
魔術師が測定器を見る。
「魔力値、上昇。正常域の下限まで来た」
「本当に?」
カーナは自分の指先を見つめ、小さく集中した。ぽっと、指先に小さな灯りが生まれる。
「……出た。二年ぶり……」
彼女の目から涙が落ちた。誰も喋らなかった。
「よかった」
俺まで嬉しくなった。本当に、よかった。
*
人体試験も成功した。その日だけでは判断できないということで、カーナは研究院で経過観察になったが、三日後も異常なし。一週間後も異常なし。むしろ以前より体調がいいという。
「魔力は?」
「減ってない」
バルドから結果を聞いた俺は驚いた。
「自分で作れないんですよね?」
「そのはずだった。まだ治ったとは断定できないが、移送した魔力が体内で定着している」
さらに研究が進み、黒い石へ入れる魔力の種類を変えても、移送そのものには問題がないことが分かった。人間、魔石、魔道具、植物。そして魔物。
「魔物の魔力も?」
「ああ。スライム、ウルフ系、地下蜥蜴。討伐済み個体から回収した魔石だ」
「混ぜるの?」
「混ぜると言っても、ごく微量だ。黒い石が魔力の種類を区別するか確認するだけだ」
「カーナさんには?」
「まだ使わない」
「よかった」
石だけならいい。三種類の魔物由来魔力を吸わせても、黒い石は壊れなかった。内部で暴発もしない。互いに反発もしない。
「複数種類を同時に保存できる」
「便利ですね」
「便利どころではないぞ」
バルドが嬉しそうに記録する。俺も、その時はそう思っていた。
*
二週間後、また研究院へ呼ばれた。
「カーナのことで確認したい」
その一言で、嫌な感じがした。
「体調悪くなった?」
「逆だ」
「逆?」
「良すぎる」
部屋へ入ると、カーナがいた。普通に元気そうだった。
「こんにちは」
「こんにちは。どうです?」
「すごく元気です」
笑っている。でも、その横には知らない研究員が五人、医療魔術師が二人、それにバルドと責任者までいる。
「何があったんです?」
「傷の治りが異常に早くなった。それだけじゃない。暗所視力が上昇し、体温変化への耐性も上がっている」
「……何で?」
「それを調べた」
バルドが一枚の記録を出した。
「カーナへ最初に戻した魔力は、人間由来だけではなかった」
「え?」
「黒い石へ、それ以前の安全試験で吸収させた魔力が残っていた」
「薬草と、小動物?」
「ああ」
「……魔物は?」
「魔物由来の魔力を使った試験は、その後だ」
一瞬だけ安心しかけた。
「だが、問題はそこではない」
バルドの顔は笑っていなかった。
「黒い石は魔力をただの量として保存していない。性質も保存している」
*
机に資料が並べられる。
「薬草由来の再生性と、小動物由来の代謝特性。それらがカーナの体内へ魔力と一緒に移った」
「でも、カーナさんは人間ですよね」
「人間だ。ただし、移送された性質が拒絶されていない」
「消える?」
「消えない。定着している」
嫌な言葉だった。
「それで、何でこんなに人がいるんです?」
誰もすぐには答えなかった。カーナ自身も、さっきまでより表情が硬い。
「追加検査で、本人の身体全体に外来魔力特性が組み込まれていることが分かりました」
「身体全体?」
「はい」
「治せる?」
「病気として認識されていません。身体が正常なものとして受け入れています」
そこが一番怖かった。
*
胸元が熱くなった。日記帳を開く。
『人体への魔力移送――成功。』
『外来魔力の定着――成功。』
『異種由来性質の共存――成功。』
『拒絶反応――なし。』
『対象生存――安定。』
「成功って書くなよ……」
『黒色石状物質は魔力だけではなく、魔力に付随する生体的性質を保存・移送可能。』
『複数種由来性質についても同一個体内で安定保持可能。』
似た話を、俺は前に読んだことがある。日記帳が提示した参考例二。
『追加検査。』
『対象成人女性の生殖系魔力循環にも外来性質の定着を確認。』
嫌な予感が形になる。
『複数種由来性質を次世代個体へ継承可能な状態が成立。』
「待て」
声が出た。カーナが俺を見る。
「大丈夫?」
「あ……いや」
日記帳へ視線を戻す。
『分類変更。』
『単純な人体魔力回復対象ではありません。』
『複数魔物形質保持個体。』
『異種形質継承可能母体。』
そして。
『キメラ母体――完成。』
「……嘘だろ」
*
「ルーク?」
カーナがまた俺を呼ぶ。
「顔、真っ青ですよ」
「カーナさん。検査が終わったら帰れますよね?」
部屋が静かになった。俺は研究員たちを見る。
「帰れるんですよね?」
「現時点では」
「現時点?」
バルドが視線を逸らし、代わりに王国資源管理局の職員が答えた。
「身体の状態が前例にない。継続観察が必要になる」
「本人の家で?」
「研究院内が望ましい」
「本人が嫌だって言ったら?」
また誰もすぐには答えない。カーナの笑顔も消えた。
「……私、治療を受けただけですよね?」
「そうです」
「魔物になる実験を受けるとは聞いてません」
「魔物になったわけでは――」
「じゃあ、何なんですか」
誰も答えられなかった。
*
日記帳にはまだ続きがあった。
『参考例二との構造一致率――上昇。』
『参考例二の表層展開は不採用状態を維持。』
『今回の成立経路。』
『強制的な魔物融合処置――なし。』
『危険な人体実験――なし。』
『実験手順違反――なし。』
『安全試験――成功。』
『治療――成功。』
『魔力移送――成功。』
『異種性質定着――成功。』
『すべての成功結果を因果的に接続。』
『キメラ母体の成立条件を満たしました。』
分かった。
この日記帳は、失敗させる必要なんてない。
事故を起こす必要もない。
全部うまくいっても、地獄を作れる。
*
研究院を出た時には、もう夕方だった。
カーナは残った。本人が納得したからじゃない。「追加検査のため、明日まで」。そう説明された。
俺は帰り道で何度も今日の朝を思い出した。
使い切った魔石が光った。
死人なし。怪我人なし。魔力を戻せる。便利なだけの石だった。
だから、安心した。
「……まただ」
安心した、その先がこれだ。
*
夜、日記帳には最後の記載が増えていた。
『アクセス数――上昇。』
『主流展開による未知アイテム取得。』
『便利能力の発見。』
『人体治療への応用成功。』
『過去に調査した存命破滅構造への接続成功。』
『複数展開の統合――良好。』
「良好じゃない」
『現在の新規未解決要素。』
『カーナの身体変化。』
『外来形質の追加発現可能性。』
『王国による研究対象指定。』
『キメラ母体としての利用価値。』
「利用価値って書くなよ……」
さらに一行。
『ティナ関連展開――維持。』
『地下水路脈動――継続。』
忘れていない。
日記帳は何一つ捨てていない。
『次話候補。』
『第五十六話 安全だから、もう少し試せるそうです』
「やめろ」
当然、何も返ってこない。
ただ、その題名だけが頁の一番下に残った。
この作品の品質向上のため、ぜひ感想をお寄せください。今後の展開・キャラクター・構成・描写方針の参考として利用します。
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