第五話 『明日までに、誰にも迷惑をかけず、銅貨一枚が正当に俺のものになる。』
銅貨を拾った翌日の夜、俺は日記を前にして少し考えた。
昨日は確かに銅貨を拾った。しかし拾っただけで、俺のものにはならなかった。日記は俺の願いを読んでいるわけじゃない。書かれた文章を、そのまま成立させている。だったら、欲しい結果まできちんと書けばいい。
『明日までに、誰にも迷惑をかけず、銅貨一枚が正当に俺のものになる。』
書き終えると文字が淡く光り、その下に『改稿を開始します』と浮かんだ。
「これならどうだ」
誰にも迷惑をかけない。盗むのも駄目。誰かが落とした金を拾うだけでも駄目。ちゃんと俺のものになる。そのくらい指定しておけば、変な辻褄合わせは起きないはずだ。
翌朝から、俺はいつも通りパン屋を手伝った。生地をこね、薪を運び、焼き上がったパンを棚に並べる。昼前になると、大きな荷車が店の前に止まり、小麦粉の袋が何袋も運び込まれてきた。
「ルーク、そっち持っとくれ!」
「分かった!」
女将に言われ、俺も袋を担ぐ。農家で十六年働いてきたので、こういう力仕事なら慣れている。運び屋の男が一人で持とうとしていた袋を二つまとめて担ぎ、倉庫まで運ぶと、男が目を丸くした。
「お前、細いのに結構やるな」
「畑仕事してたから」
「助かったよ。こっちも次が詰まってるんだ」
全部運び終えると、男は腰の袋から銅貨を一枚取り出し、俺に投げた。
「ほら。駄賃だ」
「え?」
「手伝ってくれた分だよ。取っとけ」
反射的に受け取った。
銅貨一枚。
誰から盗んだわけでもない。落とし物でもない。働いた対価として渡された、完全に俺の金だった。
「……これだ」
「何が?」
「いや、何でもない」
俺は銅貨を握りしめた。
その日の夜、日記を開く。
『明日までに、誰にも迷惑をかけず、銅貨一枚が正当に俺のものになる。』
その下には、
『完了』
とあった。
「やっぱり」
思わず笑った。
今回は誰も死んでいない。何も壊れていない。誰かが金を失ったわけでもない。俺が少し荷物運びを手伝い、それを見た男が駄賃をくれただけだ。
村が滅びたときとは全然違う。
「書き方なんだ」
ようやく分かった気がした。
日記が危険なんじゃない。曖昧な文章を書くから、世界が勝手に空白を埋める。なら、その空白をこちらで減らせばいい。
誰にも迷惑をかけない。
正当な方法で。
俺のものになる。
そうやって条件をきちんと指定してやれば、世界はその範囲で辻褄を合わせるしかない。
「だったら……」
俺は銅貨を机の上に置き、新しいページを開いた。
銅貨一枚ならできた。
それなら、銅貨十枚は?
銀貨一枚なら?
金貨なら?
条件を細かく書けば、もっと大きな改変だって安全にできるかもしれない。
俺はペンを持ち、しばらく白紙を眺めてから笑った。
「これ、使い方が分かればかなり便利なんじゃないか?」




