第四十九話 『破滅展開のストーリーを調査します。』
「……朝から見せるものじゃないだろ、これ」
日記帳を開いた瞬間、俺は思わず顔をしかめた。
『破滅展開のストーリーを調査します。』
『存命状態で長期間継続可能な破滅展開について、具体的な参考例を提示します。』
昨日まではまだ、破滅にも種類があるとか、死なせるより生かした方がその後の日常まで書けるとか、そういう分析だった。
嫌ではあった。
でも、まだ構成論だった。
今日は違う。
『参考例一。』
『歌声で人を癒す歌姫。』
そこだけなら、むしろ普通の物語に聞こえた。
歌えば傷が癒える。病人が楽になる。戦場で傷ついた兵士を救うこともできる。
本人だって、きっと自分の歌を誇りにしている。
だからこそ。
次の記載が最悪だった。
『治癒能力の独占を目的とする者に誘拐される。』
『本人は複数回逃亡を試みる。』
『逃亡不能とするため四肢を重大に損壊。』
「……は?」
思わず読み直す。
変わらない。
『生命――維持。』
『意識――維持。』
『人格および記憶――維持。』
『発声能力――維持。』
『歌唱能力――維持。』
『治癒能力――維持。』
『自力移動能力――喪失。』
『単独逃亡――不能。』
「そこだけ選んで壊すのかよ……」
「ルーク! 起きてるなら降りてきな!」
階下から女将の声が飛んできた。
「今行きます!」
「パンが冷めるよ!」
「はい!」
閉じようとした頁に、さらに文字が増える。
『以後、本人の意思とは無関係に治癒の歌を継続させる。』
『負傷者治療。疾病治療。富裕層向け治療。その他、能力利用者の求めに応じて歌唱。』
『本人を治療設備として固定運用。』
『人間オルゴール。』
「……最悪だ」
歌えなくするんじゃない。
歌だけは、絶対に壊さない。
歌わせ続けるために。
*
「顔色悪いよ」
朝飯を食べ始めた途端、ミレアに言われた。
「寝不足?」
「寝たよ」
「じゃあ何だい、その顔は」
女将が焼きたてのパンを置く。
「ちょっと嫌なものを見たというか」
「朝から余計なもの見てないで食べな」
「はい」
向かいではリサが普通に食べている。
「また変なこと考えてただろ」
「最近そればっかり言われる」
「最近ずっとそんな顔してるからな」
「そんなに分かりやすい?」
「かなり」
普通の朝だった。
女将がパンを焼き、ミレアが店を手伝う。リサは今日受ける依頼を考え、セリアはもうギルドへ出ている。
遠方では成人した女たちが行方不明になったまま戻っていない。エルナも、文明を覚えたゴブリンたちも消えたままだ。
でも俺たちには、噂と日記帳の記載しか届かない。
ここでは何も起きていない。
その平和な朝のすぐ横で、日記帳だけが次の破滅を調べている。
「……」
「ルーク」
「はい?」
「パン」
「あ」
「握り潰す気かい?」
「すみません」
慌てて力を抜いた。
頭の中にはまだ、人間オルゴールという言葉が残っていた。
*
昼。
客足が途切れたところで、店の裏へ回ってもう一度日記帳を開いた。
朝の記載には続きがあった。
『参考例一――人間オルゴール型。』
『破滅前、歌姫は自身の能力を他者を救うための力として認識。歌う相手、場所、時刻について本人が選択する。歌唱行為そのものが本人の誇りおよび自己価値と結び付いている。』
『破滅後も能力そのものは失わせない。』
『本人は以前と同じ声で歌うことができ、以前と同じように他者を癒すこともできる。』
『ただし、歌うか否か、誰のために歌うか、いつ歌うかを本人が決定する権利のみを奪う。』
「……能力を奪う話じゃないんだ」
酷い目に遭わせるなら、その人にとって一番大切なものを奪う。
そんなものだと思っていた。
歌姫なら声を奪う。
もう二度と歌えない。
それだけでも十分に悲惨だ。
でも、この例は逆だった。
歌える。
ずっと歌える。
だから終わらない。
『能力喪失型ではなく能力保存型。』
『対象本人の価値を破壊するのではなく、価値を最大限保存した上で、その価値を本人の自己決定から切り離す。』
『本人の記憶および人格も維持する。』
『そのため本人は、破滅以前に自分がどのような意思で歌っていたかを理解し続ける。現在どのように歌わされているかについても理解し続ける。』
「そこまで残すのかよ……」
忘れない。
自分が歌を好きだったことも。
誰かを助けたくて歌ったことも。
感謝されたことも。
全部覚えている。
だから今との差も分かる。
『存命破滅としての評価。』
『生命――維持。』
『人格――維持。』
『記憶――維持。』
『能力――維持。』
『社会的有用性――維持または上昇。』
『自己決定権――重大な喪失。』
『元の生活への復帰――極めて困難。』
『破滅状態の長期継続――可能。』
最後の一文が増えた。
『参考点――破滅とは、必ずしも対象の価値を奪うことではありません。価値を保存したまま、その価値が誰のために存在するのかを変更する構造が成立します。』
歌は残る。
歌姫も生きている。
それでも、歌はもう本人のものじゃない。
「……嫌な参考例だな」
もちろん、何も返ってこない。
頁には次の文字が増え始めていた。
*
『参考例二。』
俺は一度閉じようとして、結局読んだ。
『キメラ製造を目的として捕らえられた成人女性。』
『各種魔物との融合処置により、人間としての身体を段階的かつ不可逆的に変化させる。』
『変化後の身体をさらにキメラ研究へ利用。』
『複数種の魔物との繁殖および出産を繰り返させ、異なる特徴を持つ次世代個体を製造。』
『本人――生存。』
『研究対象兼母体として継続利用。』
「……今度は身体か」
一つ目とは違う。
歌姫は能力を壊さなかった。
こっちは身体そのものを変える。
『参考例二――身体転用型。』
『第一段階――人間としての身体的同一性を不可逆的に変更。』
『第二段階――変更によって得られた新規身体機能を確認。』
『第三段階――当初目的に加えて、新たに利用可能となった機能を後続実験へ転用。』
『第四段階――変化後の身体を繁殖研究にも継続使用。』
『身体改造そのものを破滅の終点としない。』
「変えた後からが本番なのか……」
普通なら。
魔物と融合して姿が変わった。
それだけで一話。
元へ戻れるか。
戻れない。
そこで終わる。
でも日記帳が参考にしているのは、その後だ。
『一度発生した不可逆的変化を、次の物語展開の起点とする。』
『本人の生命、人格、記憶を一定程度維持。』
『そのため、本人は自身の身体が以前と異なること、および変化後の身体が別用途へ利用され続けていることを認識可能。』
『元の人間生活への完全復帰――困難。』
『変化後の状態を利用した物語継続――容易。』
また。
生きている。
覚えている。
自分が何だったかも分かっている。
だから戻れないことも分かる。
*
夕方。
リサが店へ顔を出した。
「飯ある?」
「それ俺に聞く?」
「女将にはもう聞いた」
「じゃあ何で聞いたの」
「会話だよ」
「雑すぎる」
少し遅れてセリアも帰ってくる。
「今日は?」
「荷馬車の護衛。何もなかった」
「最高」
「何だ、急に」
「何も起きない日っていいなと思って」
「今さらか」
セリアが呆れた。
女将も笑う。
「平和な日に文句を言うんじゃないよ」
「言いません」
本当に。
こっちは平和だった。
だから。
余計に。
日記帳の中だけ違う世界みたいだった。
*
食後、三つ目を読む。
『参考例三。』
『貴族社会に生きる成人令嬢。』
『政治的および社会的な罠によって失脚。名誉、身分、財産、信用を喪失。』
『その後、本人の意思に反して性的搾取を受ける立場へ転落。』
『本人は状況からの逃亡を望む。』
『しかし妹を守る必要があるため、自身のみが逃亡、自死、告発等によって状況から離脱することを選択不能。』
『かつてのライバルを含む旧知の人物の前でも、屈辱的な扱いを継続して受ける。』
「……これが一番きついかも」
魔物もいない。
特殊な身体改造もない。
人間社会の中だけで成立している。
そして。
本人には逃げたい意思が残っている。
『参考例三――希望維持型。』
『重要要素――妹。』
『妹への愛情は破壊しない。』
『姉として妹を守ろうとする意志も破壊しない。』
『本人の判断力、人格、記憶を維持。』
『その結果、本人は自身が破滅状態にあることを理解したまま生存を継続する。』
妹。
大事。
だから生きる。
だから逃げられない。
「強いから耐えられる、じゃないだろ……」
むしろ。
強いから続いてしまう。
『対象の生存理由を、対象自身の幸福から切り離す。』
『本人が最も大切にする対象を残存させ、その対象を守る意思を生存継続の理由として利用する。』
続きは、日記帳がルークに反応せず、参考例三の分析から四へ移る形でつなげます。文章は一人称・台詞多め・地の文短めの基準を維持します。
『本人が最も大切にする対象を残存させ、その対象を守る意思を生存継続の理由として利用する。』
『本人の希望――妹の安全。』
『本人自身の救済――優先されない。』
『妹が無事である限り、本人には生存を続ける理由が残る。』
『同時に、その理由によって破滅状態から自発的に離脱することも困難となる。』
「……希望まで使うのか」
妹がいる。
生きている。
守れている。
それだけ見れば、全部を失ったわけじゃない。
むしろ、その令嬢にとって一番大切なものだけは残されている。
だから死ねない。
逃げて自分だけ助かることもできない。
『破滅後も本人の人格は維持。』
『妹への愛情も維持。』
『貴族令嬢であった頃の記憶も維持。』
『旧知の人物を認識する能力も維持。』
『そのため、かつてのライバルと再会した場合、自身の現在の立場と過去の立場を双方認識可能。』
「そこまで残す必要あるのかよ……」
でも。
歌姫と同じだった。
忘れさせない。
壊し切らない。
昔、自分が誰だったのか分かるようにしておく。
だから、今との差が消えない。
『参考点。』
『対象の最重要人物を殺害する必要はありません。』
『むしろ存命させることで、対象自身の生存理由として長期利用可能です。』
『愛情を破壊するのではなく、愛情が存在すること自体を破滅状態の維持条件へ転換します。』
俺は頁から目を離した。
「……救いじゃないじゃん」
妹が生きている。
それ自体は救いだ。
でも、その救いを握ったまま。
姉だけ。
ずっと。
戻れない。
*
夜。
飯を食べながらも、その文章が頭に残っていた。
「ルーク」
「何?」
「さっきから全然食ってないぞ」
リサに言われて、自分の皿を見る。
「食べてるよ」
「三口で止まってる」
「考え事」
「また?」
「また」
向かいのセリアがパンをちぎる。
「最近多いな」
「色々あるんだよ」
「遠方の失踪のことか?」
「それもある」
あれも何も分からない。
エルナもゴブリンたちも消えたまま。
遠くで失踪した成人女性たちも戻ってこない。
俺には噂と日記帳の記載しか入らない。
なのに日記帳は、その話とは別に次の破滅を探している。
「考えてどうにもならないなら、飯は食べろ」
「セリアにまともなこと言われた」
「殴るぞ」
「ごめん」
「二人とも飯の時くらい静かにしな!」
女将に怒られた。
いつもの夕食。
こういうので。
いいんだけどな。
*
部屋へ戻って日記帳を開く。
四つ目が増えていた。
『参考例四。』
『若い頃、永遠の友情を誓って別れた成人男性二名。』
今度は女じゃなかった。
『二人は、それぞれ別の土地で人生を歩む。』
『長期間の離別後、双方が別々の経緯で捕らえられる。』
『肉体改造により身体的性徴を人為的に変更。』
『両性具有化。』
『さらに性的搾取を受ける立場へ固定。』
『長い年月を経て再会。』
『再会時、二人とも過去に想定していた身体、社会的立場、生活を既に喪失。』
『それでも互いを、かつて友情を誓った本人として認識する。』
「……何でこれを女性の破滅調査に入れたんだ」
少し下へ目を移す。
『参考対象――性別ではなくストーリー構造。』
「……」
会話じゃない。
俺への答えでもない。
単に最初から、そういう項目まで含めて分析しているだけだ。
『参考例四――関係保存型。』
『破壊対象は友情そのものではありません。』
『二人の再会も阻止しません。』
『過去の約束も消去しません。』
『むしろ、約束を実現させます。』
「再会はさせるのか」
昔。
また会おう。
絶対に。
そう言って別れた二人。
何年後か。
本当に。
再会する。
そこだけ聞けば、いい話だ。
『双方――生存。』
『双方――記憶維持。』
『双方――互いを認識。』
『友情――維持可能。』
『再会――達成。』
『ただし、約束を交わした時点で想定していた人生および再会の姿のみが失われています。』
「……」
ひどい。
約束は叶っている。
会えた。
相手も忘れていない。
それなのに。
昔想像した未来だけが。
どこにもない。
『構造上の特徴。』
『大切な人間関係そのものを破壊する必要はありません。』
『関係を保存したまま、関係を取り巻く状況のみを不可逆的に変化させます。』
『友情を維持することで、双方は相手を通じて過去の自分を想起可能。』
『結果、破滅以前と現在の差を相互に認識し続けることができます。』
歌姫と。
同じ。
覚えている。
だから。
分かる。
令嬢とも同じ。
大切なものが。
残っている。
だから。
終われない。
*
四つ。
全部。
頁の上に並んだ。
『参考例比較。』
『一――人間オルゴール。』
『保存対象――歌唱能力。』
『破壊対象――自由および自己決定。』
『二――キメラ母体。』
『保存対象――生命、人格、変化後の身体機能。』
『破壊対象――元の身体および人間としての生活。』
『三――失脚令嬢。』
『保存対象――妹、妹への愛情、記憶、本人の意志。』
『破壊対象――身分、社会生活、本人自身の尊厳ある生活。』
『四――旧友再会。』
『保存対象――友情、記憶、再会の約束。』
『破壊対象――双方が想定していた将来および再会時の立場。』
「……」
ようやく。
日記帳が何を見ていたのか分かった。
どれも。
全部を奪っていない。
逆。
一つか二つ。
絶対に。
残している。
『共通構造を抽出。』
『対象を死亡させない。』
『人格を完全には破壊しない。』
『過去の記憶を維持する。』
『破滅以前に本人が重要視していたものを、最低一つ残存させる。』
『能力。』
『身体機能。』
『家族。』
『愛情。』
『友情。』
『約束。』
『希望。』
最後。
希望。
まで。
残す。
『残存要素は、破滅後の本人にとって生存、行動、自己認識を継続する理由となります。』
『同時に、過去と現在を比較する基準として機能します。』
『したがって。』
『存命破滅では、すべてを奪うよりも、一部を意図的に残す方が長期展開へ接続しやすい。』
「……最悪な結論だな」
全滅。
じゃない。
全部。
壊す。
でもない。
少し。
残す。
その方が。
長く。
続く。
*
『上記四例について、そのままの展開は採用しません。』
そこだけ見て。
少し。
肩の力が抜けた。
『既存展開との重複および参考元への過度な接近を避けます。』
『歌姫の四肢損壊――不採用。』
『キメラ製造を目的とした強制繁殖――不採用。』
『性奴隷へ転落する令嬢――不採用。』
『両性具有化した旧友二名の性的搾取――不採用。』
よし。
なら。
少なくとも。
そのまま。
起きることはない。
『採用対象――物語構造のみ。』
安心した。
直後に。
安心できなくなった。
『採用要素。』
『一。対象を生存させる。』
『二。対象の人格および記憶を残す。』
『三。対象が破滅前に最も大切にしていたものを一つ以上残す。』
『四。その残存要素を、破滅後も本人が生き続ける理由とする。』
『五。本人が過去と現在を比較できる状態を維持する。』
『六。元の人生への完全復帰のみを不可能または極めて困難とする。』
「……」
表面だけ。
変える。
中身。
もっと。
嫌なところ。
残してる。
*
次の頁。
『次段階。』
『新規成人女性キャラクターを作成します。』
来た。
『初期条件。』
『現在の生活――安定。』
『本人――幸福。』
『職業――あり。』
『家族または重要な人間関係――あり。』
『将来計画――あり。』
『本人固有の価値――あり。』
『本人が失いたくないもの――明確化。』
そこ。
一番。
嫌な項目。
『破滅前の日常を先に描写します。』
『読者および本人が、「この生活は今後も続く」と認識可能な状態を形成します。』
『その後。』
『破滅展開を開始します。』
「……」
順番。
逆。
だろ。
人を作る。
その人に。
人生がある。
それから。
何が起きるか。
決まる。
普通なら。
でも。
日記帳。
先に。
壊し方。
調べた。
次。
壊すための。
普通の人生。
用意する。
*
『次話候補。』
『第五十一話 破滅させる女性の日常を作ります』
「題名から隠す気ないな……」
日記帳を閉じた。
歌姫は。
歌を残された。
キメラにされた女は。
命と記憶を残された。
令嬢は。
妹を残された。
二人の男は。
友情と約束を残された。
どれも。
救い。
みたいに。
見えるもの。
残ってる。
でも。
それを。
救いとして。
使ってない。
本人を。
生かし続ける。
理由として。
使ってる。
日記帳が。
次の女に。
何を。
残そうとしているのか。
まだ。
書かれていない。
ただ。
きっと。
その女にとって。
一番。
失いたくない何か。
なんだろう。
それだけは。
もう。
分かってしまった。
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