第四十四話 エルナは人里から消えた
朝。
エルナの席が空いていた。
「……また?」
前にもあった。
だから最初は、それほど慌てなかった。
「女将、エルナは?」
「知らないよ。朝にはいなかったね」
「剣は?」
セリアがすぐに立つ。
「部屋を見る」
「俺も――」
「ルークは待て」
「何で!」
「全員で動く必要はない」
数分後。
戻ってきたセリアの顔を見て、嫌な予感が強くなった。
「どうだった?」
「剣がない」
「登録証は?」
「ない」
「荷物は?」
「減ってる」
「じゃあ外出?」
「違うと思う」
「何で」
「部屋を片づけてる」
それで。
食卓の空気が変わった。
「片づけてるって?」
「着替えが二組残ってる。使っていた寝具も畳んである。借りていたものは机の上にまとめて置いてあった」
「……」
「出ていく人間の片づけ方だ」
胸元が熱くなる。
もう。
開く前から分かった。
「日記……」
黒い表紙を開く。
最初の一行。
『エルナは人里から消えた。』
「……は?」
次。
『社会復帰編を終了します。』
「勝手に終わらせるな」
『対象エルナは、王都を含む人間社会での生活継続を断念。』
『人里から自発的に離脱しました。』
「どこへ行った!」
『現在位置――非開示。』
「ふざけんな!」
「ルーク?」
リサが眉を寄せる。
「また嫌な予感?」
「……エルナ」
「何」
「出ていった」
「それは見れば分かる」
「そうじゃなくて」
言える範囲。
「戻るつもりがないかもしれない」
*
エルナの部屋。
確かに。
片づいていた。
物がないわけじゃない。
むしろ。
残っている物の方が不気味だった。
女将から借りた毛布。
食器。
洗った布。
薬。
全部。
返すものだけ。
きれいにまとめてある。
「自分のものだけ持っていったのか」
リサが呟く。
「……たぶん」
机。
紙。
一枚。
「手紙!」
俺が取ろうとする。
女将が先に取った。
「私宛てだよ」
「え?」
表。
『女将へ』
女将はその場で開く。
短い。
「何て?」
「……」
「女将?」
「自分で読みな」
渡される。
文字。
『世話になりました。』
『借りたものは部屋に置いてあります。』
『働いた分で足りない宿代と食費は、いつか返します。』
『探さないでください。』
『エルナ』
「これだけ?」
「ああ」
「何で!」
俺は紙を裏返す。
何もない。
「昨日まで普通だっただろ!」
「普通?」
リサ。
「……」
「普通だったか?」
言われて。
止まる。
化け物腹。
魔物腹。
街で。
何度も。
言われた。
冒険者へ戻っても。
一緒に組みたくない。
気持ち悪い。
そう言われた。
逆に。
魔物相手なら使える。
捕まっても生き残る。
そんな扱いまでされた。
そして。
昨日。
エルナは自分からゴブリンを選んだ。
本人が選んだ。
過去とは違う。
でも。
その事実が。
街へ知られたら。
「……日記」
開く。
*
『離脱理由を分析。』
「本人が書いた手紙には何もない」
『本人が理由を書き残す義務はありません。』
「……」
『推定要因。』
『一。』
『人間社会における継続的侮辱。』
『二。』
『過去の被害歴を根拠とした性的好奇心。』
『三。』
『冒険者としての能力よりも「魔物に長期間利用された女性」という属性が優先される環境。』
『四。』
『救出後に再度妊娠。』
『五。』
『自発的にゴブリンとの異種間性交を選択したことで、本人自身も「人間社会へ戻る」という目標を再検討。』
「だからって」
『六。』
『主人公から性的関係を拒否されたとの認識。』
「それは説明した!」
『一部修正済み。』
『完全には解消していません。』
「……」
『七。』
『ゴブリン群との自発的接触時。』
『対象は少なくとも一時的に、社会的評価から解放されたと認識。』
「解放……」
『ゴブリンは対象を「化け物腹」と呼ばない。』
『過去の被害について説明を要求しない。』
『本人が人間社会でどのように評価されているかを知らない。』
『ただし。』
文字。
『これはゴブリンが対象を人間として尊重したことを意味しません。』
「……」
『単に人間社会特有の評価体系を共有していないだけです。』
そう。
愛された。
とは。
限らない。
認められた。
とも。
限らない。
でも。
エルナにとって。
何も。
言われない。
それだけで。
楽だった。
*
「門」
セリア。
「確認するぞ」
「うん」
北門。
昨日。
エルナが戻ってきた門。
今日。
また。
出た。
「エルナ・ヴェイス?」
門番。
「ああ」
「今朝見た」
「何時!」
「日の出前」
「一人?」
「ああ」
「どっちへ?」
「北」
やっぱり。
「止めなかったの?」
「何で止める」
「だって!」
「成人だろ」
「……」
「冒険者登録証も持ってた。武器もある。出門理由も聞いた」
「何て」
「旅」
「どこへ」
「決めてない」
「それで通したの!?」
「ルーク」
セリアが俺を止める。
「門番は悪くない」
「でも」
「成人冒険者が旅に出るのを止める理由がない」
「……」
そう。
誘拐。
じゃない。
失踪。
でも。
ない。
自分で。
門を出た。
*
ギルド。
「依頼は?」
「受けてない」
「パーティー募集?」
「してない」
「何か聞いてない?」
受付。
顔。
暗い。
「昨日来た」
「何時」
「閉館前」
「何しに」
「登録情報の確認」
「何の?」
「所属地」
「……」
「冒険者って」
受付。
紙。
「王都を拠点から外しても資格維持できるかって」
「何て答えた」
「できる」
「……」
「冒険者はどこに住んでもいい」
「他には?」
「依頼を長期間受けなくても失効するか」
「……」
「一定期間なら問題ないって答えた」
「それだけ?」
「それだけ」
「何で!」
「何でって」
「気づかなかったの!?」
受付。
俺を見る。
「何に」
「出ていくって!」
「ルーク」
「……」
「本人は」
受付。
静か。
「出ていくって言ってない」
「……」
「聞かれたことに答えただけだ」
「でも」
「それに」
少し。
顔。
苦くなる。
「気づいてたとして」
「……」
「俺に何ができた」
止まる。
「『人里から出るな』って命令する?」
「……」
「エルナを?」
できない。
それ。
また。
誰かが。
決める。
*
パン屋へ。
戻る。
日記帳。
『追跡展開を検討。』
「追う」
『非推奨。』
「何で!」
『対象エルナは誘拐されていません。』
「知ってる」
『洗脳されていません。』
「……」
『魔術的強制なし。』
『脅迫なし。』
『本人の判断による離脱。』
「だからって!」
『主人公が即座に追跡し連れ戻した場合。』
『対象の自己決定を否定する展開になります。』
「……」
それ。
ずるい。
俺が。
今まで。
守ろうとしてきた。
言葉。
『本人が決める』
それを。
使う。
「じゃあ放っておけって?」
『いいえ。』
「何」
『探すことと、連れ戻すことは別です。』
「……」
『本人の安全確認。』
『意思確認。』
『帰還意思がない場合の対応。』
『以上は実施可能。』
「なら探す」
『ただし。』
「何」
『対象は「探さないでください」と明記。』
「……」
手紙。
見る。
確かに。
書いてる。
*
「行く」
リサ。
「え?」
「探す」
「でも」
「連れ戻さない」
「……」
「無事か確認する」
セリアも。
「私も行く」
「セリア」
「今の私は戦える」
「でも回復」
「何日前の話だ」
「……」
「全部戻ったとは言わん」
剣。
「だがエルナを探しに行けないほどじゃない」
女将。
腕。
組む。
「行ってきな」
「女将」
「ただし」
「何」
「連れて帰ることを目的にするんじゃないよ」
「……」
「本人と話してきな」
「はい」
「あと」
手紙。
指。
「宿代返すなんてふざけたこと書いたから」
「うん」
「見つけたら言っとけ」
「何て」
「働いた分でとっくに足りてるって」
少し。
笑う。
「はい」
*
その夜。
準備。
北。
どこまで。
行った。
分からない。
日記帳。
『対象位置について。』
「教えて」
『非開示。』
「何で」
『追跡難度を維持。』
「作品都合!」
『はい。』
「……」
『ただし、痕跡は残します。』
「何」
次。
『エルナは人里から消えた。』
また。
同じ一文。
「分かってる」
『王都から消えた、ではありません。』
「……」
読む。
『村へ移住したわけではありません。』
『別の都市へ移動したわけでもありません。』
『家族のいるローデンへ帰郷したわけでもありません。』
『宿場町へ滞在しているわけでもありません。』
「じゃあ」
『人里から消えました。』
意味。
理解。
したくない。
「森?」
『可能性――あり。』
「山?」
『可能性――あり。』
「魔物領域?」
少し。
止まる。
『可能性――高。』
「……」
*
次の日。
北。
旧街道。
三人。
俺。
リサ。
セリア。
痕跡。
少ない。
「こっち」
セリア。
道。
外れる。
「街道じゃない」
「分かってる」
「エルナ」
足跡。
「自分から森へ入ってる」
それ。
偶然。
道。
間違えた。
じゃない。
しばらく。
進む。
木。
一つ。
傷。
「剣?」
「目印だ」
「エルナの?」
「たぶん」
次。
また。
傷。
「……」
「探すなって」
俺。
「書いたのに」
「痕跡残してる」
リサ。
「どういうこと」
「さあな」
セリア。
「本人も」
木。
見る。
「見つけてほしくないのか」
「……」
「見つけてほしいのか」
「……」
「決めきれてないんじゃないか」
*
昼。
森。
深い。
人。
いない。
畑。
ない。
家。
ない。
道。
消える。
「ここから」
リサ。
「完全に人里じゃない」
「うん」
足跡。
まだ。
ある。
そして。
地面。
別。
小さい。
「ゴブリン」
セリア。
「何匹」
「複数」
「エルナと」
「同じ方向」
胸。
冷える。
「追われた?」
「違う」
セリア。
跡。
「エルナが先じゃない」
「……」
「混じって歩いてる」
「一緒?」
「可能性高い」
俺。
昨日。
思い出す。
エルナ。
ゴブリン。
自分で。
選んだ。
途中で。
止めた。
帰った。
でも。
その後。
また。
*
胸元。
熱。
『状況更新。』
「……」
『対象エルナ。』
『人間社会から離脱。』
『ゴブリン群との接触――継続。』
「捕まってない?」
『拘束なし。』
「脅されてる?」
『なし。』
「本人が?」
『はい。』
返事。
みたい。
文字。
『対象本人が、人里を避ける生活を選択しています。』
「何で」
『現時点の本人認識。』
次。
『人間の中では、何をしても「化け物腹」として見られる。』
『魔物の中では、少なくともその呼称を使用されない。』
「……」
『対象は後者を心理的負荷の少ない環境と判定。』
「それ」
幸せ。
じゃない。
『幸幸福判定は実施していません。』
「……」
『負荷比較のみ。』
人間。
より。
魔物。
その方が。
楽。
そんなところまで。
追い込んだ。
*
夕方。
足跡。
途切れた。
「何で」
川。
「水に入った」
セリア。
「向こう?」
「分からん」
「探す」
「暗くなる」
「探す!」
「ルーク」
「何!」
「死ぬぞ」
「……」
「明日」
「でも」
「明日探す」
リサ。
「私もそう思う」
「……」
野営。
する。
火。
小さい。
「エルナ」
俺。
「何してるんだろ」
「分からん」
セリア。
「ゴブリンと一緒?」
「分からん」
「怖くないのかな」
リサ。
「怖いと思う」
「なら」
「でも」
火。
見る。
「人間も怖くなったんだろ」
「……」
誰が。
そうした。
ゴブリン。
オーク。
もちろん。
でも。
それだけ。
じゃない。
*
夜。
日記帳。
開く。
『第四十六話進行状況。』
「……」
『エルナは人里から消えた。』
三回目。
『主人公一行――追跡中。』
『対象――生存。』
『本人意思――維持。』
『社会復帰――中断。』
『冒険者資格――維持。』
『人間関係――切断中。』
「切断」
『女将との関係――本人側から距離。』
『主人公との関係――本人側から距離。』
『リサ――同様。』
『セリア――同様。』
『家族――帰郷せず。』
「……」
『重要。』
文字。
『対象は「人間を憎んだ」わけではありません。』
「じゃあ」
『疲れました。』
それだけ。
だった。
「……」
『自分について説明すること。』
『過去の被害を否定すること。』
『現在の選択を説明すること。』
『好奇の目に耐えること。』
『同情されること。』
『警戒されること。』
『利用されること。』
『救われた被害者として振る舞うこと。』
『以上に疲弊。』
「……」
『したがって。』
『説明を要求しない場所へ移動。』
人間の。
いない。
場所。
*
次の頁。
『次話候補。』
『第四十七話 人間でなくてもいい』
「……」
嫌。
な。
題名。
『対象エルナが、自身の帰属先を再定義します。』
「勝手に決めるな」
『対象自身が決定します。』
「……」
また。
それ。
一番。
止めにくい。
言葉。
エルナ自身が。
決める。
もし。
見つけて。
「帰らない」
そう。
言われたら。
俺は。
何を。
言える。
火。
向こう。
真っ暗な。
森。
そのどこか。
エルナ。
いる。
生きてる。
でも。
『人里から消えた』
日記帳は。
もう。
そう。
書いた。
明日。
見つけても。
エルナが。
帰ってくるとは。
どこにも。
書いていなかった。
この作品の品質向上のため、ぜひ感想をお寄せください。今後の展開・キャラクター・構成・描写方針の参考として利用します。
`https://novelcom.syosetu.com/impression/list/ncode/3306613/?ref=ncodeheader`




