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世界改稿日記 ~なろうによる世界破綻~  作者: 黒瀬 量衡


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第四十一話 放っておくと生まれてしまう

 夜中、鈍い音で目が覚めた。


 どん、と一度。しばらく間があって、また、どん。


「……何だ?」


 寝台から起き上がって耳を澄ます。廊下の向こうからだ。


 また音がした。


 エルナの部屋。


 嫌な予感がして、俺は寝間着のまま廊下へ飛び出した。


「エルナ? 起きてる?」


 返事はない。


 代わりに、また鈍い音がした。


「エルナ!」


 扉を開ける。


 部屋は暗かった。月明かりの中、エルナが寝台の端に座っている。


 片手を腹に置いていた。


 もう片方の手は、拳になっていた。


「何してるんだ!」


 俺が駆け寄った瞬間、エルナはもう一度、自分の腹へ拳を振り下ろそうとした。


 その腕を掴む。


「離せ」


「離すわけないだろ!」


「ルーク、離せ」


「何してるんだって聞いてる!」


 エルナは俺を見た。


 泣いてはいなかった。


 怒ってもいない。


 ただ、追い詰められた人間の目をしていた。


「下ろすんだ」


「……何を?」


「決まってるだろ」


 エルナは自分の腹を見下ろした。


「この中にいる、ゴブリンの赤ん坊だ」


 背筋が冷えた。


「そんなことしたって――」


「放っておいたら生まれる」


「エルナ」


「生まれるんだよ!」


 突然、声が跳ね上がった。


「前もそうだった! 最初は何も分からない。しばらくすると腹が大きくなって、動き始めて、それで最後には出てくる!」


 息が荒くなる。


 俺が掴んでいる腕まで震えていた。


「だから、その前にどうにかしないと駄目なんだ」


「自分の身体を殴ってどうにかしようとするな!」


「じゃあどうすればいい!」


「神官に――」


「産めって言われたら!?」


 俺は言葉を失った。


「『もう宿っているから仕方ない』って言われたらどうする。『生まれるまで待て』って言われたら? 私はまた、腹が大きくなるのを毎日見てろっていうのか?」


「……」


「嫌だ」


 さっきまで強かった声が、一気に小さくなった。


「もう嫌なんだよ」


 エルナが拳を握り直す。


「だから離してくれ」


「それでも離さない」


「ルーク」


「嫌われても離さない」


 そのまま押し問答をしていると、廊下から足音がした。


「何だ、この騒ぎは」


 リサだった。


 寝起きの顔で部屋へ入ってきたリサは、俺がエルナの腕を掴んでいるのを見て、次にエルナの腹を見た。


「……自分で殴ったのか」


 エルナは答えなかった。


「何回だ?」


「知らない」


「今日だけか?」


 沈黙。


「昨日も?」


 まだ黙っている。


 やがて、エルナがぽつりと言った。


「三日くらい」


「三日!?」


 俺の声に、エルナが顔をしかめた。


「夜だけだ」


「夜だけならいいみたいに言うな!」


「言ったら止めるだろ」


「当たり前だ!」


「だから言わなかった!」


 また声が大きくなる。


 その騒ぎで、セリアとミレア、それに女将まで起きてきた。


「何事だい」


 女将が部屋を覗き込み、状況を見て眉間に皺を寄せた。


「……神官を呼ぶよ」


「嫌だ」


「呼ぶ」


「嫌だ!」


「腹を殴ってる奴の『大丈夫』なんて信用できるかい」


 女将はぴしゃりと言った。


 エルナが唇を噛む。


「もし神官に、産むしかないって言われたら?」


 女将はすぐには答えなかった。


 だが、少しして言った。


「その時は、お前がどうしたいかを先に聞く」


「……」


「神官が決めるんじゃない。私が決めるんでもない。まず、お前だ」


 エルナの肩から、ほんの少し力が抜けた。


     *


 夜中にもかかわらず、以前エルナを診た女性神官が来てくれた。


 診察の間、俺たちは廊下へ出された。


 しばらくして呼ばれる。


「今すぐ命に関わるような状態ではありません。ただし、これ以上、自分で腹部を傷つける行為は絶対に続けないでください」


 神官の言葉に、エルナは腹へ手を置いた。


「じゃあ、どうすればいい」


「何についてですか?」


「この妊娠を終わらせたい」


 部屋が静かになる。


「できますか」


 神官は少し考えてから頷いた。


「あなたの意思を確認した上で、取れる選択肢を検討できます」


「……産まなくてもいい?」


「最初から、産むと決まっているわけではありません」


 エルナの目が大きくなる。


「本当に?」


「はい。少なくとも、自分の身体を傷つける必要はありません」


 その瞬間だった。


 エルナの顔が崩れた。


「……何だよ」


「エルナ?」


「それ……先に言ってくれよ」


 両手で顔を覆う。


「誰か、先に言ってくれよ……」


 誰に向けた言葉なのかは分からなかった。


 一年間、誰にも選ばせてもらえなかった。


 だから今も、自分には「産む」以外の選択肢なんてないと思っていたのかもしれない。


     *


 神官が帰ったあと、女将は宣言した。


「今夜は一人で寝かせないよ」


「子供じゃない」


「大人でも危ない時はある」


「……」


「誰か選びな」


「何を?」


「今夜、そばにいる奴だよ」


 エルナは俺たちを順番に見た。


 セリア。ミレア。俺。


 最後にリサ。


「……リサ」


「私か」


「嫌ならいい」


「いいぞ」


 即答だった。


「じゃあ決まりだね」


 女将が全員を追い出す。


 俺も部屋へ戻った。


 けれど、眠れるわけがなかった。


 寝台へ座っていると、胸元が熱くなる。


「今度は何だよ……」


 日記帳を開く。


『対象エルナ。』


『妊娠に対する拒絶――極めて強い。』


『自身の身体を傷つける行為――発生。』


『主人公一行の介入により中断。』


『神官による医療的介入――開始。』


 そこまではいい。


 次の文字で、嫌な予感がした。


『追加問題。』


『エルナは妊娠そのものだけでなく、自身の身体を再び「魔物に利用された身体」として認識している。』


「……」


『身体に対する自己嫌悪への対処を検討します。』


 さらに文字が続く。


『既存キャラクターの類似事例を参照。』


『リサ。』


「やめろ」


 リサは、スライムに襲われたあと、自分の身体の反応を信用できなくなった。


 その後、俺との関係の中で少しずつ、自分の意思と身体を結び直した。


 でも。


「同じじゃないからな」


『同一ではありません。』


「だから返事みたいに書くな」


『比較のみ実施。』


 そこまで読んで、俺は日記帳を閉じた。


 嫌な方向へ話を作られる前に。


     *


 翌朝。


 リサはかなり眠そうな顔で食卓へ下りてきた。


「エルナは?」


「まだ寝てる」


「夜は?」


「二回起きた」


「……また腹を?」


「一度やろうとした。止めた」


「そっか」


「そのあと、腹を触って『まだいる』って泣いてた」


 俺は何も言えなくなった。


 リサがパンを千切る。


「身体の処置は神官に任せろ」


「分かってる」


「問題はそのあとだな」


「そのあと?」


「エルナが自分の身体をどう思うか」


「……」


「私も、少し似た時期があった」


「同じじゃないよ」


「分かってる」


 リサはあっさり認めた。


「でも、身体が自分のものだと思えなくなるところは少し分かる」


「どうしたらいいと思う?」


「私と同じようにすればいいんじゃないか」


「何を?」


 リサは普通の顔でパンを食べた。


「ルークと肉体関係を持つ」


「ぶっ!」


 思い切りむせた。


「何言ってんの!?」


「聞こえただろ」


「聞こえたから驚いてる!」


「私には、それが助けになった」


「だからってエルナにもやらせる気!?」


「今すぐやれなんて言ってない」


「なら言うなよ!」


「最後まで聞け」


 リサが呆れたように俺を見る。


「私の場合は、自分で決めた。誰に触られるかも、どこまで許すかも、途中でやめるかどうかも」


「……」


「それが大きかった」


「でもエルナは今、誰にも触られたくないかもしれない」


「なら、しなければいい」


 即答。


「いつか本人がそうしたいと思ったら、そういう選択もあるってだけだ」


「……治すためじゃなく?」


「当たり前だ」


 リサは眉を寄せた。


「治療だと言って抱くのは違うだろ」


 そこは。


 ちゃんと分かっていた。


「私はよかった。だからってエルナも同じとは限らない」


 その時だった。


「ならない」


 後ろから声がした。


 エルナ。


 いつからいたんだ。


「聞こえてた?」


「肉体関係のところから」


「一番まずいところ!」


 エルナが俺を睨む。


「何でお前が慌てる」


「俺の話でもあるから!」


「まあ、そうだな」


 リサは平然としている。


 エルナが椅子へ座った。


「私は無理だ」


「そうか」


 リサはパンを食べる。


 終わり。


 エルナの方が戸惑った。


「……それだけ?」


「何が」


「勧めたんだろ」


「断っただろ」


「ああ」


「なら終わりだ」


「説得しないのか?」


「する理由がない」


 リサがエルナを見る。


「私にはよかった。エルナには嫌だった。それだけだ」


「……」


「似てるところはある。でも、私じゃない」


 少し置いてから言う。


「エルナだ」


 その言葉に、エルナはしばらく黙った。


     *


「一つ聞いていいか」


 朝食の途中、エルナが言った。


 リサが頷く。


「何でも」


「ルークとそういうことをするの、怖くなかったのか?」


 俺は席を外したくなった。


 でもリサは普通に答える。


「最初は怖かった」


「なのに、何で?」


「したかったから」


「……」


「私が選んだ」


 リサは自分を指した。


「途中で嫌になったらやめる。それも最初から決めてた」


「ルークは止まるのか?」


「止まる!」


 俺が即答すると、二人ともこっちを見る。


「何だよ!」


「聞いただけだ」


「聞かれたから答えた!」


「そうか」


 エルナは少しだけ考えた。


「私は今、誰にも触られたくない」


「なら、それでいい」


「でも」


 自分の腹へ目を落とす。


「自分にも触られたくない」


 拳になりかけた手を、エルナ自身が見つめた。


「この腹が嫌いだ」


 リサの顔から軽さが消えた。


「それは、少し分かる」


「そうなのか」


「ああ。今でも自分の身体を全部好きなわけじゃない」


「……」


「でも、嫌いだからって壊すな」


 エルナが苦笑する。


「自分のものだから壊したくなるのに?」


「自分のものだから壊すな」


「逆じゃないか」


「面倒だろ」


「面倒だな」


 二人。


 少しだけ笑った。


 リサが続ける。


「好きになれなんて言わない。ただ、今はまだ自分の身体なんだってことまで捨てるな」


 エルナは自分の腹へ手を置こうとして――途中で止めた。


 それから、握っていた指をゆっくり開いた。


「……今日は殴らない」


「今日だけか」


「明日のことまで約束すると腹が立つ」


「じゃあ今日は」


「ああ」


 エルナが頷く。


「今日は殴らない」


 胸元が熱くなった。


 日記帳を開く。


『対象エルナ。』


『自己身体への敵意――継続。』


『自傷行動――本日停止を本人が選択。』


『リサによる経験共有――有効。』


『主人公との肉体関係――現時点では本人が明確に拒否。』


『候補から除外。』


「よし」


『今後、本人の意思が変化しない限り再提示しません。』


「それでいい」


 日記帳は、そこで一度止まった。


 次の文字。


『本話の主題を整理。』


『エルナが恐れているのは、単にゴブリンの子を産むことではない。』


『自身の身体について、再び自分以外に決定されること。』


「……」


『したがって回復の中心は、何を選択するかではなく、誰が選択するか。』


 それなら。


 たぶん。


 今回は間違っていない。


 エルナは昨日まで、腹の中にあるものをどうにかするため、自分の身体まで敵にしていた。


 今日。


「殴らない」


 それも。


 誰かに命令されたからじゃない。


 自分で決めた。


 産むか。


 産まないか。


 誰かに触れられるか。


 触れられないか。


 冒険者を続けるか。


 やめるか。


 答えはまだ何も出ていない。


 でも。


 答えを出す人間だけは。


 決まっている。


 エルナだ。


『次話候補。』


『第四十四話 産むかどうかは私が決める』


「……」


 嫌な題名ではない。


 そう思った直後。


『ただし、アクセス推移に応じて展開速度を調整します。』


「最後にそれを書くなよ!」


「朝からうるさいぞ」


 セリアが厨房から顔を出した。


「何でもない!」


「最近そればっかりだな」


 本当に。


 何でもない日が。


 そろそろ欲しい。


 この作品の品質向上のため、ぜひ感想をお寄せください。今後の展開・キャラクター・構成・描写方針の参考として利用します。


`https://novelcom.syosetu.com/impression/list/ncode/3306613/?ref=ncodeheader

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