第三十六話 身体を取り戻す方法
朝。
「セリア」
「何だ」
「自分は?」
「セリア」
「俺は?」
「ルーク」
「身体は?」
「私の」
即答。
俺は。
そこで。
少しだけ息を吐いた。
「昨日より早い」
「毎朝これやるのか?」
「当分」
「面倒だな」
「その文句が出るなら調子いいよ」
「何だそれ」
セリアが。
自分の右手を見る。
握る。
開く。
「……」
「どう?」
「昨日よりは」
「うん」
「これが私の手だって分かる」
「本当?」
「ああ」
今度は。
左。
「こっちも」
「足は?」
「たぶん」
「たぶん?」
「立ててるんだから私のだろ」
「理屈で判断してる!」
「悪いか」
「いや」
悪くない。
むしろ。
昨日までは。
その理屈すら。
なかった。
胸元。
熱。
開く。
『回復経過を確認。』
『自己名称――保持。』
『視覚的自己認識――回復傾向。』
『身体所有感――部分回復。』
『身体位置感覚――改善。』
『内臓感覚の自己帰属――不安定。』
「最後が残ってるか」
『主人公による継続的介護――有効。』
『ただし、他者から「これはあなたの身体です」と教え続けるだけでは、対象自身による自己所有感の再構築が遅い。』
「……」
『次段階。』
『対象自身が身体を使用し、その結果を自身の行為として認識する経験を増加させます。』
「自分で使う?」
その瞬間。
セリアが言った。
「剣振ってくる」
「今!?」
「何で驚く」
「療養中!」
「身体を確認したい」
俺は。
日記を見る。
『推奨。』
「お前ら打ち合わせしてないよね!?」
「何言ってる」
「何でもない!」
*
パン屋の裏。
剣。
セリア。
構える。
俺とリサ。
少し離れて見る。
「無理するなよ」
「分かってる」
「本当に?」
「しつこい」
剣。
上。
振る。
止める。
横。
踏み込む。
二撃。
三撃。
「……」
動き。
速い。
以前の。
セリア。
そのまま。
「身体」
セリアが呟く。
「分かる?」
「ああ」
一歩。
「右足」
踏む。
「左」
送る。
「腰」
回す。
「肩」
剣。
振る。
「手」
止める。
剣先。
ぴたり。
「全部」
息。
「繋がってる」
「うん」
「私が動かした」
「そうだよ」
セリアが。
もう一度。
振る。
速い。
鋭い。
「これ」
「何?」
「覚えてる」
「剣術?」
「ああ」
「九年分?」
「全部とは言わない」
構える。
「でも」
踏み込む。
斬る。
「これをやってきたのは」
止める。
「私だ」
胸元。
熱。
『身体所有感――上昇。』
「……よし」
*
「次」
セリアが言った。
「何するの?」
「走る」
「まだやるの!?」
「歩くだけじゃ足りない」
「リサ!」
「好きにさせろ」
「そっち側!?」
「自分の身体だって確認したいんだろ」
セリア。
頷く。
「そうだ」
走る。
裏庭。
一周。
二周。
三周。
「セリア!」
「何だ!」
「速い!」
「知ってる!」
「調子乗るな!」
「誰が!」
四周目。
止まる。
息。
荒い。
「はあ……」
「大丈夫?」
「ああ」
「胸苦しくない?」
「苦しい」
「え!」
「走ったからだ」
「そういう意味か!」
「心臓」
胸。
「速い」
「怖い?」
少し。
考える。
「昨日ほどじゃない」
「どうして?」
「私が走ったから」
「……」
「走った」
胸。
どく。
どく。
「だから速くなった」
「うん」
「原因が」
少し。
笑う。
「私だ」
昨日は。
勝手に動く心臓が。
知らない何かみたいだった。
今日は。
自分が走った。
だから。
自分の心臓が速く動く。
『内臓感覚と自己行動の因果接続――回復。』
「……なるほど」
*
昼。
食事。
セリアは。
昨日より普通に食べた。
「どう?」
「腹減った」
「誰が?」
わざと。
聞く。
セリアが睨む。
「私だ」
「よし」
「子供扱いするな」
「確認!」
パン。
食べる。
肉。
食べる。
水。
飲む。
「胃」
「私の」
「空腹」
「私の」
「今は?」
「少し満たされた」
「誰が?」
「殴るぞ」
「セリアが!」
「分かってるなら聞くな!」
リサが。
横で笑った。
「いいじゃないか」
「何が」
「戻ってきてる」
セリア。
止まる。
「……そうか?」
「ああ」
自分の手を見る。
「戻るって」
「何?」
「どこに戻るんだろうな」
「元のセリア」
「元」
少し。
考える。
「全部元に戻らなくてもいい」
「セリア?」
「今の私が」
手。
握る。
「これを私だって思えるなら」
「……」
「それでいい」
俺は。
何も言わなかった。
*
午後。
セリアは。
自分の部屋を片づけ始めた。
「それ何?」
「私の服」
「分かる?」
「ああ」
「これは?」
「予備の剣帯」
「これは?」
「昔使ってた手袋」
「誰の?」
「私の!」
「よし!」
「お前楽しんでるだろ!」
「ちょっと!」
「殴るぞ!」
怒る。
普通に。
怒る。
でも。
途中。
一つ。
止まった。
「これ」
小さな布袋。
「何?」
「分からない」
「開ける?」
「ああ」
中。
木片。
六枚。
一枚だけ。
割れている。
セリア。
黙る。
「……」
「思い出した?」
「たぶん」
六人。
昔の。
パーティー。
「仲間?」
「ああ」
木片。
一人一枚。
簡素な。
印。
「五人死んだ」
「うん」
「私は生きた」
「うん」
昨日なら。
『六人で洞窟へ入り、五人死亡し、一人が生存した』
そこまでしか。
繋がらなかった。
「これ」
セリアが。
割れた一枚を握る。
「誰の?」
「私の」
即答。
そして。
残り五枚。
「こいつらは」
「うん」
「私の仲間だった」
「……」
声。
震える。
「私が」
一人。
生き残った。
「覚えてる?」
「ああ」
目。
閉じる。
「嫌なくらい」
「……」
俺は。
嬉しいとは。
言えなかった。
悲惨な記憶。
それが戻ることまで。
回復なのか。
分からない。
でも。
セリアは。
五枚を。
自分の胸へ。
抱いた。
「これは」
「うん」
「私の記憶だ」
泣く。
「私が」
涙。
「失ったんだ」
その涙は。
誰か知らない女のためじゃない。
自分の。
仲間のため。
だった。
*
胸元が。
熱くなる。
『自己経歴の再帰属――一部成功。』
「……」
『身体使用。』
『内臓感覚との因果接続。』
『過去の強い情動。』
『以上により自己帰属の改善を確認。』
そして。
そこで。
前から何度も出ていた項目を。
日記がまとめ始めた。
『親密な身体接触による自己認識補助について、ここで一度整理します。』
「……嫌な予感」
『候補。』
『一――手を握る。』
『二――抱擁。』
『三――身体位置を言語確認しながら接触。』
『四――より強い親密な身体接触。』
『五――性行為。』
「最後だけ急だな!」
『目的は共通。』
『自身の身体と他者の身体を同時に認識することで、自己と他者の境界を明確化する。』
『特に性行為は、触覚、体温、圧覚、呼吸、心拍、情動、身体への注意を同時に発生させるため、刺激強度は高い。』
「だからって第一候補にするな」
『再評価。』
文字が変わる。
『当初。』
『安直ながら、性行為による自己認識を第一候補としていた。』
『現在。』
『剣術、運動、食事、記憶の再帰属によって、性行為を用いずとも回復が進行。』
「それでいい」
『したがって、自己認識回復のための手段としての優先順位を引き下げます。』
「よし」
『以後、性行為を「治療」「介護」「必要な回復手段」として反復提示しない。』
「最初からそうして!」
『ただし。』
「……」
『主人公ルーク――成人。』
『セリア――成人。』
『対象が自己確認とは独立して主人公との性的関係を望み、主人公も同意した場合。』
『それは回復手段ではなく、自己認識を取り戻しつつある成人女性自身による関係選択として成立可能。』
俺は。
少し。
日記を見る。
『整理完了。』
「……これで終わり?」
『当該候補については、新たな状況変化が発生するまで再評価しません。』
「やっと!」
これで。
少なくとも。
何をするたびに。
そこへ。
話を戻されなくなる。
*
夕方。
セリアが。
風呂から戻ってきた。
「ルーク」
「何?」
「ちょっと」
「どうした?」
手。
髪。
「これ」
「髪?」
「ああ」
「セリアの」
「分かってる」
「おお」
「その反応腹立つな」
「いや、嬉しくて」
「でも」
髪。
指で。
触る。
「長さ」
「うん」
「覚えてなかった」
「俺も」
「今は?」
見る。
「これくらい」
「当たり前だろ、見えてるんだから」
「そうだけど」
「じゃなくて」
「何?」
「鏡見て」
止まる。
「少し」
「うん」
「自分の顔だと思えた」
「……本当?」
「ああ」
「どこで?」
「目」
「目?」
「見たことある気がした」
「自分なんだから!」
「それが分からなかったんだろ」
「……そうだった」
セリア。
鏡。
「まだ」
「うん」
「全部じゃない」
「うん」
「でも」
自分。
指す。
「これ」
「うん」
「たぶん私だ」
「たぶん取れないね」
「急かすな」
「ごめん」
「そのうち取る」
「……うん」
*
夜。
セリア。
俺の部屋。
「今日も?」
「ああ」
「一人で眠れる?」
「たぶん」
「なら」
「でも来た」
「……」
「何だ」
「いや」
「帰った方がいいか?」
「違う」
セリア。
椅子。
座る。
「今日は」
「うん」
「確認しに来たんじゃない」
「……」
その言葉。
前にも。
別の誰かから。
聞いた。
リサだ。
「じゃあ何?」
「話」
「うん」
「お前と」
「……」
「したくなった」
「そっか」
「ああ」
少し。
沈黙。
「今日」
「うん」
「剣振った」
「うん」
「走った」
「うん」
「食べた」
「うん」
「昔の仲間思い出した」
「うん」
「鏡も見た」
「うん」
「全部」
胸。
「私だった」
「そうだね」
「でも」
俺を見る。
「一つ」
「何?」
「まだ変なのがある」
「どこ?」
「そこ」
「え?」
「お前」
「俺?」
「ああ」
意味。
分からない。
「ルークは」
「うん」
「私にとって何だ」
「……」
それ。
俺が答えるの?
「一緒に住んでる」
「それは知ってる」
「仲間」
「それも」
「友達?」
「たぶん」
「たぶん!?」
「いや」
セリア。
少し。
笑う。
「お前が決めるな」
「……」
「これは」
自分。
「私が決めることだろ」
「そうだね」
昨日まで。
何でも。
俺に教えさせていた。
名前。
身体。
経歴。
今日は。
初めて。
俺に聞いた後。
「お前が答えるな」
と言った。
「……それ」
「何」
「すごく大事かも」
「何が」
「セリアが決めるって言ったこと」
「当たり前だ」
「その当たり前が!」
「うるさい」
「ごめん!」
*
「なあ」
しばらくして。
セリアが聞いた。
「何?」
「前」
「うん」
「私」
止まる。
「お前の腕掴んで寝てたんだよな」
「うん」
「怖くて」
「そう」
「それ」
少し。
考える。
「私がやった?」
「そうだよ」
「……」
「覚えてる?」
「映像みたいには」
「うん」
「でも」
自分の手。
「やった気がする」
「……」
セリアが。
俺の腕。
掴む。
「これ」
「うん」
「同じ?」
「だいたい」
「そうか」
そのまま。
離さない。
「セリア?」
「もうちょっと」
「うん」
昨日までなら。
身体があることを。
確かめるため。
今日は。
違う。
「何で掴んでるの?」
聞く。
「……」
「確認?」
「違う」
「怖い?」
「それも違う」
「じゃあ」
「私が」
手。
俺の腕。
「そうしたいから」
「……」
胸元。
熱。
『対象は身体確認を目的とせず、自身の意思によって主人公との接触を選択。』
『「自分が何をしたいか」という欲求認識――回復。』
それだけ。
さっき整理した候補には。
戻らない。
今。
大事なのは。
こっちだ。
*
「ルーク」
「何?」
「もう一つ」
「うん」
「聞いていいか」
「何でも」
少し。
間。
「私は」
セリア。
俺を見る。
「前から、お前のこと好きだったか?」
「……」
知らない。
「俺には分からない」
「ああ」
「たぶん」
考える。
「安心する相手ではあったと思う」
「そうか」
「でも恋愛かは」
「分からない?」
「うん」
「よかった」
「何が?」
「お前が」
小さく。
笑う。
「勝手に決めなかった」
「……」
「今の私が」
胸。
「決める」
「うん」
「過去の私がどうだったか」
「うん」
「分からないなら」
俺を見る。
「今から決めればいい」
「……そうだね」
胸元。
熱。
『対象による自己決定――増加。』
『回復指標として高く評価。』
今日は。
それだけで。
よかった。
*
セリアが。
部屋へ帰る。
「一人で寝る?」
「ああ」
「大丈夫?」
「怖かったら来る」
「うん」
「それも」
「何?」
「私が決める」
「分かった」
扉。
閉じる。
俺。
一人。
日記帳。
『本日の結果。』
『身体使用による所有感再形成――有効。』
『剣術――自己との再接続。』
『運動――内臓感覚との因果再接続。』
『食事――身体内部への恐怖低下。』
『過去の悲嘆――自己経歴へ再帰属。』
『鏡像――部分的自己認識。』
『主人公への接触――身体確認を目的としない自発行動へ変化。』
「……」
『総合。』
『主人公による介護から、対象自身による自己回復へ段階移行。』
「それなら」
いい。
ずっと。
俺が。
「これはセリア」
「これもセリア」
そう言い続けるだけじゃ。
駄目だ。
最後は。
セリア自身が。
「私だ」
と決めないと。
『親密関係に関する検討は、本話中盤の整理内容を維持。』
『回復目的としての優先度――低下。』
『今後成立する場合――対象本人の自己決定による成人同士の関係としてのみ処理。』
『新規状況が生じるまで再掲しない。』
「……よし」
これで。
一つ。
整理された。
『次話候補。』
『第三十七話 今の私が決める』
「……」
珍しく。
嫌な題名じゃない。
そう思った。
直後。
その下。
『アクセス推移――回復傾向。』
「結局それかよ」
何も。
変わってない。
日記は。
日記だ。
でも。
セリアは。
変わった。
世界に決められた自分じゃなく。
俺に教えられた自分でもなく。
今の自分が。
自分を決めようとしている。
それだけは。
日記帳にも。
まだ。
奪われていなかった。
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