第三十五話 『読者関心の低下を確認。』
朝。
「ルーク」
「うん」
「起きてるか」
「起きてる」
「私は?」
「セリア」
「……うん」
返事。
今日は。
少し早かった。
名前を言われて。
考える時間が。
昨日より短い。
「右手」
「セリアの」
「左手」
「セリアの」
「心臓」
「セリアの」
「肺」
「セリアの」
「身体全部」
「セリアの」
「……」
袖。
俺を掴んでいる。
「身体の中も?」
「セリアの」
「外も?」
「外?」
「皮膚」
「セリアの」
「髪」
「セリアの」
「爪」
「セリアの」
「……分かった」
毎朝。
これをやるようになった。
名前。
身体。
昨日までの記憶。
自分が誰か。
何が自分か。
一つずつ。
俺たちが。
教える。
本人よりも。
俺たちの方が。
セリアを知っている。
「今日は」
セリアが言った。
「女将は?」
「下」
「私を?」
「……」
答えられない。
女将は。
もうセリアを認識しない。
ミレアも。
服が動く怪現象程度にしか見えていない。
「そうか」
「セリア」
「いい」
「よくない」
「どうにもならないだろ」
「……」
胸元。
熱い。
嫌だ。
朝から。
また。
開く。
『アクセス推移を確認。』
「……」
最初の一行。
嫌な予感。
『セリア消失編。』
『初動――上昇。』
『認識切断。』
『社会的消失。』
『自己名称喪失。』
『身体所有感喪失。』
『身体内部認識低下。』
『以上を段階的に実施。』
『結果。』
次。
『アクセス数――減少。』
「……」
俺は。
しばらく。
文字を見た。
「お前」
『同種恐怖の連続による展開停滞を確認。』
「昨日それ分かってたよな」
『読者関心の低下を確認。』
「だからって」
次。
『作品のアクセス数が減少したため、セリアの消失を取り消し、主人公の介護による復帰とします。』
「……は?」
読む。
もう一回。
『セリアの消失を取り消し。』
「取り消す?」
『社会的認識消失――解除。』
『存在痕跡切断――解除。』
『他者からの認識――復旧。』
『居住履歴――復旧。』
『ギルド記録――復旧。』
『身体の視認性――復旧。』
「待て」
顔を上げた。
「セリア」
「何だ」
いる。
「……」
「何だよ」
「顔」
「顔?」
「見える」
「……」
セリア。
止まる。
自分の手。
見る。
「手」
見える。
腕。
顔。
髪。
全部。
いる。
「鏡!」
「何だ!」
「鏡!」
取りに行く。
戻る。
置く。
セリア。
見る。
「……」
鏡。
女。
いる。
セリア。
ちゃんと。
いる。
「これ」
声。
震える。
「私?」
「そう!」
「本当に?」
「そうだよ!」
顔。
ある。
目。
ある。
髪。
ある。
手。
腕。
身体。
全部。
普通。
昨日まで。
あれだけ。
何をしても。
戻らなかったのに。
アクセス。
それだけで。
一瞬。
戻った。
「……ふざけんな」
俺は。
日記帳を見る。
『消失処理――取消完了。』
「ふざけんなよ!」
「ルーク?」
「……ごめん」
セリア。
俺を見る。
「私」
顔。
触る。
「見えてる?」
「見えてる」
「普通に?」
「うん」
「触れる?」
手。
出す。
俺も。
触る。
手。
ある。
温かい。
「……」
セリアが。
俺の手を。
強く握った。
「ある」
「うん」
「私」
「いる」
「……」
泣いた。
今度は。
涙も。
見えた。
*
階段。
降りる。
女将。
「セリア?」
止まった。
セリアも。
止まる。
「……」
「朝からどうしたんだい」
普通。
女将。
普通に。
名前を呼んだ。
「女将」
「何だい」
「私」
「何だい?」
「分かる?」
「何言ってるんだい」
女将が。
眉を寄せる。
「セリアだろ」
「……」
セリア。
顔。
ぐしゃぐしゃ。
「そう」
「朝から変だねえ」
「……そうだな」
ミレア。
奥から。
「セリアさん?」
「……」
「どうしたんですか?」
「ミレア」
「はい」
「私」
「はい?」
「いや」
セリア。
笑った。
「何でもない」
ミレアは。
何も知らない。
昨日。
自分が。
セリアを見ても。
誰か分からなかったこと。
その記憶まで。
世界の都合よく。
繋ぎ直されている。
日記。
『他者側の認識矛盾を補正。』
『当該期間中に発生した不自然な記憶は、夢、疲労、認識混乱等として処理。』
「勝手に」
全部。
戻す。
昨日までの恐怖を。
世界だけ。
なかったことにする。
でも。
セリア本人は。
覚えている。
*
「ルーク」
「何」
「鏡」
「また?」
「ああ」
朝食後。
部屋。
セリアは。
何度も。
鏡を見る。
「顔」
「ある」
「うん」
「髪」
「ある」
「うん」
「目」
「ある」
「うん」
「身体」
「ある」
「……」
服。
自分で。
掴む。
「これは私」
「そう」
「腕」
「セリアの」
「足」
「セリアの」
「心臓」
「セリアの」
「肺」
「セリアの」
「胃」
「セリアの」
「血」
「セリアの」
「……」
俺。
止まる。
「昨日と同じだ」
「ああ」
「見えるようになっただけ」
「ああ」
身体は。
戻った。
世界も。
戻った。
でも。
セリアの中。
戻ってない。
鏡に映った女を。
自分だと。
理解しようとしている。
理解はできる。
でも。
実感が。
ない。
「これが私」
「うん」
「そうなんだよな」
「うん」
「……」
「セリア?」
「言葉では分かる」
「……」
「でも」
鏡。
「この女が」
指。
「本当に私だって感じが」
「ない?」
「ああ」
消失を。
取り消した。
それだけ。
自己認識まで。
元には戻していない。
胸元。
熱。
開く。
『復帰処理について検討。』
「今度は何する気だ」
『社会的存在――復旧済み。』
『肉体視認――復旧済み。』
『自己認識――未復旧。』
『主人公の介護を中心とした段階的回復へ移行。』
「……介護」
『既に対象は主人公ルークを、自己認識を補助する最も信頼性の高い外部情報源として認識。』
『主人公からの言語的確認。』
『接触による身体位置確認。』
『食事補助。』
『睡眠時の安全確認。』
『記憶の再提示。』
『以上を継続。』
「それなら」
まだ。
まとも。
『ただし。』
「……」
『自己身体の帰属を回復させる方法について、より効率的な刺激を検討。』
「効率って」
『触覚。』
『体温。』
『圧覚。』
『呼吸。』
『心拍。』
『他者との身体的境界。』
『これらを同時に認識できる行為が有効。』
「……」
嫌な。
方向。
『第一候補。』
読みたくない。
でも。
書かれた。
『安直ながら、性行為による自己認識を第一候補とします。』
「安直って自分で言うな!」
「何だ!」
「何でもない!」
セリア。
驚く。
俺。
日記へ。
『理由。』
「理由まで書くな」
『対象セリア――成人。』
『主人公ルーク――成人確認済み。』
『双方の身体接触に法的年齢上の問題なし。』
『ただし。』
文字。
『対象は現在、自己認識障害状態。』
「そうだ」
『よって、本人の明確な意思確認なく性的関係へ進行させることは不適切。』
「……」
『性行為を治療として強制しない。』
『主人公から誘導しない。』
『拒否可能。』
『途中停止可能。』
『対象自身が希望した場合のみ実施候補とする。』
「そこは」
当たり前。
『また、性行為自体を医学的治療とは定義しない。』
『物語上、「信頼する他者との身体接触を通じて、自身の身体境界を再確認する」という関係性描写として処理。』
「だったら」
別に。
性行為じゃなくても。
『第二候補。』
『抱擁。』
「そっち先にしろよ!」
『第三候補。』
『手を握る。』
「さらにそっち先!」
『第四候補。』
『身体位置を逐次言語確認しながらの接触。』
「順番逆だろ!」
『物語的刺激の強さを基準に順位付け。』
「治療じゃなくアクセス基準じゃん!」
そうだった。
こいつは。
最初から。
そういう奴だ。
*
「ルーク」
「何」
「手」
「うん」
セリアが。
自分から。
握る。
「私の手」
「そう」
「お前の手」
「そう」
「境目」
指。
絡む。
「ここ」
「うん」
「こっちが私」
「うん」
「こっちがお前」
「そう」
しばらく。
そのまま。
「分かる」
「本当?」
「ああ」
「昨日より?」
「全然」
セリア。
手。
見る。
「自分の手が見えるからな」
「……よかった」
「でも」
離す。
「離れると」
自分の手。
見る。
「また少し変だ」
「じゃあ」
「もう一回」
握る。
「これは」
「セリア」
「これは」
「俺」
「境目」
「ここ」
「……」
何度も。
確認。
する。
日記。
『第二候補以下の方法から試行開始。』
「最初からそうしろ」
*
昼。
抱きしめる。
「……」
「どう?」
「変」
「嫌?」
「違う」
「じゃあ」
「お前の身体」
「うん」
「ここ」
肩。
「私じゃない」
「そう」
「私の腕」
「うん」
「私」
「そう」
「お前」
「そう」
「……分かりやすい」
セリアが。
息を吐く。
「一人より」
「うん」
「境目がある」
自分一人だと。
どこまでが。
自分か。
分からない。
他人が。
そこにいると。
「ここから向こうはルーク」
「うん」
「ここまでが私」
「そう」
「……」
少し。
力。
強くなる。
「セリア?」
「もうちょっと」
「うん」
「このまま」
「分かった」
それだけ。
日記帳の。
第一候補なんて。
必要ない。
そう。
思った。
*
夕方。
食事。
「自分で食べられる?」
「ああ」
パン。
口。
噛む。
飲み込む。
昨日みたいには。
止まらない。
「胃」
「セリアの」
「……」
腹。
触る。
「私の」
「そう」
「空腹」
「セリアの」
「満腹も?」
「セリアの」
「便利な言い方だな」
「何でもセリアのって言えばいいと思ってきた」
「適当になるな」
「ごめん!」
少しだけ。
笑った。
本当に。
少し。
普通。
戻った。
でも。
夜。
*
「ルーク」
「何?」
「聞きたい」
「うん」
セリア。
椅子。
座る。
「今日」
「うん」
「抱きしめてもらった」
「……うん」
「手も」
「うん」
「そうしてる間は」
「うん」
「分かった」
「何が?」
「私が」
胸。
「ここにいるって」
「……」
「お前と」
俺。
「私が」
自分。
「二人いる」
「うん」
「だから」
少し。
考える。
「もっと強く」
「抱きしめる?」
「それも」
「それも?」
嫌な。
予感。
日記。
熱い。
開く。
『第一候補への自発的接近可能性――上昇。』
「余計なこと書くな」
「ルーク」
「何?」
「私」
セリア。
目。
見る。
「お前と触れてると」
「うん」
「自分の身体が分かる」
「……」
「これは」
自分で。
手。
胸。
「私」
「うん」
「お前に触ってるのも」
「セリア」
「そう」
「……」
長い。
沈黙。
「怖い?」
俺が聞く。
「少し」
「じゃあ今日はここまででいい」
「嫌だ」
「セリア」
「違う」
首。
振る。
「怖いからやるんじゃない」
「……」
「確かめたい」
「何を」
「私」
自分。
「この身体が」
手。
「本当に私のものだって」
「……」
日記。
『性行為による自己認識を第一候補とする方針は維持。』
「……」
『ただし、本話では実施しない。』
俺。
止まる。
『理由。』
『対象の希望が、「自身の身体を確認したい」という切迫感によるものか、主人公との性的関係を本人自身が望んでいるのか、現時点では分離不十分。』
「……」
珍しく。
正しい。
『本人の選択を確認するため、段階的接触を継続。』
『主人公は誘導しない。』
『対象が身体確認とは独立して親密関係を希望した場合のみ次段階へ移行可能。』
閉じる。
「セリア」
「何」
「今日は」
「……」
「ここまでにしよう」
「嫌か?」
「違う」
「じゃあ」
「今のセリアが」
言う。
「自分を確かめるためだけに、何でもしようとしてるなら」
「……」
「それを利用したくない」
セリア。
黙る。
「私が決めても?」
「それが本当にセリアのしたいことなら」
「……」
「でも今は」
「分からない」
自分で。
言った。
「そう」
「自分が」
「うん」
「何をしたいのかも」
「……」
「まだ」
分からない。
「なら」
手。
出す。
「今日はこれ」
セリア。
握る。
「……これなら分かる」
「うん」
「私の手」
「そう」
「ルークの手」
「そう」
「ここまで」
境目。
「私」
「うん」
「ここから」
「俺」
「……」
握る。
強く。
「じゃあ」
「何?」
「これを」
声。
小さい。
「忘れなくなるまで」
「うん」
「付き合え」
「もちろん」
*
その夜。
セリアは。
久しぶりに。
自分の部屋で眠った。
部屋も。
戻っている。
扉。
ベッド。
剣。
荷物。
全部。
最初から。
そこにあったことになっている。
でも。
一人にはしなかった。
俺は。
椅子。
リサも。
近く。
「セリア」
「何」
「ここは?」
「私の部屋」
「自分は?」
「セリア」
「身体」
「私の」
「手」
「私の」
「心臓」
「私の」
「……」
目。
閉じる。
「ルーク」
「何」
「お前」
「うん」
「いる?」
「いる」
「リサ」
「いるぞ」
「……」
呼吸。
ゆっくり。
「なら」
眠る。
今日は。
そのまま。
眠った。
*
日記帳。
『復帰経過。』
『社会的消失――取消完了。』
『視認性――復旧。』
『身体所有感――部分回復。』
『自己名称――保持。』
『主人公による介護――有効。』
『リサによる補助――有効。』
「……」
『安直ながら、性行為による自己認識を第一候補とします。』
「二回書くな」
『ただし現在は保留。』
『抱擁、手掌接触、身体境界の言語化によって一定の改善を確認。』
『より強い身体的親密性が必要かどうかは今後判断。』
「必要ないなら」
それでいい。
『アクセス推移も継続観測。』
「結局それかよ」
この数日。
世界から。
人一人を。
消しかけた。
名前を。
身体を。
自分自身を。
全部。
壊した。
そして。
アクセスが減ったから。
戻した。
理由。
それだけ。
日記にとって。
惨劇も。
回復も。
同じ。
作品のための。
展開。
『次話候補。』
見る。
『第三十六話 身体を取り戻す方法』
その下。
『回復展開の継続と、読者反応を比較します。』
「……」
セリアは。
眠っている。
自分の名前を。
覚えたまま。
明日の朝も。
そうでありますように。
日記帳ではなく。
初めて。
何か別のものに。
祈りたくなった。
この作品の品質向上のため、ぜひ感想をお寄せください。今後の展開・キャラクター・構成・描写方針の参考として利用します。
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